とあるちくわの論理考察
- tikuwa_ore
- 1606
- 0
- 0
- 0
どちらかが正しいからどちらかが間違ってる、というのは論理として成立しない。因果関係がないなら尚更だ。だから、そういう論調で自分や他人の是非を語る人には注意なさい。そいつは単なる独善をひけらかしたい無自覚な正義厨だ。特に自分の批判者を悪になぞらえる人物は無自覚なので要注意。
2011-11-22 00:15:55自分のそれを「論理的」と称しつつ、論拠の提示を拒む人の口にする論理は概ね「意味論理」と解釈してよいだろう。「オレが正しい。なぜならオレがそう思っているからだ。愚民にはオレが高尚である事は理解出来ない」というタイプはほぼこれ。
2011-12-18 18:51:11「きみはじつにバカだな」はついつい云いたくなるが、なぜバカなのかを説明しない、あるいはしたつもりでもその指摘が独善的な理由であったり論理矛盾がある場合、結局自分自身にブーメランするので注意。
2011-12-21 10:31:33本編。
“論理的足らん”とする事と、事実“論理的である”かどうかは別である。その者の言動が論理的かどうかを決めるのは周囲の客観性であり、「論理的」を自称する人の大半が口に「論理」とは、自分に都合のいい論理しか採用しない「屁理屈」使いであると理解せよ。
2011-12-22 13:39:53「論理的」=正しいとは限らない。論理は整合性に矛盾のない道理であって、モノの善悪、可否、是非とは別の価値判断基準だからだ。例えば、一部の狂的な菜食主義者(反捕鯨論者)に取って獣蓄(鯨肉)の生産的利用を妨害する事は、彼らにとって論理的に機能する。
2011-12-22 13:45:31あるいは客観的論証もなく、自分が相対している相手が悪だの劣っているだのとレッテルするのです。RT @ewa4618: @tikuwa_ore だから法的・社会的な可否や是非を切り離すために、連中は「正義」を盾に取るわけだよね
2011-12-22 13:58:33「例外」が機能している場合も矛盾足り得ない。先の例に倣い、狂的菜食主義者が「植物、魚、貝などは守るべき獣蓄に当たらない」とする上において、彼らがそれらを生産的に消費する行為は論理的に矛盾しない。ただしその「例外」は、それを認めない他者からは「屁理屈」と映る。
2011-12-22 13:48:32「矛盾」とは明確な論理破綻を示す。この場合、シーシェパードなどがよい例だろう。「鯨を食うのは野蛮な行為」→「野蛮な人間には何をしてもいい」という論理で、彼らは鯨肉を嗜む人間に対して「野蛮な行為」を行う。この前提例外は初期論理に矛盾しているため、論理足りえない。
2011-12-22 13:51:20「例外」は矛盾を認める規定ではなく、論理構造から除外する規定である。つまり「獣肉を食べてはいけないが野菜や魚や貝はよい」というのは、後者を除外する規定である。しかし「野蛮な行為が許せないので、野蛮な行為をする人には野蛮な行為をしてもいい」は矛盾である。
2011-12-22 13:54:19ただし、どちらも「共感する限りにおいては論理足り得る」ので注意。それが他者から見た場合は「屁理屈」となる。特に前者は自分にだけ都合のよい論理=「云い訳」と呼ばれ、後者は論理矛盾を孕む「詭弁」と呼ばれる。
2011-12-22 13:57:38結論。
自分と意見が違う人を「バカ」とか「分かっていない」と切り捨てるのはダメです。違う意見にこそヒントがあるわけで、そこに目を向けずに相手を否定する態度はもったいないです。それこそバカだと思います。
2011-12-21 15:24:04一見バカだと思う意見を言われたときは、次のように原因を分析しましょう。次のどれかが多いです。①その人が立場上その意見をとらざるを得ない場合(会社、上司、業界、お客さんなどの意向で特定の意見をとらざるを得ない)、②前提事実の認識に食い違いがある、③相手が本当のバカ、④俺がバカ。
2011-12-21 15:30:53偉くもないのに偉そうな上から目線コメント、乏しい文章力による誤解、乏しい読解力による誤解・・・これらを今日から「インターネットコミュニケーションにおける三大残念事象」と呼ぶことにした。
2011-12-21 15:43:37