愛と生について。

イチムラ&うぷしろん
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愛と生について。

@hsiti_rb

愛の存在を否定するのは人間的だが、その先に愛を見出そうとしない者は死んでいる。

2012-01-12 05:43:29
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb 愛って何でしょう? 愛の価値って何でしょう?

2012-01-12 05:44:38
@hsiti_rb

@SeinUndZimt 生の価値ってなんでしょう?

2012-01-12 05:48:16
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb それは善行の価値だと思います。生きることに値する生でなければ生きている価値はないというのはトートロジーですが。

2012-01-12 05:50:13
@hsiti_rb

@SeinUndZimt 愛を経験した「かのような」俺には不可能な発想です。愛は郷愁を呼び起こします。愛は合一を志向することです。全体的に詩的な世界です。そもそも理性的な発想の不完全であること、心があるとすればその根源を問いただすことに根底があると思っています。

2012-01-12 05:57:12
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb 詩的だ……まあ理性批判も理性の仕事であるということを忘れるべきではないと思いますが。愛=合一への志向の価値って何でしょう?

2012-01-12 06:02:10
@hsiti_rb

@SeinUndZimt 理性批判が理性の仕事であるからこそ、理性は不完全であり、結局定言命法的な発想に根拠を頼らざるを得ない気がします。で、善行が定言命法的であるなら、他の感情全ても定言命法的に同じように肯定しなければそれらも同じように存在しなくなる気がします。

2012-01-12 06:06:51
@hsiti_rb

@SeinUndZimt もしそうなら、倫理が愛に優越する理由がまったくわからない。直感的に命令されたらそりゃ従うでしょうけど。合一への志向の価値は、なんでしょうねぇ。それって価値の価値ってなんでしょうみたいな質問で、合一=価値ですからねぇ。一時期は根拠を孤独に求めました。

2012-01-12 06:10:21
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb 感情は命令できませんよ。「私は怒る(叱るとか声を荒げるということではなく)べきだ」という認識からでは怒りの感情は発生しません。「理性批判が〜」というのはうまい言い方ですね。

2012-01-12 06:10:40
@hsiti_rb

@SeinUndZimt それって誉めてますか?ありがとうございます。「べき」という感情ですか…行動を制御する直感…。うむむ。怒るというのはそもそも「べき」という発想を必要としない気がするのですが、如何ですか?怒りさえあればよい。

2012-01-12 06:15:37
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb ほめてますよ。「べき」は感情でないという点についても同意見です。僕が言いたかったのは「感情を定言命法的に肯定する」という言い方は不明確であるか間違っているということです。「感情(のなにか)を肯定すべし」ということは定言命法である、ということなら意味は通る。

2012-01-12 06:18:10
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb 合一=価値ということは、合一が何にも条件づけられない最高の価値だということだと思いますが、それはどうやって示されるのでしょうね。愛が最高に近い価値を持つということには賛成ですが(ただし僕の考える愛は合一ではない)。

2012-01-12 06:12:34
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb 倫理が愛に優越するということは、倫理と愛が反目する時には倫理を優先すべしということだと思いますが、倫理がそもそも「〜ベシ」という判断であり愛はそうではない以上、倫理の優越は明らかだと思うのですよ。

2012-01-12 06:14:07
@hsiti_rb

@SeinUndZimt 直感を疑うことはできないから、この路線で行っています。実は、僕の思う愛というのも合一というと少し短絡的過ぎます。だいたいですが、個人に立脚し、個人の範囲内で人類の合一と共に、特定の対象と愛を育むということです。うぷしろんさんの想定する愛とは何ですか?

2012-01-12 06:20:32
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb 直観は人間の持つ(多分)唯一の批判能力である理性による批判を経ていない点で理性と同じくあるいは以上に不確かだと思いますが。人類との合一というのも興味深いですね。ちなみに僕は愛は自律的に特定の対象(それは人間かもしれないし抽象的な理念かもしれない)に、(つづく)

2012-01-12 06:24:26

ここで直観と打っているのは「直感」の変換ミス。以下ちらほら。

Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb (つづき)自らの一部あるいは全部を捧げることだと思っています。べつにこれに限る理由はないですが、愛が人間の尊厳あるいは倫理性の一部をなすとすれば有力な選択肢であろうと思っています。ちなみに自律的=傾向や本性に左右されず自分の考えで、かつ(つづく)

2012-01-12 06:25:52
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb (つづき)自分自身も信条のもつ目的から除外せずに愛するというところがポイントだと思っています。長くなっちゃった。

2012-01-12 06:26:37

* * * * *

Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb ほめてますよ。「べき」は感情でないという点についても同意見です。僕が言いたかったのは「感情を定言命法的に肯定する」という言い方は不明確であるか間違っているということです。「感情(のなにか)を肯定すべし」ということは定言命法である、ということなら意味は通る。

2012-01-12 06:18:10
@hsiti_rb

@SeinUndZimt いや、えと、僕が言いたかったのは次のことです。倫理は命令です。感情は愛を含め、確かに志向性でしか有り得ないかもしれない。しかし、人間の行動を考えたときに、余りにも強烈な志向性があったとき、その人は倫理を度外視してもその生を肯定され続けられるかもしれない。

2012-01-12 06:27:47
@hsiti_rb

@SeinUndZimt 生きる上で重要なのは肯定であって、命令ではない。命令というのは、生きる意味が無い場合、その行動を制御する唯一のものとなるが、生に肯定が在る場合、必ずしもそうではないのではないか、ということが言いたかったのです。

2012-01-12 06:29:48
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb そうですね。それがなかったら死んでいるところを感情の力とかで生きる希望を見いだす人もいると思います。でも、システマティックな言い方ですが、「それははたしてどのような点で善いのか」という点についての理由にはならないと思いますね。

2012-01-12 06:29:58
Heidegger the Hedgehog @ti_estin

@hsiti_rb 生きる上で重要なのは(必要であるかどうかはともかく)生の肯定である。それは事実だと思います。しかしそれ以前に「生きることは重要なのか・価値を持つのか・善であるか?」という問いがあります。

2012-01-12 06:31:22