- cornelius0321
- 3977
- 0
- 0
- 0
①『真珠郎』(角川文庫、緑三〇四-16)再読完了。子供のころから何度も読んでいるが、相変わらず面白い。『真珠郎』で目を引くのは、椎名たちの前に現れる奇怪な老婆が「山窩(サンカ)」であるという設定だ。
2011-11-19 03:13:38②山窩は、定住生活をせず、山間部を移動しながら竹細工や川魚などを売って生計を立てていた漂泊民であるとされる。漂泊民なので、「戸籍」や「人別帳」に記載がない人々である。
2011-11-19 03:13:29③鵜藤が毎日記録していた「真珠郎日記」には、「真珠郎の父母になる人々の名前があった」とされる(p.126)。ところが、由利先生は真珠郎の母について、「真珠郎日記にも、美しき白痴の山窩娘とあるだけで、名前すらわからない」(p.168)と言っている。
2011-11-19 03:13:19④父母の名前があると書いておきながら、母の名前がわからないと書いてしまっている。明らかに矛盾している。横溝先生痛恨のミスだろう。だが私は何も、揚げ足を取って喜ぶつもりはない。名前がわかっていても、わからなくても、結果に違いがないはずだと言いたのだ。
2011-11-19 03:13:08⑤山窩が戸籍から外れた人である以上、名前がわかったとしても、どのような家系でどこに住んでいるかなどわからないからである。事件解決の手掛かりは得られそうもない。
2011-11-19 03:12:58⑥民俗学者の柳田國男もこの山窩に関心を寄せていたが、一般に、この山窩という言葉が流行したのは、作家の三角寛の影響が強いといわれる。三角は、昭和7年ごろから、山窩を題材にした著作を発表し、注目された。
2011-11-19 03:12:48⑧山窩という人々が実在したかどうかはともかく、三角の著作によって山窩に対して好奇の目が向けられたり、山窩を蔑視するような意識が当時の人々に広く共有されていたことは確かなように思われる。
2011-11-19 03:12:24⑨『真珠郎』は昭和11年の作品である。横溝正史が三角の本を読んでいたかどうかは不明だが、当時の社会や読者層には、三角の山窩小説を認知している人も多かっただろう。
2011-11-19 03:12:09⑩俳優業のかたわら、自然環境への関心も高い中本賢(アパッチけん)が以前、日本テレビの「遠くへ行きたい」で、自然には次のような種類があると述べていた。
2011-11-19 03:11:56⑪「里」(人間の住居)→「野良」(畑作業の場)→「里山」(山の斜面の段々畑や田んぼ)→「野辺」(墓地)→「奥山」(人里離れた)→「嶽」(高くて険しい山)だそうだ。このうち、里から野辺までが人間の領域で、奥山と嶽が神の領域ということらしい。
2011-11-19 03:11:43⑫だとすると、毎年どこからともなくやってきて、小屋に住み、またどこかへ去っていく山窩の老婆は、定住民が暮らす領域と神の領域の「境界」を往来する存在といえる。一種のマレビトや異界の者かもしれない。
2011-11-19 03:11:28⑬定住民である男と、漂泊民である女との同居生活はまさに、「異類婚姻譚」だろう。この二人のあいだに生まれた真珠郎が、シリアルキラーとして育てられたという設定も、類まれな美少年であるという設定も、真珠郎の異能性をより一層際立たせる効果を持っている。
2011-11-19 03:11:10