5/22 twitter公開読書 「先生はえらい」

「先生はえらい」の公開読書 @TohioOkada(岡田斗司夫氏)の発言のみ抜き出しました。
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@ToshioOkada

みんな間違えるから「早朝公開読書」とでも名前変えようか?w #otakingex RT @utsurome: あ、夜の22時じゃなくて、朝の10時からなのか。すぐにコーヒー飲んで目をさまそっと RT @ToshioOkada午前10時からtwitter公開読書「先生はえらい」

2010-05-22 09:13:33
@ToshioOkada

さて、そろそろ準備は良いかな?twitter公開読書まで、あと1分です。 #otakingex

2010-05-22 09:59:12
@ToshioOkada

twitter公開読書 今日の本は「先生はえらい」(内田樹・ちくまプリマー新書) 中高生にもわかる言葉で知の最前線を紹介しようというコンセプトの新書シリーズ。クラフト・エヴィング商會が一冊ごとに違う装丁をやってるのにも注目! #otakingex

2010-05-22 10:00:28
@ToshioOkada

僕もこのシリーズで「世界征服は可能か?」という本を書きました。中高生向けにこんな悪乗りしたアオリまで書いてしまいました。http://bit.ly/9w8mi8  #otakingex

2010-05-22 10:01:13
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

内田樹は良著が多いけど、岡田的なオススメはこの「先生はえらい」と、「日本辺境論」「街場の現代思想」「ためらいの倫理学」あたりがベストだと思う。 #otakingex

2010-05-22 10:01:47
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

「はじめに」 いまの若い人を見て、一番気の毒なのは「えらい先生」に出会ってないこと。 #otakingex

2010-05-22 10:03:05
@ToshioOkada

「それは私のせいじゃない。尊敬できる先生がいないことが悪い」と言う人もいる。本当だろうか?「尊敬できないのは先生の出来が悪い、先生運が悪いだけで私の責任じゃない」 いや、違うんじゃない?・・・という内容の本です #otakingex

2010-05-22 10:05:12
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

ああ、さっきからしょっちゅうハッシュタグをつけ忘れる!文末にハッシュタグの欠点はこれだよね。 #otakingex

2010-05-22 10:05:49
@ToshioOkada

さんきゅ!RT @Baboon_lab: 拝読いたしました。タイトル買いでした。「誰だこんなこと考えるのは…」と思い著者に岡田さんの名前見つけて納得しました。 RT 「世界征服は可能か?」という本 http://bit.ly/9w8mi8  #otakingex

2010-05-22 10:06:20
@ToshioOkada

先生というのは、出会う以前であれば「偶然」と思えても、出会った後では「運命的必然」としか思えなくなるような人物。それが先生の定義。

2010-05-22 10:07:45
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

そういう君は絶体に読んだ方がいい。「先生をえらい、と思えない部分がダメダメ」と論証してるからw #otakingex RT @m_yashiki: 「りっぱな先生」はいるけど、「えらい先生」っていないと思う。 えらいと思ってる時点でだめだめだと思うのだが。

2010-05-22 10:09:12
@ToshioOkada

第一章「先生は既製品ではありません」: 「誰もが尊敬できる先生」は存在しない。同様に「先生運」も存在しない。先生とは自分で探すもの。ここを内田は「恋愛と同じ」と喝破する。 #otakingex

2010-05-22 10:11:04
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

恋愛とは「周囲はいろいろ言うけど、私にはこの人がとてもステキに見える」という”客観的判断の断固たる無視”の上にしか存在しない。つまり内田論では「みんながステキと言ってくれる彼氏」という恋愛像を根本的に否定w

2010-05-22 10:13:05
@ToshioOkada

「あの先生、最高!」というのは恋愛と同じで、一種の誤解であり妄想である。しかし師に対する「誤解の多様性」ゆえ、ひとりひとりが「固有の成熟プロセス」をたどることができる。恋愛が誤解に基づくように、師弟関係も本質的には誤解に基づく #otakingex

2010-05-22 10:16:03
@ToshioOkada

「学ぶ」とはなにか?「知識や技術を、何らかの対価と引き替えに授与されること」と思いこんでるのではないか?先生が有用な知識や技術を与えてくれる対価として、生徒はお金を払う「取引」と考えていないか?いや、違う。 #otakingex

2010-05-22 10:19:27
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

「自動車を運転する技術を学ぶ」で考えてみよう。みんな教習所で運転を習う。ではその教官に敬意を抱いたり恩師と呼んだり、卒業後にクラス会を開くだろうか?そういう人はほとんどいない。 #otakingex

2010-05-22 10:21:14
@ToshioOkada

さて、では免許を取った後、サーキットでF-1ドライバーから運転を習う機会があったとする。たとえ半日の講習でも「オレはシューマッハにアクセルターンを教わった」と自慢し、師への感謝を口にするのでは?

2010-05-22 10:23:26
@ToshioOkada

さて、では免許を取った後、サーキットでF-1ドライバーから運転を習う機会があったとする。たとえ半日の講習でも「オレはシューマッハにアクセルターンを教わった」と自慢し、師への感謝を口にするのでは? #otakingex

2010-05-22 10:23:50
@ToshioOkada

この違いはどこから?知名度?本当にそれだけ?みんなそんなに俗物なの?いや、違うでしょう。この敬意の違いは「学んだこと」の差違にある #otakingex

2010-05-22 10:24:58
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

教習所の教官が教えたのは「運転はこれでいい」という”定量的な技術”。しかし、F-1ドライバーが教えたのは「運転には『これでいい』という限界はない」「運転は想像であり、ドライバーは芸術家」 #otakingex

2010-05-22 10:27:36
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

教習所の教官は「君は他のドライバーと同水準に達した。だから合格」という。つまり到達点を具体的に指示する。しかしF-1ドライバーは「君は他の人とどこが違うか」しか評価しない。つまり「ここが完成、というのはない」と。到達点を消去してしまう。 #otakingex

2010-05-22 10:29:48
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

一方は「これができれば大丈夫」と言い、もう一方は「学ぶことに終わりはない」と言う。この段差が「学び」を考えること。 #otakingex

2010-05-22 10:30:45
@ToshioOkada

「技術に完璧はない」しかし「完璧を失敗する方法は、何通りもある。それが創造性だ」。ここから得られる結論=「失敗する仕方において、私たちは独創性を発揮する」。 いやいや、内田さんはすごいねw #otakingex

2010-05-22 10:33:31
@ToshioOkada

それについては諏訪哲二の「オレ様化する子どもたち」を読んでみよう! #otakingex RT @nakanishix: これは学級崩壊の問題等と繋がるのかな。子供が先生と等価交換を試みているようにみえる。RT学ぶとは?「知識や技術を、何らかの対価と引き替えに授与されること」?

2010-05-22 10:35:16
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

学ぶとは創造的な仕事。創造的と言うことは「同じ事を学ぶ生徒は二人といない」という意味。弟子たちは師から同じ事を学ばない。違うことを学んでしまうのが学びの創造性であり主体性。「この先生の素晴らしさを知ってるのは私だけ」という誤解が絶体に必要 #otakingex

2010-05-22 10:38:18
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