- kei_sadalsuud
- 4897
- 0
- 6
- 0
@A_laragi おはようございんまにえる。きのうの神の被創造物で、ちょっと。天然放射性物質は神の被創造物、人工放射性物質は人間の創造物、そこがキリスト者でもわかってない人ばかりと思います。
2011-12-22 09:22:39@hannamasako あー・・・どうでしょう。私もキリスト者ではないし、そういう観点で考えたことなかったですが、人間が全く新しいものを創造できるとすると、それもおかしいことになるような。
2011-12-22 09:38:13人間が存在できる場所というのは限られていて、まして人間的に存在できる場所というのはもっと限られている。これは、無制約的に「善い」ものは、この世に一つも存在しないということを示唆している。
2011-12-22 09:55:59100年後には、放射能と闘うことができるようになっているかもしれないが、その次は?そして次の次は?いつか限界は必ず来る。技術は無制限に強大になっていくが、人間という存在はそうではない。
2011-12-22 10:04:41.@hannamasako @A_laragi いま手元に本がなくて出典をド忘れしてるんですが、ある哲学者が、「神は創造するが、人は配置(constellation)を行うのみ」と論じてたような。
2011-12-22 10:08:14それ聞いたことあります。 RT @hirakawah: .@私@A_laragi いま手元に本がなくて出典をド忘れしてるんですが、ある哲学者が、「神は創造するが、人は配置(constellation)を行うのみ」と論じてたような。
2011-12-22 10:18:53@hirakawah @hannamasako そう考える方が整合的ですもんね。創発特性みたいなものも、神の視点からは問題にならないですし。>「人は配置を行なうのみ」
2011-12-22 10:23:15@hirakawah @A_laragi 全く新しいものというか、人間が行なった核分裂によって生じた核物質は罪ある存在では?と思っているのです。19世紀なかばまで、セシウムは殆んど地球上に存在しなかったとか。 http://t.co/m4dDIxhQ
2011-12-22 10:25:26@A_laragi @hirakawah 「罪ある存在」というか。。。人工核物質は人間の罪=欲望によって生れたもの、という意味で現在の「罪の象徴」かなと思っています。
2011-12-22 10:35:29@A_laragi @hannamasako そういえば昨日の創造と配置の件、確認したらカール・レーヴィット『学問とわれわれの時代の運命』で、正確には、人間の認識行為は、分散した諸要素を一つにまとめてゆくcogitatioであり、人間における真理は「合成して作り出す」こと。(続
2011-12-23 18:14:35@A_laragi @hannamasako それに対して神の認識行為は、完全に読み取るという意味においてのinteligentiaであり、神における真理は「配置して産み出す」もののことであると。「神=創造、人間=配置」ではありませんでした。すみません。
2011-12-23 18:15:48(K・レヴィットの「神の認識行為は『完全に読み取るintelligentia』で真理は『配置して産み出す』、人間の認識行為は「分散した諸要素を一つにまとめるcogitatio」、真理は『合成して作り出す』」という対比はG・バシュラールの認識論を論じた修士論文で参照したのだった。)
2011-12-23 18:20:42.@hannamasako @A_laragi いまRTした話、ハンナ・アレントのAction into Natureについての議論を思い出します。彼女は"action"をlaborやworkと区別して、人間が新しいことを開始できる能力で、(続
2011-12-23 18:27:38続)actionは本来は「政治」という人間同士の世界で発揮される能力で、それがもたらす問題も、その能力を通じて処理されるのが、近代になって技術と結びつき、自然のなかで人間がいなければ開始されなかった過程を開始させるようになったと。 @hannamasako @A_laragi
2011-12-23 18:31:26続)で、「人間がいなければ開始されなった過程」として核分裂を上げてます。勿論核分裂という現象(とその物理法則)は人間と関係なく在るわけですが、地球表面で生命の活動に影響するところで開始されるようになったのは人間に拠るという意味です。 @hannamasako @A_laragi
2011-12-23 18:34:09続)このあたりの詳しい話、アレントの『人間の条件』http://t.co/kLlOYT51 にのっていますので、興味ありましたら、どうぞ。あと、英文ですが、アレントの議論を下敷きに書いた哲学的リスク論の拙文:http://t.co/z6nAIjT7
2011-12-23 18:38:30@hirakawah @hannamasako @A_laragi 横から失礼します。平川先生のツイートは『人間の条件』の科学哲学に依拠したものと思われます。私の読後感としては、いい考察だが、具体性に乏しい、具体的な事象の考察に応用するには、読み手のオリジナリティも必要、かと。
2011-12-23 18:39:05仰る通り具体的問題の考察には向いていないと思います。そういうレイヤー向けのものではないですね。RT @taketake_bon: @hirakawah @hannamasako @A_laragi いい考察だが、具体性に乏しい、具体的な事象の考察に応用するには、読み手のオリジナリ
2011-12-23 18:41:51@hirakawah @hannamasako @A_laragi 科学技術の行く末が、見通しのきかない、非常に素早く変転しやすいものとなった、その点が時間的持続を特徴とするworkによる科学技術と近年に見られるactionによる科学技術の違いということは、考察に値すると思います
2011-12-23 18:46:12ハンナ・アレントの科学観として読んでおいた方がいいかなと思うのが、『過去と未来の間』の、「身の丈を超えた科学技術」と言う最後にくっついている小論。人間の月面着陸を扱ったものだが、明確にアレントはこの科学技術に嫌な予感を感じ取っている点が興味深い。
2011-12-23 18:48:23