「僕の８辛物語」

@chamcham_ludwig

今日はとても肌寒かった。男は雑踏の中を歩き、突き刺さるような風に肩を竦め、空腹を耐え忍んでいた。幾らか歩くと、燃え立つ様な赤い看板と、鼻を擽るようなスパイスの香りがした。「激辛カリー」男は声に成らない声で呟く。

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その挑発的な如何にも暑苦しい謳い文句に、無意識に店の敷居を跨いでいた。「いらっしゃい。」無愛想な店主が言う。店の中はサラリーマンが一人。この真冬にシャツ一枚になり、帯を緩め激辛カリーなるものを食べている。時折り「す～、は～。」と口を歪め呼吸をする様子が、そのカリーの全てを物語る。

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男はメニューを開き、二番目に手頃な値段のカリーを注文した。「野菜カリーですね。辛さは如何します？」店主が得意げに続ける。「市販の辛口が3辛低度です。うちは10辛まで有りますよ。」男は兎に角温まりたかった。「8辛で。」あえて慣れた様な調子で言う。

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店主は渋る。「辛いですよ？」男は大きな矛盾を前に憤りを隠さず言った。「カリーは辛いですよ。それに食べ物を出しているお店屋さんではないのですか？それともあんたは、食べれないものを得意げに出すのでしょうか。」店主は詰まらない客だと悟ったのか、黙って調理を始めた。

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カリーが出てくるまでの間、男はカウンターの上にあるポップを眺める『絶対ハマルガーリックチップ』この意外性の無い組み合わせに、店の品位を疑いはじめていた。その横には籠に詰まれたスジャータ。激辛カリーの店にもかかわらず、甘くまろやかにするための計らいに再び矛盾を感じる。

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丁度そこへカリーが出てきた。ゴロっとした野菜が６種類入っている。ジャガイモ、にんじん、オクラ、ブロッコリーにカリフラワー、それにナス。真ん中にはゆで卵が半分に切られて添えてあった。男は鮮やかな色合いに唾を飲んだ。スパイスの香りを鼻から吸い込みながら勢いよくカリーをほうばった。

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「ゴふェ」　吐き出した。「オえっふごウェ」咳き込みながらこの状況を理解しようと勤めた。先陣を切ったのは痛覚であった事は間違いない。口内と唇に切りつけられたような痛みを覚えた。水を流し込みながら、行き着いた思考はこうだ。店主に弱みを見せるわけには行かない。平然を装い間食する。

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恐る恐るもう一口ほうばる。『痛い。熱い。辛い。』男の毛穴という毛穴が開いた瞬間である。直後に胃痛が走った。あまりに早い胃もたれ。店主はサラリーマンの会計をしながら、チラリと男に目を配っては、悦に入っている様子だ。男は店主が目を離した隙にスジャータを開封し激辛カリーにかけた。

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カリーを1／3ほど平らげたところで、ライスが無くなった。男は店主の目を盗んでは、水を注ぎ足す。ライスが無しでは如何様にもし難い痛みであった。悩んだ末、ガーリックチップをライス代わりに食べることにした。噴出す汗と鼻水。気がつけば口を歪ませ、深く息を吸っていた。

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ガーリックチップを噛み砕きながら男は胃痛に耐える。悶絶しながら食べ続けること20分。ようやくカリー皿の底が顔をだした。しかし、そこには夥しい数のガーリックチップが沈んでいた。男は気がついていない。いや、気がつかない振りをしている。男の口臭は、有害レベルに達している事を。

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店を出た時、男は汗だくだった。真冬の風は容赦なく男の体温を奪った。電車に乗って帰る際、男は息をするわけにはいかなかった。地下鉄でこの口臭兵器を開放したら、死人が出るかもしれない。ブルブルと小刻みに震えながら、とめどなく沸く唾液を飲み続けていた。

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家に着くと男は腫れた唇と口内を念入りに洗った。汗と冬の風で冷え切ったからだがうまく動かない。胃を抑えながら男はうつ伏せになり舌を甘噛みして痛みをごまかす。小一時間はそうしていただろうか。晴れや痛みが和らいできた頃、ついにその時は来てしまった。

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トイレに駆け込んだ男のモンドコロに小さな稲妻が走った。 『僕の８辛物語』完

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さーせんした