奈良を舞台に伊東乾氏が儀式と音楽を語る

理系出身で音楽を生業にしている伊東氏が、奈良で儀式と音楽について語っておられます。(って言うても実際には読んでもらわなわからへんなあ)
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Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

松村の「阿知女」楽譜を手に入れ、結果的に覚える程度集中したのは16の時だからもう30年一緒に生きてる事になる。今日春日若宮の「大和舞」でオヤッと思った事があり一番ぶつけてやりたいのは当然ながら松村先生だけど先に死んじまって話せない。悔しいので松村へのタマヨバイ代りに打ってる訳です

2011-12-18 03:52:16
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

こういう話は愛情のない指摘は建設的な批判になりえない。今すぐでも阿知女は暗譜で弾くし「アメツチニキユラカスハサユラカスカミハカモカミコソハキネキカウキユラナラハ・・・」テキストの祝詞も当然全部身体に入っている。作曲者の方が寧ろ記憶が怪しかったので僕が幾ら強く言っても聞いてくれた。

2011-12-18 03:47:00
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

「タマフレ」ミタマフリという考え方を巡って師の松村禎三とあ議論というか口論したのが気持ちの宿題になった。昨日の朝触れた「阿知女(アチメ)」という彼の作品が出発点だけどこの口論は否定的批判じゃないのがポイントで僕は松村の「アチメ」に決定的に影響を受けたし何より身体の一部になっている

2011-12-18 03:40:04
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

僕が照準を当てているのは「喪」や「もがり」具体的にはタマヨバイ→タマフレ→タマシズメというプロセス;能に典型的ですが慰霊の形として広がりも豊かです。でここに「生死の川」の渡橋が関わり具体的に跡付けできるものが出現し、またこの川が消えたり再現したりするのもとても面白く思います^^

2011-12-18 03:29:57
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

でも逆にそういう僕にとって大切な話題を、そこそこ時差はありますが、日本語で不特定多数の人に伝える事が、このツイッターなどを通じて出来る。それは一つの救いになっています。あえて言うなら見えない未来への希望の窓としてのSNS、なんて書くと、ややキザったらし過ぎるかもしれないけど^^;

2011-12-18 03:03:51
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

残念に思うのは、今日も春日若宮おん祭りで幾つか決定的な事に気づいたのですが、一番それを伝えたいと思う人3人とか5人とか、みんなもう生きていない現実。また音楽を作るという本来創造的であるべき仕事が非常に矮小化した作業になってしまっている現状。そうでない次の世代があると思いたいけど。

2011-12-18 02:58:44
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

実際には古代末期武士団清和源氏の八幡信仰から「源氏氏神」の八幡像と「殺生する悪党も往生する」浄土教の発展、さらに鎌倉とあらゆる意味で距離を持ちたかった室町幕府の南都への接近など色々な経緯・偶然が重なって面白い事が起きる訳で、受験年号暗記法みたいな短絡で目を瞑ってしまうのは勿体ない

2011-12-18 02:37:12
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

能舞台と古墳を飛躍と思う一人一人に説明はしないけれど、例えば「古市の応神天皇陵に隣接する誉田八幡宮は元来は後円部の頂上にあり、現在の位置から以前は堀を渡って遷宮してましたよね?とか「誉田八幡宮縁起を寄進しなおした足利義教は音阿弥のスポンサーとして現行能の形成に貢献しましたね?とか

2011-12-18 02:23:09
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

奈良・春日大社若宮のおん祭り、還幸の儀のラストまで拝観ののち宿に戻ってくる。ちょっと疲れて今うまく言葉にならないが、もっと早く見ておけばいろんなことが先に繋がったに違いない。大変多くのことを学ばせていただいた十数時間。唯一の失敗は冬の奈良の寒さを読み損ね危うく凍えかけました^^;

2011-12-18 01:04:24
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

摂津、河内、飛鳥、奈良等に古いままの形を残して伝えられる供犠や祭殿等を注意深く見てゆくと日本ってどうやって出来てきたのか、あるいは前方後円墳の上にはどんな社が立っていたのか、そこでの歌舞音曲の特徴は?なんて事が少しずつ、でも確実に見え、聴こえて来ます。耳を澄ます事を大切にしたい。

2011-12-17 10:14:12
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

かれこれ20何年、その間に武満も黛さんも伊福部氏も松村先生もみんな死んじゃったけれど、僕はまだ生きてて動けるので、こうして寒いおん祭りに12時間参じる事もできる訳で、人が真面目にやってんのに勝手に先に死ぬなよ!甲斐がないじゃないか!!とか怒りながら、今日もこれからお旅所に行く所。

2011-12-17 09:52:24
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

松村は一方で彼自身や黛さん共通の師・伊福部昭の徹底して科学的な楽器音響・オーケストレーションなどへのアプローチを強調する。だがその割に万葉集とか伝統邦楽などには直感的でナイーブな態度。矛盾じゃないか!というとこれがまた烈火の如く怒るですね。イイです僕は僕の好きにしますからと言って

2011-12-17 09:46:58
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

20代半ばからこうしたアプローチを始めてかれこれ20年程になる。子供の頃師匠の松村禎三と、彼が三島由紀夫と黛に触発されて上代の「みたまふり」祭儀に想を得て書いた「阿知女」という作品について口論になった事がある。阿知女は魅力的な作品で暗譜しているが想像力主体の作曲だけで良いのか?と

2011-12-17 09:41:03
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

一定以上の妥当性ある方法をもってアプローチした結果は多くの人の価値になる。それと一個人としての黛敏郎の表現(例えば「ねはん交響曲」)の価値は全く別物で、独立して高く評価されるべきと思う。武満徹の雅楽へのアプローチ等は前者の部分が完全に欠如している。根の浅いものに留まるのは嫌なので

2011-12-17 09:36:52
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

僕個人の最終的な考えは一音楽屋として自分の演奏・作品への還元にある部分が大きいけれど、大学でプロジェクトとして行う舞楽や能楽の時間空間設計へのアプローチは若い仲間と一緒に厳密に方法をもって進めている。55年ほど前黛敏郎さんが梵鐘や声明の伝統にアナログ音響分析で切り込んだのが原点で

2011-12-17 09:33:17
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

また深夜早朝のお渡り(遷幸・還幸)の中には延喜式以前からのヤマトの神事、端的に言えば前方後円墳で行われたであろうモガリなど仏教導入以前の古い日本の根が随所に見られる。多くは「榊」など普通の神社で現在も目にするものだが、春日のおん祭りや誉田八幡宮大祭などではそれが生の形で伝えられる

2011-12-17 09:28:35
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

本日はお旅所祭で12時間ほど長い式楽にご一緒する。幸い天候に恵まれ12月の奈良の野外は底冷えするけれど、この風土の中で876年続けてこられたものはそこで体験するしかない。祭り全体は明治の廃仏毀釈で仏教色が払拭され大きく変化したが、お旅所祭には伎楽が田楽に変わる端緒が残っている。

2011-12-17 09:21:17
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

能楽の起源を探ろうとすると興福寺伝承の大和猿楽(から観阿弥・世阿弥が出た)が原点とされるが、通常は明治の廃仏毀釈で判らなく無くなってしまったというのが文献学者諸氏の安全な解答になっている。が「おん祭り」など神事側とされた中にはかつての猿楽と類縁の遺制が随所に残り、それを追っている

2011-12-17 09:12:59
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

深夜の真っ暗な春日若宮から先頭を2本の清めの松明が引きずられ赤い残り火で神の道が作られる。遠くから聞こえる龍笛と楽太鼓。だんだん高くなり、やがて百人ほどの神職がくちぐちに「おお」と声をあげながらご神体の行列がやってくる。スタイルの変遷はあるかもしれないが非常に古い日本が残っている

2011-12-17 08:57:57
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

奈良・春日大社若宮「おん祭り」今日12月17日の24時間は若宮さまが奥の本宮から一の鳥居近くの「お旅所」に降りておられ、様々な神事が行われる。昨夜は午前0時に始まる「遷幸の儀」から深夜の「暁祭」に参列で深夜の春日大社の杜。12月の凍る空気の中、一切の明かりをけしてのお渡りは圧巻!

2011-12-17 08:51:07
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

例えば古墳時代の埴輪には様々な文様が見られますが基本、文字はありません。これに対して奈良時代の行基が行った土木工事では焼き瓦に色々な階層の人が自分の名前や言葉を記しています。古墳時代を終わらせ仏教に代表されるテクノロジーが導入されたのが蘇我政権から飛鳥白鳳期と改めて察せられます。

2011-12-16 12:48:07
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

蘇我氏や聖徳太子の文化というのは文字を解する支配者が、ごく一部の文字を解する被支配層と圧倒的多数の文字を解さない民衆への、新しい日本型の文化と考えると僕の興味では話が随分通り易くなります。ここでキーになるのが「仏教伝来」なんですね。経典は文字で書かれた先端テクノロジーだった訳で。

2011-12-15 12:00:33
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

古代の日本文化に文字がないというのは僕にとっては大切な意味があります。というのは声や音、そして「うた」というものの持つ比重が、現在とは比べ物にならぬほど大きい訳ですから。ホメロスだって語り部が記憶しやすいよう歌になった。文字以前の歌唱はそこそこ速くダイナミックだったと考えられます

2011-12-15 11:58:04
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

例えば古墳文化って「定規とコンパス」がなければ成立しない、大規模治水灌漑を底に持つ権力ですよね、前方後円墳は円が描けないと設計できない。ところが大王は殆ど文字を持ってないんですね。個人的には聖徳太子とか蘇我氏以前の日本の支配階層文化は文字以前と考えるといろいろスッキリ判ります。

2011-12-15 11:54:06