12月27日・元春の語りを 参 考 !に鹿残す

ついったーなりきり武将山中が自分の為に纏めた元春くんの語り。 山中は尼子の立場で語ってますが、敵対する立場視点の語りも興味深い…… ……実に…興味深い……(・言・)ふーん、へー、なるほどぉ……。 おにょれ毛利……あいるびーばっくすーん!!!
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吉川元春 @motoharu1530
こんにちは。ぼーっとしていたらあっと言う間にこんな時間だった
吉川元春 @motoharu1530
さて、告知通り暫し「尼子攻め」についての語りをしようか。本当は上月城の開城まで一気に喋ろうと思ったのだが、考え直してみたらかなり長くなってしまうので、本日は「石見銀山奪取~月山富田城開城」までを話そうと思う。
吉川元春 @motoharu1530
たぐはやはりいつも通りの #雪梅譚 を。…あと、話す内容が内容故、場合によっては厳しい事を言うと思うが、予め了承を頂きたく。
吉川元春 @motoharu1530
さてまあ、まずは石見銀山について軽く触れておこう。鎌倉時代に発見されたこの銀山は一時採掘を中断した事はあったものの、貴重な資金源として昔から大内氏尼子氏の間で幾度も争奪戦が繰り広げられていた。今で言う…「どる箱」と言う奴か? #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
当然、毛利も銀山に目をつける。それに銀山を手中に収めれば、出雲侵攻の重要な足掛かりともなるのだ。厳島によって陶晴賢…隆房殿を討ち、次いで防長計略によって義長様も討った親父が次に狙いを定めたのは、この石見銀山であった。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
1556年。俺と通良率いる毛利軍は石見に侵攻を開始する。狙うは石見銀山の防衛の砦、山吹城。城を守っていたのは刺鹿長信と言ったか…。結局この戦は、刺鹿殿が降伏開城、と言う形で終わる。こうして易々と毛利は石見銀山を手に入れた訳だ。…この時は#雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
石見で毛利に敵対していたのは最早、温湯城に詰める小笠原長雄殿のみとなっていた。小笠原氏さえ落とせば石見は平定される…そう考えた親父と俺は、先程の山吹城を刺鹿殿に任せて温湯城を攻めにかかった。1558年の事だ。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
当然尼子がこれを看過する訳もない。鮭殿…ごほん、晴久殿本城常光と言う将を遣わせた。此処までは想像通りだった。…だが常光殿が向かった先は俺らが攻める温湯城ではなく、手薄の山吹城であった。晴久殿も自ら出陣し、矢張り山吹城に攻めかかった。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
寝耳に水とは正にこの事だ。今思えば十分予想し得た事だが…。山吹城を取られてしまえば、銀山は再び尼子の手に渡ってしまう。親父は急いで宍戸隆家殿と児玉就忠殿ら、一万の兵を山吹城救援の為に送る。しかしこの軍は忍原と言う地で尼子軍に大敗を喫した。俗に言う「忍原崩れ」の戦だな。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
隆家殿も就忠殿も大怪我を負われ…。晴久殿は勢いに乗り、そのまま山吹城を奪取。守将の刺鹿殿は切腹。手柄を挙げた本城常光殿が代わりに山吹城に入り、銀山は再び尼子の手に渡った。…今思い出しても苦い戦よ。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
その間も温湯城は中々落城しなかった。堅城だったな…あれは。それにこの頃、備中でも不穏な動きがあった。毛利の臣、三村家親殿と穂井田為資殿の戦…この話はまた別となるので後日暇があれば話そう。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
1559年。備中平定を終えた毛利軍はいよいよ温湯城を本格的に攻める。晴久殿も出陣し、川を挟んで睨み合ったのだが…結局戦は起こらず、長きに渡って籠城を続けていた長雄殿は遂に耐え切れず降伏した。一説には、晴久殿が動かないのを見て「尼子頼むに足らず」と激怒したとか。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
いよいよ念願叶って温湯城を落とし、1560年。奪取された山吹城を再び手に入れようと攻めたはいいが、今度はそう易々とは城が落ちない。そうこうしている内に…何と、晴久殿が病によって亡くなられた。毛利に取ってはまたとない好機…だが、親父は晴久殿の死を惜しんでいたな…。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
そして悪い事に、面倒事が一つ増える。毛利に恭順していた筈の石見の福屋隆兼殿が突然反旗を翻した。これは福屋殿の領地を削って、新しく毛利の臣となった小笠原氏にその領地を与えたのを隆兼殿が不服とした…と言うのが原因とされている。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
本城と福屋、思わぬ形で挟まれた毛利だったが、思わぬ転機が訪れる。時の将軍、足利義輝殿が親父に「尼子と和平を結べ」と言い出したのだ。…一見、とても不利な状況に見えるだろう?尼子と和平を結べば、争う事は出来なくなる。しかし上意であるから無闇に突っ撥ねる事も出来ん。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
だが親父はこれを利用した。毛利が今狙っているのは「石見平定」であって「尼子討伐」ではない。更に議を結べば、尼子側は本城や福屋に救援兵を送る事が出来なくなる。晴久殿亡き後の義久殿はそれに気付く事が出来なかった。二つ返事でこれを認め、毛利尼子間の「雲芸和議」が成立する。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
更に親父は常光殿の元へ長雄殿を派遣し、「降伏すれば銀山の所有を認める」と申し出た。このまま降伏すれば銀山を持っていても良い…とな。常光殿はこの条件を呑み開城。残る福屋氏を攻め、隆兼殿は義久殿を頼るが「和議」がある為義久殿はこれを拒否。隆兼殿は城を捨て、逃げた。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
此処に石見の平定は成った。すれば雲芸和議など無用の長物。親父は「毛利は万事堪忍して尼子と和を結び上意に応じてきたが、義久は福屋に加担して約定を破った」と言い、一方的に和議を破棄。毛利、吉川、小早川の兵総勢一万五千を率いて出雲の侵攻を開始した。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
…切りがいいな。一度語りを中断して昼餉を取ってくる。長い話ですまない゚◇゚)ノシ
吉川元春 @motoharu1530
|゚◇゚){語り再開するぞー
吉川元春 @motoharu1530
侵攻が始まると、尼子についていた国人衆が次々と毛利に寝返る。三沢氏、三刀屋氏、赤穴氏…毛利は洗合という地に着陣、長期戦に備えて城を築いた。そしてほぼ同時期、山吹城の城代であった常光殿を、…討つ。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
罪状は「傍若無人の振る舞いの多さ」。それに銀山の銀を横領していた、とも。親父の命を受けた俺が本城氏を一族郎党悉く討ち滅ぼした。…親父は最初からこうするつもりで和平を持ちかけたのかも知れん。だがこの沙汰は国人衆を震え上がらせ、再び尼子へ戻る国人も少なくはなかった。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
さて、毛利はまず白鹿城を攻めにかかる。月山富田城を守る「尼子十旗」の要の城だ。此処を落とせば、富田城は海路を遮断される。尼子にとって生命線とも言える城であった。毛利軍は白鹿城を囲み、大きな戦には発展しないまま膠着状態となった。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
そんな折、九州で小競り合いを続けていた大友毛利和議を結ぶ事となった。九州戦線を受け持っていたのは隆兄だったが、その隆兄が宗麟殿と和議を無事結ぶ。親父は隆兄を出雲に呼び寄せ、準備を整えた上で白鹿城に総攻撃をかける。そう考えていた。…筈、だった。 #雪梅譚
吉川元春 @motoharu1530
8月3日。隆兄は出雲へ向かう前に、和智誠春の饗応を受けた。趣向を凝らした盛大な宴だったらしい。そして寺に戻った夜。突然腹痛を訴え苦しみ出した。翌4日。……帰らぬ人となる。 #雪梅譚
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