教育と言論について-『鈴木先生』クラス討議編を読んで

『鈴木先生』クラス討議編を読んで感じたことを思いつくままに書いただけ。「信頼感」の重要性と、ネット言論を射程に入れたテーマ性を感じたことについて。
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k @kawashim

スクールカーストの問題は、外見、スポーツの出来不出来、成績が良い悪いという、生来的のものや学校の一番ベースのところで与えられる評価しか基準にしてないことであり、議論の進め方、仲直りの仕方など、一律で判断できないポイントでの評価基準が用意されてないことにあると思う。

2011-12-18 20:55:05
k @kawashim

鈴木先生の学級裁判編を読んでて、なぜ鈴木先生が良い教師と感じられるのかと考えたら、そういう生徒の目に見えない長所を引き出すことに長けているからだと気づいた。

2011-12-18 20:59:48
k @kawashim

自分としては、そういう勉強やスポーツなどベースの部分以外は教師の介入をして欲しくはないと思っていた。なぜなら、教師も人間であり、教師が個々にもつ評価基準の信頼性は保障されていないと思っていたから。

2011-12-18 21:06:36
k @kawashim

しかし振り返ると、その評価基準はあるにせよ、それを一方的に振りかざしてくる先生ばかりではないし、むしろその生徒個々の長所を上手く発現させる方向に導いてくれる人もいたかもしれない。

2011-12-18 21:08:56
k @kawashim

思ったことを言う、自分の立場を表明する。それは若ければ若いほど、真摯であればあるほど、自分自身を傷つける確率が高くなる。下手に賢くて、捻くれているこどもはそれを避け続けて、立派とは言えない大人になってしまう。

2011-12-18 21:14:16
@kouzandx

@kawashim 生徒を伸ばす事は教師自身の人格が問われている気がします。人間であるからこそ、生徒を思う気持ちが教師には必要で、勉強を教える云々の前に生徒の為を思えない教師の話をよく耳にします。突然のリプライをお許しください。

2011-12-18 21:19:36
k @kawashim

鈴木先生というマンガを読んでいて辛いのは、自分がいかにひねくれた子どもだったか、また今もひねくれた嫌なやつか思い知らされるから。鈴木先生という作品は、以下の意味で「人を信頼する経験値」を現在進行形で獲得していく少年少女の話だから。

2011-12-18 21:20:34
よし天🔞 @yoshiten_y

@kawashim 何度も傷付きながら、あっけらかんとした生き様を見せる大人が大勢居るともっと良いですね。

2011-12-18 21:21:31
k @kawashim

そういう人が見えるところにいるのはいいですね。メディアや大人たちは「失敗例」ばかり提示する。ああいう人にはなってはいけない、自分のようになってはいけない、と。RT @yoshiten_y: 何度も傷付きながら、あっけらかんとした生き様を見せる大人が大勢居るともっと良いですね。

2011-12-18 21:26:38
k @kawashim

RT @kouzandx: @kawashim 生徒を伸ばす事は教師自身の人格が問われている気がします。人間であるからこそ、生徒を思う気持ちが教師には必要で、勉強を教える云々の前に生徒の為を思えない教師の話をよく耳にします。突然のリプライをお許しください。

2011-12-18 21:26:56
k @kawashim

.@kouzandx 僕もそうだと思います。高校や大学に受かるためのお勉強を教えるだけなら、そこに教師が寄り添う積極的意味はないですからね。個人的な体験としても、授業は下手でも、そういう生徒と人と向き合う姿勢の先生からのほうが何倍も学ぶことが多かったとおもいます。

2011-12-18 21:32:19
k @kawashim

以下が個人的な感想だけど、さらに鈴木先生の教師ものとしての独自性は、鈴木先生が物理的に生徒の家庭問題に深くコミットすることや授業の展開の仕方などではなく、「言論」によってのみその信頼感を獲得していることにあると思う。作者がネットでの言論をかなり意図的に射程に入れているのだろう。

2011-12-18 21:39:15
k @kawashim

例えていうと、鈴木先生は、独特(それが本当に独自的かは疑われないとして)な視点で大多数のビューを得るブログと、Twitterでの十万単位のフォロワーを持っているブロガーみたいなもの。当然、それだけフォロワーがいると厄介な絡み方をしてくる人間もたくさんいる。

2011-12-18 21:44:15
k @kawashim

それでも鈴木先生は、自分の軸をずらさない対応をする。その軸をずらさない、ということそれ自体がそのブロガー=鈴木先生の評価になり、その対応もより多くの人の目に触れられることになる。

2011-12-18 21:47:21
k @kawashim

それをみて、自分の言論のあり方(リアルでの会話にせよ、Twitterでの発言の仕方にせよ、ブログで軸を明らかにすることの必要性を知ることにせよ)になんらかの作用が起こることがある。

2011-12-18 21:50:51
k @kawashim

もちろん、それは10万人フォロワーいても、数人か数百人かわからないけれど、そういう作用は現実的にあるとおもう。これはそもそも定量的な問題ではないが。

2011-12-18 21:52:30
k @kawashim

このように、物理的な交渉がなくても文字ベースでのみあっても、自分自身に向けられたものでなくても、言論においては積極的な学びが可能である。そういうことをギュッと中学生の一クラスにまとめたような印象を「鈴木先生」には感じた。

2011-12-18 21:58:03
k @kawashim

全くまとまってない笑 ネットの言論云々はもう少し考えたいね。

2011-12-18 21:59:05