幻想哲学(幻想学)序論・・・テレビの役割とは ~実写映像と虚構映像、およびその愛好者の対立の理由にかんする考察
- L_O_Nihilum
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以下、私のレポートを参照:歌ったり歌を作ったりする作者としての自分に、また聴き、消費し、楽しむ享受者の人間としての立場としてとらえなおしてみるのだ。そう考えた時、「その歌は誰のものなのか」「誰のためにうたわれているのか」という問いをハードに思いつめている歌手は多いのではないか?
2012-01-15 23:44:32音楽に携わるなら、皆そうである。歌う。聴いてもらう。評価される。そして、その歌が面白いから、多くの人に支えられ、インディーズなりメジャーなりでデビューする。そして、歌手としての人生を選ぶ人は、その自分をレーベルに登録しているだろう。
2012-01-15 23:44:54しかし、その地点で彼彼女の歌は自分のものだとは言えなくなっている。それに、人気が出てきてスケジュールが多忙になれば、アイドルによっては「口パク」などといった形で自分の歌を、自分の想いとは離れて(仕事で、だけではなく)振りまくようなことをしなければならない。
2012-01-15 23:45:09振りまけば、さらに知られる。しかし、それはメディアを通したアイドルとしての姿であり、歌った自分からは「気づけば遥か遠くに」遠ざかったものになっているだろう。マスコミもそれのことで取り上げて,スキャンダルになれば上げ足の取り方は尋常じゃないだろう。
2012-01-15 23:45:28そしてイメージで持たれた自分のことをファンから突き付けられ、そういった決めつけの中で、そんな壊れた「誤差を含む不完全な Voc(ボク).」を謳わなければならなくなっていく。
2012-01-15 23:46:02アイドルとしての仕事の中で、つらい、と思い自暴自棄になる例や、その結果自殺する、もしくは姿を消すなんてアイドルの話はよく聞く。 ~以上、私の「初音ミクの執着!と中道」より参照。
2012-01-15 23:46:35テレビが与えるのは表象の表象でしかないのよね。だから、例えば「AKBをテレビで見る」って時、現実にAKBに出会うよりもさらに遠いところから、しかもテレビの伝えるイメージによる其れを知ってしまう。つまり、他者に対するフィルターの数が、実際に会うより多い。
2012-01-15 23:49:56で、ライブとかで見る、っていうのもあれ、フィルターの数は多いよね。だって、向こうの意図のように出されるわけだから。アイドルが愛・ドールとかって皮肉られたりする、つまり人形と言われるのは其れゆえだ。
2012-01-15 23:53:12じゃあ同じシアターを使う「劇」はどうだろう。劇の出演者に対するフィルターは多いと思う。しかし、演じているキャラクター、人物へのフィルターはもっと少ない。演じている人たちそのものの意図が演じるべきキャラになってるわけで、演じている当の世界ではリアルである。
2012-01-15 23:54:50じゃあなんで何度も上映できるの、って、そこで演じる人、という「こちらの世界での現実」での人たちに(劇に出てきている人たちの様なあれこれが)起らないからできるわけです。で、演じているキャラ自体のリアリティは、より大きい。
2012-01-15 23:56:36一番他者のリアリティが大きいのはやっぱし、当人と出会って話せる状況である。相手、つまり他者に触れられる状況。触れるリアリティなのだと思う。
2012-01-15 23:57:20「手紙」がときどき「ネット」より重要視される理由もそのへんがかかわっていると思う。他者のリアリティ、つまり遠い人に声を届けるっていうリアリティが、苦労の分、届くまでの時間の分保管されてるから。
2012-01-15 23:58:14もちろん「ネット」だって、出会う事を憶え、他者と出会おうとする心持を持ったその二人にとって、他者性のリアリティは高い。依然ネットでのコミュニケーションの問題が提示されるのは、届く苦労が減ったことで、使う側のリアリティの自覚が薄れたから。ネットの罪ではなかったりする。
2012-01-16 00:00:46しかしこのようなことから、奇妙なことになぜ「アニメが悪く言われるか」「Jpopが妬まれるか」が妙に片付くのだ。
2012-01-16 00:01:32アニメ等の魅力がわからない人にとっては、また嫌いな人にとっては…いや、そういう体質の人、は、アニメ等の世界がまず「虚構」であることを嫌がる。本のような「読む苦労」も比較的少ないクセに、簡単にその世界の情報が手に入る。それが、嫌。手紙とネットの違いと同じ。
2012-01-16 00:03:50同じく、「Jpopが嫌」とか「アイドルやAKBが嫌」という理由も、このテレビの性質からくる。テレビに映るAKB、ライブで踊るAKBを容易くテレビに映される。テレビの「イメージの」AKBが映る。それは事実「この世界にいる」,私たちの世界にいるAKBを突き放す。
2012-01-16 00:05:11つまり、「AKB」を他者でもなんでもない『亡霊』にしちゃうのだ。だから、リアリティを感じないか、テレビ的なリアリズムが気持ち悪い。それは、アニメキャラの距離感がテレビに映っても少ないのに、現実の人間がテレビに映ると距離感が多い事、要するに、「この世界の人」である僕らの意識のせい。
2012-01-16 00:06:40ハイデガーが僕たち人間存在のことを「Welt-in-der-Sein」(世界内存在)って言ってたのを思い出す。僕は、世界の中にいる一人の人。現実、この空間の中にいる人、っていうこと。つまり、僕にとって一番「近い他者」とは、現実、"同じ世界にいる"他者である。
2012-01-16 00:07:56次に、「劇場の人物」。「虚構(幻想)作品の人物」。ちょっと順番違うかもなんだが、彼らのリアリティも現実の他者の次に近い。何故かと言えば、テレビに映る現実の他者、よりもテレビに映る虚構の他者、の方が"近い"から。"突き放し"が起ってないからなのだ。
2012-01-16 00:10:02その次に近い…ていうか、結構遠いのが、「他者と思わない他者」、「テレビの現実の他者」あたり。そうそう僕がドラマや日本の実写系ドラマが嫌いなのもコレなのだ。だって、広告で「誰々が演じてます」とか言って、せっかく近いハズの「登場人物」を突き放しちゃうから。
2012-01-16 00:12:21じゃあ「声優どうこう」はどうなの、って話が上がるだろうけど、声優の場合はココで恵まれている。声優≠キャラだから。演じるのは声のためだけであって、映像はアニメーションに隠される。というか、アニメが「憑く」(奇跡の誤変換)ことで、声優の声はその時声優ではなくなる。キャラ「になる」。
2012-01-16 00:13:44テレビゲームや演劇に猶更近くなる。…セガのゲーム「NiGHTS」(←大好き)にて、夢の中にやってきた子供はナイツと合体して自分の世界を飛ぶ、という設定があるけど、マジであれみたいなのだ。私はあのキャラである、という状況に、ドラマ以上になりやすい。
2012-01-16 00:14:58