【個人的トゥギャり】佐々木さんのソーシャルメディアについてのツイート
- tyuudoku777
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今日もR25の取材が来たので話したんだけど、モノを買うという行為はモノ自体に興味があるのでなくて、そのモノを売っている人に惚れるかどうかの方が大事。買ったモノを使うたびにそれを売ってくれた人を思いだして温かい気持ちになりたい。
2010-05-26 21:35:37たとえば毎年、福井の田中眼鏡店という素敵な眼鏡のセレクトショップまで空路はるばるいって眼鏡を作るのを恒例行事にしてるんだけど、眼鏡そのものよりも田中さんのご主人の素敵なキャラと美しい接客に惚れてるからが大きい。モノではなくコトなんです。
2010-05-26 21:38:01通販だって、店長のブログを読んだりメールのやりとりでリアル店舗と同じような共鳴とリスペクトの交換はあると思うんですよ。
2010-05-26 21:40:05たとえば花瓶を割っちゃって新しいのを買わなきゃという場面で、急いで量販店とかに行って代替品を買っても何も楽しくない。当面はコップにでも活けておけ、でいつか素敵な店の人と出会って素敵な体験とともにいい花瓶を買える日まで待つ方がいい。物語があればモノは記憶に永遠に残り続ける。
2010-05-26 21:44:44結局ね、モノを買う行為も何かを体験する行為も(農業をするとか)、すべては人と人がつながってそこにどれだけ気持ちよさが生まれるかどうかなんだと思うんですよね。モノはつながりの媒体にすぎない。
2010-05-26 21:50:03だから楽天市場とかで価格競争だけが行われてどの店でも同じようなコモディティ商品ばっかり売られてるのを見ると、ちょっと悲しい気持ちになる。モノって共鳴空間のコンベヤだと思う。
2010-05-26 21:55:43これからのソーシャルメディアは、そういう素敵な共鳴を小さく共有できる場になっていくんじゃないかと期待してるんです。みんなでつながって、どこかの小さな素敵な店をリスペクトし合うような。それでそのお店のビジネスが成り立てば、もうそれでオーケーじゃないかと思う。
2010-05-26 22:00:24長い間表参道のヴィエーレという靴のお店で、イタリア好きの親父が買い付けてきた靴を買い続けた。親父を好きだったんだよね。でも親父は数年前にガンで亡くなっちゃった。でも今でも親父から買った靴に足を入れるたびに、彼の素晴らしさと失われた悲しみがサウダージ的にこみ上げてくる。
2010-05-26 22:04:29モノを所有するってことは、そのモノの向こう側に誰かの顔が見えることだと思うんです。モノを自己実現の記号消費として扱う時代はもう終わって、モノを人と人の接続のインフラとして利用する時代がやってきてる気がする。
2010-05-26 22:14:22