オタク哲学論考 無色本
- L_O_Nihilum
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創作における感性的記号(萌え要素)の発達のメカニズム、それが明らかになれば動ポモを支える思考が強化できるかもしれない。しかし、それによって強化することで、却って動ポモが成り立たなくなるかもしれない。
2012-01-04 10:42:11動ポモが成り立たなくなれば、また新たな疑問や問題意識が出てくる。それは、「作者」「享受者」の二項対立ではないと思う。その間に「仲介提供者」(提供者と呼ぶ)があると思う。つまり、製作した作品を提供するシステムとなる者が。
2012-01-04 10:43:23アメリカ的ポストモダニズム・消費社会の論理。これがオタク界に働いて、たぶん「動ポモ」的「萌えの形式・消費の形式」ができたのだとおそらくいえる。東はそれは認めている。(日本のオタク系文化はアメリカから来たもの、消費社会の論理を日本化したものという言明あり)
2012-01-04 10:44:56つまり、「萌え記号」がまず「誰かに確かに萌え」られ、それが企業や作者に知り渡って、初めて、「萌え記号、記号データベース的生産・作品製作」が出てくるようになったとは言えないだろうか。(仮説)
2012-01-04 10:46:16ただこの仮説が成り立つためには、まずその「萌え記号」となりうる諸要素(前-萌え形態とでも呼ぶかw?)が、まず製作者以前に享受者乃至その態度を持つ人によって萌えられている、とする必要があるわけだが。その、起源の探究が、感性の探求が、未だ進んでないんですよね。
2012-01-04 10:47:47で、そのへんがいいかげんなのにとおってるから、今の消費論だけで話が大筋通るようになってる、と。いや、消費の仕方としては、ほぼ今はかの分析で間違いはないと言える。もちろん、消費を超えたところでの享受まで考察されてないから、オタクはおそらく違和を憶えるのだろうけど。
2012-01-04 10:49:05でも、そんな歴史的起源など求めなくても「萌え記号」に関しては考察は楽ではないだろうか。だって、まず「萌え記号」と言われるからにはまず、「萌える」わけだ。だが、その「萌え」るのは、はて作者としてなのか、享受者としてなのか。
2012-01-04 10:50:54ヘンな話をしてるかもしれない。ただ、「げまげま」(所謂「デジ・キャラット」)なんかもそうなんだけど、「ぷちこ」ちゃんの「猫耳」は、製作者も”享受する前に”萌えていたかどうか。それは、大いにウソだろう。何故なら、「猫耳」の萌え性を享受しないと、「萌え要素」としては描けないから。
2012-01-04 10:53:14まず、「コレ可愛くね?」って思わないといけない。思わなくても「猫のキャラにしよう」と思えば描けるが、思わない場合は萌えて享受もしてない、「ぐうぜんネコ耳にした」といえることになる。しかし、東の記述だと市場原理の中で浮上したもの、とある(なんで享受者でも作者でもなく市場なのか)。
2012-01-04 10:55:00市場でそれが売れる、その原因が萌え、とすれば、必ず「萌え」た人がいたはず。ソクラテスがゴルギアスに「なぐるものがいるということは、なぐられれるものがいるということだよね?」と訊いたが、それに置き換えれば、「モエが売れたという事は、萌えた人が居たという事だよね?」
2012-01-04 10:56:16では何故萌えるのか。この、「萌え」のメカニズムには多分迫っていないのが動ポモ。で、そのメカニズムを調べないのも、「アメリカから来てるから」という事なのでしょう。しかし、以前の批判でも言ったように、「それじゃあなんで日本にしか”萌え”は描けないの?」…萌えのエクリチュールは何?
2012-01-04 10:57:42さてと。そのような機械的な生産ははたしてオタクがはじめだろうか。東が個人的な経験から言い出すので、僕も同じようにカウンターしてみる。個人的な経験、そんな産業よりも手塚以来、アニメは情熱的に作ってたと思う。
2012-01-04 11:00:23寧ろそれが企業がらみでうまくいかなくて、こういうことが大嫌いな人たちが(偉大なアニメ作家であれ)苦しんでいた、という話もたくさん聞く。たとえば、まずガンダムの富野先生。彼はバンダイとの軋轢にかなり怒ってて、このストレスが「Z」でのカミーユの精神崩壊と訊いた。
2012-01-04 11:01:56そして、僕が知ってるもう一個の例は、庵野秀明とその先輩こと宮崎駿の話。宮崎駿は自身が製作者かつ提供の双方の主体であったからよかった。しかし、庵野は言う。「あそこは宮崎がいるから成り立っている、いなくなったらアウト」。つまり、宮崎に主体があるわけだ。
2012-01-04 11:04:13で、この宮崎が、「エヴァ」が大問題になった時に「逃げろ!」と庵野に言う。ていうのは、さっさとエヴァから降りて、グッズやキャラを売り出そうとする企業に遊ばれないようにしろ!と警鐘を鳴らしていたんだよね。でも、そういう時に限って庵野秀明は逃げきれなかった。
2012-01-04 11:05:24そのときのマンネリズムや、低い気持ちからできてるのが「ラブ&ポップ」だったり、「キューティーハニー」だったりの「実写」なんだよね。こういう「逃げ(逃避)」が宮崎は嫌いだった。「逃げやがって、あの野郎。逃げですよ、あんなの。」
2012-01-04 11:06:28つまり、市場とは別で、アニメ製作はほぼ完全にその想いは、根っこはトキワ荘の情熱から来ているものであったりするし、アメリカの市場経済的な論理は、日本のアニメや漫画の最初ではない、それ以前にまず情熱があるんだ、という事。
2012-01-04 11:07:42だから、もし「動ポモ」が成り立つとすれば(換言すれば、今この状況が確かに「動ポモ」であるが、その起源をたどるとすれば)、そういう生産の形式に変化した・そういう世の中になったのを、享受者・製作者・提供者共々OKするようになったのはいつごろからなのか?
2012-01-04 11:09:05あともっと言うなら、そういう事を先にやってたのはアニメなどのオタク業界ではなくマスコミやメディア、寧ろJ-pop側、芸能界側のはずだよ。なんでそれをオタク文化だけ参照しちゃうの?まずこの意図性が怪しい。つまり、「ポストモダン動物」であるという悪名な感じをオタクにすり替えた話では?
2012-01-04 11:10:38そも、「こうしたオタク文化のデータベース動物的現象は、オタク文化は一例に過ぎない」って東自身言ってるし。だったらオタ例に出してくるな。
2012-01-04 11:11:40今の僕の一喝は、僕自身への指摘も含んでいます。なぜかと言えば、ある意味では、東はそれを前提に、オタク文化への誤解を解く努力もしているからなのです。
2012-01-04 11:12:21どういう努力かと言うと、まず前提に「オタク文化=データベース動物的消費の一例」という着想が彼にあるんですよね?つまり、ほかのこともそういう例が当てはまるという事。
2012-01-04 11:13:03ここでいう「他のこと」は、テレビドラマや芸能界、お笑いや音楽業界等のことです。ここでも成り立っていて、これが「国民的広がり」をもつ文化になってて、オタク系文化はその下の層になってて、「宮崎事件」以来のオタ差別が、『それなのに』解消されてない。
2012-01-04 11:14:53そんな状況だから、岡田斗司夫らが「オタクはこういうものだ!」とオタク側の権利的主張が出てきちゃうんだよ、という考えが彼の中にはあるのだと思われます、東浩紀の中に。
2012-01-04 11:15:47