以前,『宗教で読む戦国時代』の話をしたが,キリスト教が弾圧されたのは,他の宗教を弾圧しようとし,間接侵略の尖兵であったと見られたからだと書いた。また,当時の欧州はキリスト教内部の宗派対立が激しく,日本への布教を行ったのが先鋭的カソリック修道会であるイエズス会だったのが問題である。
2011-12-27 02:17:46もし,当時の欧州でキリスト教内部の対立,即ち,新教と旧教の対立が小康状態にあり,先鋭的カソリックであるイエズス会が布教を行わなければ,日本社会は「天道」の一側面としての父なる神を認め,キリスト教は日本社会に取り込まれたであろう。そして,ある程度の信者を獲得できたかもしれない。
2011-12-27 02:20:50但し,当時のイエズス会は日本人の「何で父なる天帝を信じればいいのに,ただの仲介者たる息子のイエスを崇めなあかんの?」と言う,鬼のような質問に苦しんでいたので,日本に定着するにはかなりの変形を余儀なくされたであろう。バチカンがそれを認めることは考えられないし。
2011-12-27 02:24:04一歩間違えたら,カソリックから日本司教座が分離し,日本基督教が成立するか,政治的に失敗したら,浄土教系の浄土伴天連宗が成立していたかもしれない。そうなっていたら世界の宗教はもっと面白かったかもしれん。日本基督教の首座に皇族が迎えられるとかね。然し乍ら,当時の攻撃的なキリスト教は
2011-12-27 02:27:53為政者たる戦国大名を誑し込み,他宗派の寺院を破壊し,僧や神職を迫害し,日本人を国外に売却し,日本の国土を占有しようとした。それがキリスト教弾圧を呼び込んだのだ。自業自得といえよう。ただ,何が恐ろしいかといえば,個人が内心でキリスト教を信じることは秀吉の禁教令でも禁じていないのだ。
2011-12-27 02:31:27これが何を意味しているかといえば,当時の日本人全体の中に「社会通念を破壊しない限り個人の内面における信仰の自由」と言う極めて近代的な自由が戦国時代には確立していたということである。おそらくそれは,現代の日本人の社会にもビルトインされていると言えよう。なぜって?それは嘗て
2011-12-27 02:35:16他宗や神道を排撃した創価学会が色眼鏡で見られたり,強引な勧誘を行う新興宗教が排撃される事からも理解できよう。日本人は自己の内心の自由を侵されない限り,常に宗教に対して寛容であったのである。しかし,キリスト教の宿痾「千年王国運動」の一環たる島原の乱のせいで,キリスト教は日本に対する
2011-12-27 02:38:50定着の機会を完全に失ったのである。日蓮宗の不受不施派も,江戸時代前期に大弾圧を受けたが,これも「他宗派の信徒から保護を受けても良いか否か,そしてその他宗派に対して宗教的な感謝を行うべきか否か」と言う宗教の純粋性を追求するあまり,社会との衝突を齎したのが原因である。
2011-12-27 02:42:50宗教の純粋性を希求する余り,社会との衝突を忌避しないという態度に,日本人とその為政者は忌避感情を持ったのである。一向宗?あー,一向一揆というのは基本ただの国人一揆に江戸時代になって付けた名前だし,信長と対決したのも,畿内の旧勢力と良くも悪くもズブズブだったから成り行き上の問題だし
2011-12-27 02:46:18そも織田信長が一向宗を弾圧しようとしたというのは,江戸時代になって東西本願寺が成立し,その原因となった一向一揆の位置づけをどうするか,お互いに揉めまくって,原因を合理化するために創り上げた「伝説」というのが神田千里先生の御説です。
2011-12-27 02:49:29結局,日本の特殊性というのは,本地垂迹説を作り上げた時に,既にその姿を表していたということなんでしょうね。そう考えればぬこ田達は,素晴らしい先祖の遺産の上にあるのだろうなと思います。イスラム教徒も「アラート言うのは日本人のいうところの「天道」をアラブ人が解釈したもので」(続く)
2011-12-27 02:52:45(承前)「その天道であるところの「アラー」の託宣をムハンマドが纏めたもんだよ」と言ってしまえば,日本人に受け入れられたかもしれません。そして「アラブ人は日本人よりちょっと血の気が多くてだらしがない所があったので口うるさいんです」とか言っておけば,日本社会との衝突を避けやすくなる。
2011-12-27 02:56:02クリスマスがこれだけ一般化してるのにキリスト教が浸透しないのは興味深い。 まぁかなりキリスト教からかけはなれているけれども
2011-12-27 02:56:15@akatukix 日本のキリスト教会が「在家の衆って言うのはええかげんなもんや。」と,はっきり認めてしまえば良いんではないでしょうか。カソリックの聖人信仰にしても結構胡散臭いものだらけですし。あ,ごゆっくりおやすみなさい。
2011-12-27 02:59:58個人的な話ですが,ぬこ田は帰敬式を受ける程度の浄土真宗本願寺派の門徒でありますが,お手次の御住職に,仏壇に供物をしたり,遺影を飾っても何も言われたことはありません。宗派的にダメなのは承知してますけど。
2011-12-27 03:04:28@akatukix 「在家の衆云々」というのは,『宗教で見る戦国時代』に引用されている,カソリックの神父,ヤン・スィンゲトー氏の発言です。新教的一枚岩ではなく,カソリックの在家の衆はいろんなおまじないをしたりしているそうです。聖人信仰というがそうでしょうね。
2011-12-27 18:00:29