『ワンピース』魚人島編の顛末とルフィの成長について

2012/1/5連載時点での「ワンピース」のネタバレを含みます。 ヤクザ映画から語る「ワンピース」駄弁りシリーズ。 だらだら喋るのは仕様です。 その他駄弁ってるまとめなどは以下参照。 続きを読む
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y2k000 @y2k000

ワンピースを語るに相応しい映画が「次郎長三国志」であるなら、ワンピースを読み解くのに相応しい書籍はなんであるか、といえば猪野健治「やくざと日本人」であると言ってしまうところからはじめるワンピ駄弁り。

2012-01-05 23:46:58
y2k000 @y2k000

個人的には、ここに、同じ著書の「吉田磯吉伝」を加え、今回のワンピースにおけるルフィのナワバリ宣言は完結するのだけど、そう言ってしまうと、それ自体が「伝説」となってしまった吉田の弔電騒ぎに引っ張られ、ルフィの死によってのみワンピースは完結すると言わなくてはならなくなるので、難しい。

2012-01-05 23:56:57
y2k000 @y2k000

さて、根本的に「侠客」というのは、生活基盤に寄生することで生きていける。つまり、「侠客」というのは、その定義における「任侠=弱気を助け、強気をくじく気性に富む、男気あるもの」であるのだけど、逆説的には「損得抜きの振る舞いを『売り物』」にしているわけだ、といえる。

2012-01-06 00:01:40
y2k000 @y2k000

あ、今のは、オレの実感としてのヤクザ者に対する余談です。閑話休題。さて、ワンピの今週号。ルフィが、四皇の一人にタンカ切って、「魚人島はオレのシマだから手ぇ出すんじゃねえ」と言いました。この背景に、何があるのか、という話をざくっとします。

2012-01-06 00:05:13
y2k000 @y2k000

「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」というのは、高倉健が主演を勤めた「昭和残侠伝」の主題歌である「唐獅子牡丹」の歌い出しである。そもそも「義理と人情」というのが、任侠の思想の一角を占めており、今週のルフィの振る舞いもそこに根ざす行為であると言っていい。

2012-01-06 00:09:54
y2k000 @y2k000

じゃあ、義理と人情って何ですか? という話になるわけなのだけど、まあ、義理の方をメインにするとしよう。四字熟語として並べる義理人情を分離して、それぞれを問うたとき、「人情」というのは、やや保守的なイロがあるように思う。残酷で破滅的な色彩を帯びるのは義理のほうかな。

2012-01-06 00:15:38
y2k000 @y2k000

ルフィは、義理において、魚人島がナワバリであると宣告した。この行為を、「昭和残侠伝」の物語的フォーマットにのっとれば、こうなる。小さな組で細々と食いつないでる高倉健の一派にこれでもかとイヤガラセを繰り返す仇役の大所帯。ぐっとこらえる高倉健だったが、ついに堪忍袋の緒が切れてしまう。

2012-01-06 00:18:33
y2k000 @y2k000

堪忍袋の緒が切れるには色々あって、世話になった親分さんが殺されたとか、精魂込めて立てた市場を焼かれたとか、まあ、そんなこんなで変わらずいぶし銀だが、マジギレモードの高倉健がドスを片手に、雪夜に仇相手に出入りをやらかすわけである。任侠において義理が薫るのは、この時である。

2012-01-06 00:21:02
y2k000 @y2k000

つまり、嫁さんだとか、組の若い衆だとか、色んなしがらみ=人情が、彼を引き留めるのである。つらい。行きたくない=死にたくない。ところをぐっと奥歯をかみしめて、歩き去る。義理の方が重いのが、男気であり、任侠であるからだ。

2012-01-06 00:22:52
y2k000 @y2k000

ということを、ややコミカルにであるのだけど、毎度毎度処理しているのが、麦わら一味である。つまり、「ルフィがなんかムチャクチャな放言をして、事態が破壊的に進行し、一味が突っ込む(ナミやウソップがオーバーに泣くくだりを思い起こして欲しい)」というやつだ。

2012-01-06 00:25:37
y2k000 @y2k000

なので、ルフィのナワバリ宣言というのは、これまで何度も繰り返している「いつものやつ」といえ、実はオレはそこまで感銘を受けなかったのだけど、一方で「ナワバリを持つ」行為に違和感を覚えたのも事実。なぜか、というと、先ほど「義理」というのは、実は包括的で継続的な契約としては不十分で

2012-01-06 00:28:44
y2k000 @y2k000

「義理を果たした」という言葉があるように、任侠物における「義理」というのは、沸騰したお祭りとして生じる刹那的な社会契約意識であるといえるからだ。要するに、たまたま高倉健が生き残るだけであって、彼がやってるのは客観的には何もかもをご破算にする行為であることに変わりはないのだね。

2012-01-06 00:33:01
y2k000 @y2k000

では、ルフィが自身の「ナワバリ」宣言を己の任侠的「義理」において、どうやって成立させうるのか、ということになるのだけど、オレはこの爆発的な「義理」の見得による宣言の補強材料として、自発的な相互扶助を掲げたい。つまり、大資本や行政から役割を与えられるのではなく、

2012-01-06 00:41:26
y2k000 @y2k000

もっと根源的な欲求として、自発的に役割を決めて、対等な関係性のなかで自らを位置づけているのだと。つまり、安全圏から、力にモノをいわせて、人を強制させる「大きな力(大資本・暴力機構・政府)」ではなく、同じ場所から血や汗を流すなかで、動物的な序列を自然に生み出すことで、相互が

2012-01-06 00:46:11
y2k000 @y2k000

役割的に、「主従関係」であるが同時に限りなく「対等」であるという構図を生み出すアウトローとしてのヤクザとして、麦わらのルフィを設定したのではないか、ということだ。ここで重要なのは、意図的でなくとも決定的な権威によって、主従を強いてしまう白ひげや冒険野郎のゴールド・ロジャーと違い、

2012-01-06 00:48:49
y2k000 @y2k000

ルフィと魚人島との間に横たわるその素朴な相互関係である。ここで、魚人島編の意味がはっきりと出るわけだ。宴会でどんちゃん、といった「いつものこと」がそれまでのガキ大将が騒ぐことと異なる様相を持つし、また事こうなれば「盃を交わす」という対等性の表出にも繋がる。

2012-01-06 00:51:56
y2k000 @y2k000

と駄弁ったとことで、おしまい。まとめると、魚人島編はそれまで麦わらの一味がやってきた『ヤンキーまかり通って、世直しする』とは大きく意味が異なるようになったわけだ。継続的な社会契約意識としての「ナワバリ」宣言は、ルフィの成長の何よりの証拠なのである。

2012-01-06 00:54:48