@mtkym 氏による神武東征と邪馬台国筑紫説及び機内説の考察

@YOSHIMASAKATAYA: 「銃・病原菌・鉄」のように古代の農業研究等を通じて歴史展開を考える歴史学展開って日本ではなかなか語られないので新鮮な論点です。』
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PACECONTINUA @mtkym

http://t.co/YwWqYx4W 「神武東征」。記紀には、神武天皇が、九州から東征して近畿に国をつくったという神話があるのですね。

2011-12-14 16:33:58
PACECONTINUA @mtkym

神武東征によって、自然条件として不利な九州(筑紫平野)の勢力が、近畿を制服したとするならば、当時の技術力が自然条件を凌駕していた筈である。いわば、未開地だった近畿を文明国家の九州勢力が征服したという構図が考えられる。

2011-12-14 18:39:02
@Hirozane10

ヤマトは昔から現在の奈良。東征は文学的幻想。“@mtkym: 神武東征によって、自然条件として不利な九州(筑紫平野)の勢力が、近畿を制服したとするならば、当時の技術力が自然条件を凌駕していた筈である。いわば、未開地だった近畿を文明国家の九州勢力が征服したという構図が考えられる。”

2011-12-14 18:54:06
PACECONTINUA @mtkym

しかし、文明国家が九州から隔たった未開地にわざわざ遷都するだろうか。とすれば、近畿を征服した神武天皇は九州では、王に使える将軍であり、王の指示に沿って近畿を征服した後、近畿を拠点として勢力を蓄え、後の世代が九州から実権を奪ったのではないか。まさに源頼朝や徳川家康のように。

2011-12-14 18:55:33
片山惠仁 @YOSHIMASAKATAYA

福岡周辺は大平野ではないが、小さい川が沢山あるので定住しやすかったのでは?近畿や関東、新潟のような大平野は利水技術の発展とともに利用価値=地域の軍事力が向上したのではと思うRT @mtkym:

2011-12-14 19:01:21
PACECONTINUA @mtkym

天皇家が近畿の先住民だとすれば、わざわざ東征を天皇家を正当化する神話に入れる必要はないように思えますが。RT @Hirozane10: ヤマトは昔から現在の奈良。東征は文学的幻想。“

2011-12-14 19:04:33
PACECONTINUA @mtkym

自然条件とともに技術的な条件を考慮する必要があると思う。つまり、中国からの位置関係により、文明の受容に時間差が生まれる。RT @YOSHIMASAKATAYA: 近畿や関東、新潟のような大平野は利水技術の発展とともに利用価値=地域の軍事力が向上したのではと思う

2011-12-14 19:07:05
PACECONTINUA @mtkym

自然条件だけ考慮するなら、九州よりも近畿の方が恵まれているので、九州には近畿を征服するだけの軍事力は生まれないことになると思う。RT @YOSHIMASAKATAYA: 近畿や関東、新潟のような大平野は利水技術の発展とともに利用価値=地域の軍事力が向上したのではと思う

2011-12-14 19:12:40
片山惠仁 @YOSHIMASAKATAYA

「銃・病原菌・鉄」のように古代の農業研究等を通じて歴史展開を考える歴史学展開って日本ではなかなか語られないので新鮮な論点です。RT @mtkym: 自然条件だけ考慮するなら、九州よりも近畿の方が恵まれているので、九州には近畿を征服するだけの軍事力は生まれないことになると思う。

2011-12-14 19:21:35
PACECONTINUA @mtkym

先の話を延長すると、邪馬台国は九州にあった筈だ。ウィキペディアの吉野ヶ里遺跡の項には、邪馬台国があった三世紀に吉野ヶ里遺跡は最盛期を迎えるとある。既に三世紀に近畿に勢力を拡大した天皇家が九州を支配していたならば、九州は収奪される側として衰退しつつあったはずであり、事実と反する。

2011-12-14 19:48:48
PACECONTINUA @mtkym

邪馬台国のあった三世紀には、天皇家は近畿に常駐するいわば征夷大将軍として九州の邪馬台国に仕える立場だった。その立場の中で徐々に九州の勢力を凌駕するだけの富を蓄積して行ったのではないだろうか。

2011-12-14 20:02:51
@Hirozane10

ヤマトは、瀬戸内海と密接な関係を持っていたと考えます。“@mtkym: 天皇家が近畿の先住民だとすれば、わざわざ東征を天皇家を正当化する神話に入れる必要はないように思えますが。RT @Hirozane10: ヤマトは昔から現在の奈良。東征は文学的幻想。“”

2011-12-14 20:10:42
PACECONTINUA @mtkym

恐縮です。しかし、本当ならそれも学問の細分化の弊害かも。文科系は工学・技術について無関心という。RT @YOSHIMASAKATAYA: 「銃・病原菌・鉄」のように古代の農業研究等を通じて歴史展開を考える歴史学展開って日本ではなかなか語られないので新鮮な論点です。

2011-12-14 20:33:55
PACECONTINUA @mtkym

それには同意しますが、それと東征は矛盾しないと思う。RT @Hirozane10: ヤマトは、瀬戸内海と密接な関係を持っていたと考えます。“

2011-12-14 20:35:27
PACECONTINUA @mtkym

そう言えば、ワイドショーで津波のシミュレーションが採り上げられ、鎌倉は太平洋からの津波で大仏の下まで海水に浸かると言われていた。大きな河川や平野がない鎌倉を選んだことも併せて、鎌倉幕府は自然について全く無関心だった。そのために、権力を安定して維持できなかったのではないか。

2011-12-14 21:29:34
PACECONTINUA @mtkym

自然を最大限活かして権力を維持しようとした江戸幕府とは対象的。

2011-12-14 21:33:55
@Hirozane10

邪馬台国は、ヤマト国、とすると、邪馬台国は、東征により滅ぼされたと?“@mtkym: それには同意しますが、それと東征は矛盾しないと思う。RT @Hirozane10: ヤマトは、瀬戸内海と密接な関係を持っていたと考えます。“”

2011-12-14 21:56:00
PACECONTINUA @mtkym

こちらでとった論理では、邪馬台国は九州にあり、後に近畿の勢力(ヤマト国)に滅ぼされた。東征は、邪馬台国以前の九州勢力が派遣した部隊による侵略になります。RT @Hirozane10: 邪馬台国は、ヤマト国、とすると、邪馬台国は、東征により滅ぼされたと?“

2011-12-14 22:00:52
@Hirozane10

邪馬台国の台は、トと読みます。遺跡調査からも邪馬台国畿内説が学会の定説です。ただ、古代史の研究に、騎馬民族征服説があり、ヤマト朝廷は朝鮮又は中国からの征服王朝とする説もあります。東征の歴史的解釈は様々ですね。“@mtkym: こちらでとった論理では、邪馬台国は九州にあ~

2011-12-15 07:50:12
@Hirozane10

邪馬台国の台は、トと読みます。遺跡調査からも邪馬台国畿内説が学会の定説です。ただ、古代史の研究に、騎馬民族征服説があり、ヤマト朝廷は朝鮮又は中国からの征服王朝とする説もあります。東征の歴史的解釈は様々ですね。“@mtkym: こちらで~

2011-12-15 07:50:35
@Hirozane10

邪馬台国の台はトと読みます。遺跡調査からも邪馬台国畿内説が定説です。ただ、騎馬民族征服説があり、ヤマト朝廷は朝鮮又は中国からの征服王朝とする説もあります。東征の歴史的解釈は様々ですね。“@mtkym: こちらで~

2011-12-15 07:51:40
@Hirozane10

邪馬台国の台はトと読みます。遺跡調査からも邪馬台国畿内説が定説です。ただ、騎馬民族征服説があり、ヤマト朝廷は朝鮮又は中国からの征服王朝とする説もあります。東征の歴史的解釈は様々ですね。“@mtkym: ~

2011-12-15 07:52:20
@Hirozane10

邪馬台国の台はトと読みます。遺跡調査からも邪馬台国畿内説が定説です。ただ、騎馬民族征服説ではヤマト朝廷は朝鮮又は中国からの征服王朝とする説も。東征の歴史的解釈は様々ですね。“@mtkym: ~

2011-12-15 07:53:12
@Hirozane10

邪馬台国の台はト。遺跡調査からも邪馬台国畿内説が定説です。ただ、騎馬民族征服説ではヤマト朝廷は朝鮮又は中国からの征服王朝とする説も。東征の歴史的解釈は様々ですね。“@mtkym: ~

2011-12-15 07:53:35
@Hirozane10

邪馬台国の台はト。遺跡調査から邪馬台国巻向説が有力です。ただ、騎馬民族征服説では天皇は東アジアからの征服王朝説も。東征の歴史的解釈は様々ですね。“@mtkym: ~

2011-12-15 07:55:40