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「荷風の妻(?)」の話

@kshumpei による、恩師のお宅にいたお手伝いさんにまつわるお話。 ただのツイートで流してしまうには惜しいお話だと思ったので、まとめておきました。
人文 内田八重 八重次 藤蔭静樹 永井荷風 文芸
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Shumpei Kumon @kshumpei
学生時代、よくおじゃましていた恩師のお宅に、とても凛とした品のいいお手伝いさんがいた。もと永井荷風の奥さんだったそうだ。#フォロワーが体験した事が無さそうな体験
Shumpei Kumon @kshumpei
#荷風の妻 この話題に少なからぬ方が関心があるようなので、もう少し詳しく書いてみる。随分と昔のことで記憶も定かではないが、昭和32年か33年ごろのこと、青山にあった恩師のお宅に、ごく短期間だったと思うが「お八重さん」という名の、「お手伝いさん」が いた。
Shumpei Kumon @kshumpei
#荷風の妻 恩師の話では、「この方は永井荷風のもとの奥さんだよ」ということだった。年のころは、当時20台前半の私の目には、70歳前後に見えたが姿勢はしゃんとしていた。お八重さんは、「お手伝いさん」にしてはずいぶん態度が大きく、恩師をまるで子ども扱いして、諭したりしていた。
Shumpei Kumon @kshumpei
#荷風の妻 恩師の奥様は、新富町の由緒ある町医の跡取り娘で、結婚後も毎日新富町の医院に通っておられた。「荷風の妻」をググってみると、二度目の妻が、本名内田八重(ヤイ)で、「文学芸者」とも呼ばれていた新橋芸妓の八重次だったとある。
Shumpei Kumon @kshumpei
#荷風の妻 荷風の浮気に憤慨して、一年たらずで絶縁状を残して飛び出した八重次(1880-1966)がこの「お手伝いさん」だったとすれば、当時すでに80歳近かったはずだが、お八重さんはそこまでの歳には見えず、矍鑠としていた。
Shumpei Kumon @kshumpei
#荷風の妻 しかも八重次はその後日本舞踊家として一家を成し、始め藤間静枝、後に藤蔭静樹を名乗り、晩年には文化功労者にもなった。そんな人物が、一時期でも「お手伝いさん」になっていたとは考えにくい。やはり別人なのか。
Shumpei Kumon @kshumpei
#荷風の妻 しかし、藤間静枝が1930年以後48年まで住んでいた麻布霞町は、恩師のお宅のすぐ近くだ。また昭和32-3年といえば、六本木に移っていったん隠居した後、二代目と不和になり、藤蔭流が分裂した時期にあたる。
Shumpei Kumon @kshumpei
#荷風の妻 だとすれば、隠居していた藤蔭静樹が、六本木にいられなくなり、恩師のお宅に「お手伝いさん」と称して一時期身を寄せていたのはありえないことではないかもしれない。新富町で女医をしていた恩師の奥様が、なにかの縁で彼女としたしかったことは十分ありうる。
Shumpei Kumon @kshumpei
#荷風の妻 以上が、「お八重さん」=藤蔭静樹説が成立するものとして、私が逞しくした憶測だが、果たして事実なのだろうか。そんなことをとつおいつ考えていると、昨夜は年甲斐もなく興奮してよく眠れなかった。
@Tamnius
ほとんど寝ていない頭で読んだ @kshumpei さんの連続ツイートが一服の清涼剤のようだ。時間ができたら「断腸亭日乗」を読み返してみよう。 #荷風の妻
ナナシ=ロボ @robo7c7c
もし"恩師"の冗談で無かったなら、日本文化史の小発見くらいの新事実でないか、これ<#荷風の妻 特に藤蔭流の分裂にまつわるものかどうかというのは、かなり重要な気がする。研究者の人、誰ぞ興味持たねーかしら。

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