八ツ場ダム建設反対に関する@rsmoonさんの連ツイ

八ツ場ダム建設反対に関しての@rsmoonさんの考察です。
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S.Takei @rsmoon

マニフェストで「八ツ場ダム建設中止」(鳩山幹事長=当時、現地で表明)⇒民主党政権:前原国交相「建設中止宣言」⇒馬渕国交相:再検証指示(判断を官僚に事実上丸投げ)⇒前田国交相:建設継続への流れを作る。⇒1年間の凍結と思いきや建設継続!民主党は一事が万事この傾向。

2011-12-22 16:48:14
S.Takei @rsmoon

この虚脱感は底が深い……八ッ場ダム建設を巡り、市民運動ではもはや中止に導くことはできない情勢だった。50年以上地元住民は、飴と鞭の政策を余儀なくされ、社会的環境は周辺に比べ大幅に遅れ、当初の反対運動は萎み建設を受け入れざるを得ないほどの状況になった。⇒

2011-12-22 16:57:25
S.Takei @rsmoon

決着をつけることができるとすれば、「政治決着」しかなかった。脱ダム正統へ政権交代を果たし中止に導く。民主党執行部(特に鳩山幹事長が熱心)は、手垢の付いていない(イデオロギー色のない)建設反対の市民G を受入れ先として探していた。⇒

2011-12-22 17:02:55
S.Takei @rsmoon

⇒県営倉渕ダム建設反対の緩やかな繋がりの市民ネットワークに中島政希(当時政治家秘書。現代議士。倉渕ダム問題にも関わり、協力関係にあった)を介して話があった。「マニフェストに建設中止を謳いたい。県内で受入れる市民グループと一緒にやりたい、研究会を作り、建設中止に導かないか」⇒

2011-12-22 17:09:10
S.Takei @rsmoon

⇒政治家と行動を共にするのには、拒絶感と躊躇いがあったが、もはや「政治決着」しか残されていなかったし、参院選で民主党が勝ち政権交代可能という情勢だった。「研究会」が発足し、当時、唯一の県選出民主党議員、石関貴史さんをトップに研究会活動が始まった。⇒

2011-12-22 17:13:44
S.Takei @rsmoon

⇒毎月、ある日曜日に行われる活動に、石関さんは国会中でも休まず出席し、県内の民主党系県会議員も休まず出席。我々市民Gとも次第に打ち解けベクトルも太く濃くなった。そして、次々に明らかになる八ッ場建設を巡る実態。現場所長との懇談会では、我々の指摘に答えられない場面もしばしば⇒

2011-12-22 17:18:20
S.Takei @rsmoon

⇒費用対効果も怪しく、杜撰さだけが浮き彫りになる八ッ場ダム。先駆的な市民グループがすでに明らかにしていたものも多いが、彼らの活動に「政治的決着」という意志は薄かった。これは良し悪しの問題ではなく、プロセスの違いだけで、「研究会」の活動にも協力的だった。⇒

2011-12-22 17:24:25
S.Takei @rsmoon

⇒倉渕ダムで培い、ひとつの武器であった「記者会見」は使わず、ただし、会合や活動には、記者たちに開放していたので、報道されることも多くなり、政権交代可能の状況と相まって注目度が上がった。なんと言っても市民と民主党議員の共同研究会であることが、マスコミ的には美味しいソースだった。⇒

2011-12-22 17:30:28
S.Takei @rsmoon

⇒当初からあった政治家と共同歩調する躊躇いは、自分的には次第に薄れ、政治家の時期を図る確かな視線と判断に良い意味でも、疑問に思う意味でも政治の醍醐味を見たように思う。研究活動自体は地道だったが、アピールの上手さとそのタイミングは、絶妙だった。⇒

2011-12-22 17:35:27
S.Takei @rsmoon

⇒現場視察会の時は、20名ほどのグループに対し、同じくらいの報道陣の参加予約があり、建設事務所が用意した中型バス2台で廻るほどだった。この時、それまで見たことがない秘書らしき人物が加わった。たぶん、鳩山幹事長の秘書で、それも上の人らしかった。視察会の後、現地で記者会見を行う⇒

2011-12-22 17:39:41
S.Takei @rsmoon

⇒現場視察は研究会が発足してから1年以上経った夏の初めだった。これをもって準備ができたのだろう。その夏、鳩山幹事長が30人程の議員を引き連れ、現地視察を行い、その場で「八ッ場ダム建設中止をマニフェストに入れる」と表明した。そして、翌年の夏の終わり、民主党が政権交代を果たした⇒

2011-12-22 17:46:16
S.Takei @rsmoon

⇒政治は受入れ先を探す。「民意」という箱がなければ、動けない時もあるだろうし、少なくとも動き易くなることは確かで、それがささやかなものであってもいい。だから、政治家を動かそうと思ったら、受入れる箱を作ればいい。必ず寄ってくる。二つのダム建設を巡る行動で実感したこと。⇒

2011-12-22 17:52:30
S.Takei @rsmoon

⇒「八ッ場ダム建設中止」をマニフェストに入れるよう、微々たるものだが関わっていた自分とすれば、とりあえず今は、虚脱感たっぷりで 関わっていた「先生」を実名で書いてしまいました♪彼らの約束は「地元の人たちの生活再建を最優先し、そのための立法化を急ぐ」こと。約束果たされず(終わり)

2011-12-22 17:59:54
S.Takei @rsmoon

県内とはいえ、ダム建設予定地に住んでいない自分たちの市民活動は、地元の人たちの気持ちを解っていたとは言い難い。学術的に、社会的に、そして現実的にダム建設による治水と利水は、先進国ではもはや許されないプロジェクトという一心で行っていたことは否めない。

2011-12-22 20:10:51
S.Takei @rsmoon

50年以上翻弄されていた小さな町の人たちが、一向に決まらないダム建設の中で、それぞれ、その時期にしなければならない生活の刷新―例えば、増改築や新築、事業者にあっては設備投資など―を決めかね、生活の一端を諦めながら、ただじっと推移を見つめていた経緯と心情。これは、原発事故にも言える

2011-12-22 20:15:35
S.Takei @rsmoon

そんな躊躇いと迷い、困惑があったから、当初は乗らなかったのだが、結局邁進してしまった。「住民本位」という短い、ありふれた言葉が、これほど大きく迫ったことはないな。

2011-12-22 20:22:20