渡邊芳之先生@ynabe39の「ネットにずっといてそれでも個性的であり続けている人というのはおおよそ「なにかがおかしい」のだろう。」

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである」(マタイ:5-13)。
1
渡邊芳之 @ynabe39

学者・専門家にせよジャーナリストにせよ言論を生業にする人がネットに感じる魅力は「フィードバックの早さ」であると思う。自分の言論に対して人々からのフィードバックが即座に帰ってくる,これはネット以前の印刷媒体では考えられなかったことだ。

2012-01-06 06:03:46
渡邊芳之 @ynabe39

そうしたフィードバックはリプライ(メンション)だけでなくツイッターであればRTや「お気に入り」によって「量的」にも示される。人々の興味を惹き,あるいは納得させることを書けば,その直後にそれらのフィードバックが与えられる。

2012-01-06 06:06:50
渡邊芳之 @ynabe39

いっぽう人々の反感を買うことを書けばすぐに多数の@が飛んでくるし,興味を惹かなければ無視される。これらのフィードバックはいずれも「即座」に生じるから,即時強化/即時罰となって発言者の行動に強い影響を与える。

2012-01-06 06:09:33
渡邊芳之 @ynabe39

ツイッターにいる言論人は,自分が望む望まない,意識するしないにか関わらず,「たくさんRTされたくさんふぁぼられる方向に」「批判や脅迫のメンションが殺到する方向より共感や賞賛のメンションが集まる方向に」自分のつぶやきを変化させていくだろう。

2012-01-06 06:12:57
渡邊芳之 @ynabe39

その結果としてツイッター言論人が到達する境地は「普通の人の常識,普通の人の正義感と一致することを普通の人より上手な言葉で表現すること」に落ち着く。とくに時事的な話題,論争のある話題ほど,人々からのフィードバックは多いから,その分その傾向も強くなるだろう。

2012-01-06 06:17:32
渡邊芳之 @ynabe39

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである」(マタイ:5-13)。

2012-01-06 06:19:11
渡邊芳之 @ynabe39

ネットに常駐しながら「塩のききめ」を失わないためには,時事的な問題,論争のある問題にはできるだけ近よらないことである。芦田先生のスタンスはその点で実に見習うべきものだ。

2012-01-06 06:21:58
渡邊芳之 @ynabe39

「返信しない」「相手にしない」ことと「影響を受けない」ことはイコールではないですよ。 RT @Mihoko_Nojiri: そこはスルー力ですね。

2012-01-06 06:22:42
渡邊芳之 @ynabe39

ツイッターで「非常識なこと」を言えるのは,その非常識の「ファン」がいて批判や脅迫と同等かそれ以上の共感やRT,ふぁぼを得ている人だけである。ほんとうの非常識はネットでは生き残れない。

2012-01-06 06:30:27
渡邊芳之 @ynabe39

批判派と(早川先生の主観的に)同等の力を持つ「ファン」がいて共感のメンションやRTやふぁぼをするからです。まったく単純な話。 @yoshikotori: 早川教授は頑固に姿勢を変えませんよね。早川発言とそれに関する反応を先生はどうお考えですか。

2012-01-06 06:32:08
渡邊芳之 @ynabe39

ネットでは「常識的に考えておかしい」「普通そういうことは言わない」ということが生き残る余地は小さい。そういう意味では「ツイッターでは学問はできない」というどこかの先生の主張は部分的には正しいと思う。

2012-01-06 06:33:52
渡邊芳之 @ynabe39

「ネットは多数決」。

2012-01-06 06:35:20
渡邊芳之 @ynabe39

おおツイッターでの発言に影響する大きな要因を書き忘れていた。「フォロワー数」これも大事ですね。

2012-01-06 06:36:24
渡邊芳之 @ynabe39

ネットの「炎上」はほとんどの場合「ごくごくまともで堅実な常識からの逸脱」がきっかけで起きる。ひごろ自分の趣味や嗜好などの面ではどんなに「逸脱的」なことを述べている人でも,「常識からの逸脱」への攻撃には嬉々として参加する。

2012-01-06 06:41:05
渡邊芳之 @ynabe39

言論人に許されるのが「人々の素朴な常識や正義感に美しく論理的な言葉を与える仕事」だけになるのは,おそろしい。

2012-01-06 06:45:34
渡邊芳之 @ynabe39

学者や専門家が「自分の言ってることは常識でしょう?みんな私と同じ考えでしょう?」という役割を嬉々としてとりだしたら終わりである。しかしネットは学者や専門家にこそそれをさせようとするものだ。

2012-01-06 06:54:37
渡邊芳之 @ynabe39

それでもネットで「非常識である」ためには,なんらかの認知の歪みというか「現実を歪曲して認識する能力」が必要だと思う。まともな人ほど「多数決」にどんどん流される。

2012-01-06 06:59:25
渡邊芳之 @ynabe39

そういう意味ではネットにずっといてそれでも個性的であり続けている人というのはおおよそ「なにかがおかしい」のだろう。

2012-01-06 07:00:26
渡邊芳之 @ynabe39

本質的なところで「これがなぜ悪いかわからないのはおかしい,誰が考えても悪いでしょう,大人なら善悪の判断はついて当然でしょう」みたいなことを言う人がひごろは「感情でなく論理で話しましょうよ」などと言っているのがネット。

2012-01-06 07:07:04
渡邊芳之 @ynabe39

「善悪」というものを「問う」のは本当に難しい。「善悪について問うてもよい場所」を意図的に設定しないかぎり,(みんなが悪いと考えている行為がなぜ悪いのかを)「問うこと自体」が非常識,あるいは反道徳的ととらえられることが多いから。

2012-01-06 07:12:08
渡邊芳之 @ynabe39

だから「大人が、ましてや“学者”が善悪の判断力を持たないとなったら犯罪的ですよ、大人として生きているんだから」というような意見は「本質的」なのだけれど,「哲学者の卵」がそれを言ったらおしまいだろうとも思う。

2012-01-06 07:14:51
渡邊芳之 @ynabe39

工作員なんてどこにもいませんよ。いるのは「まったくまともで善意に満ちあふれているがあなたとは意見の違う人々」だけです。 RT @babycoco_tw: 今、工作員達が狙ってるのはこれ!

2012-01-06 07:16:03
渡邊芳之 @ynabe39

問題は「善悪の判断力があるかどうか」ではなくて「善悪の判断力があるが,その判断があなたと違う人に対して何を言えるか」なのだ。

2012-01-06 07:17:31
渡邊芳之 @ynabe39

逆張りというのはまさに「大向こうの反応にコントロールされる」わけですからむしろ対極です。 RT @d_uchi: 一連の話とても興味深いです。認知が歪んでいなくても、「あえて個性的に振る舞う」というスタイルはあり得るのでは、とも思うのですがいかがでしょう?逆張り型というか。

2012-01-06 07:19:17
渡邊芳之 @ynabe39

ですです。 RT @aquapiyo: そういう人は「なにかおかしい」とか「変人」というネガティブな単語も褒め言葉として受け止めますから、いつまでもブレないし、ある意味強いんですよね。

2012-01-06 07:24:05