0
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
クリエイティブ職等の採用過程でなんらかの企画を出させて独創性を測る、みたいなものがあるっていうのをたまに聞くんだがそれって意味があるのだろうか。ただでさえ独創的なアイデアって稀少でしょう。たかが一学生が出せるのかな。それで採用如何が決まるってのは変だと思うんだよなー。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
むしろアイデアの独創性とは異なる部分で見られていると考えるのが賢いのかしら。つまり全体のプロジェクトセッティング能力とか、アイデアをファクターたらしめる能力とか…非凡さが必要なのはアイデアではなく、それを活かす方法のほうでなのかもしれないなあ。というか的外れでなければいいのかな。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
「的外れなアイデアでない」ことだけで十分であり、それを「活かせるように魅せる・素地を創る能力」が本当は重要なのかもしれない。むしろアイデアってそういうものかな。独創性はあるに越したことはないけど、それを活かさせる能力が本当に必要なのかもね。って思いました。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
アイデアは実は付属品で、ビジネスにする上で一番大事なのはそれを形にする能力か。つまりクリエイティブ職で求められてるのは形を作る最低限の技能とそれを補完する意味での独創性なのか。となると、所謂「独創性」とは調整能力とも言えるのかな。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
結局、クリエイティビティも他の仕事のように行き着く処は同じか。つまり「仕事を円滑に調整する能力」が求められるということ。少しカッコ良い言い方をすれば「企業特殊的な労働資本」よりも「一般適応性の高い労働資本」が市場で最も求められているのね。これは分野問わず言えることだと考える。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
そう考えると就活は難しいことはないのかもしれない。「プロジェクトセッティング能力≒コミニュケーション能力」を会得すればいいのだから。しかしでは大学はなんの為に存在するのか。大学は就職という側面においては専門性を高める為に存在するけれどそれはもう第一条件ではないということになる。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
大学において専門性を高めるというのは簡単に言えば「企業特殊的な労働資本」の生産にリンクしてしまう訳で、それへの需要はもう低いということになる。それは最低限として求められる或いは蔑ろにされる能力になり、それを超えたコミニュケーション能力に重点が置かれる社会が肯定されるね。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
ただ蔑ろにされると言っても、専門性を高めることは結果としてコミニュケーション能力の向上にもリンクすることになる。なぜなら、体系的に説明する或いは証明するプロセスというのはまさしく社会において求められている能力になるから。そうすると、獲得される専門性は副産物に成り下がるのかしら。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
しかしやはり専門性は二の次、蔑ろにされても仕方のない性質となる。そうして大学における勉学の価値は逓減していく。だがその一方で専門性は独創性と繋がっていると考えられる。本来の意味での独創性が発揮というのは蓄積された専門性の上での止揚と考えられる。そうなると専門性は蔑ろに出来ないね。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
僕は大学の存在を軽視したくないから、「大学における勉学即ち専門性の会得とは婉曲的にコミニュケーション能力とリンクしまた独創性の温床たり得るという点で有用性がある。つまり大学は必要である。」という結論に至ったわ。ふうむ…脱線したなあ(笑)でも間違いじゃない気がする。
コン🦊サル🐵 @konkonsaru
最初に戻れば「コミニュケーション能力が求められる社会における専門性の会得過程というのは、決して軽視出来ない」ということですかね。ということで、朝の連続ツイートをお届けしました(笑)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする