高橋さんと最果さん

言葉の重さと軽さ
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高橋源一郎 @takagengen
「午前0時の小説ラジオ」2「昭和以降に恋愛はない」の1…そもそもの始まりはぼくが選考委員をしている今年の中原中也賞(詩の新人賞ですね)だった。受賞作は文月悠光さんの『適切な世界の適切ならざる私』。確かに素晴らしい詩集だったが、ぼくは惜しくも受賞を逃した別の作品がずっと気になった。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の2…それは大江麻衣さんの『道の絵』という私家版の詩集だった。選考会が終わっても、読めば読むほどいいと思えた。そして、とうとうその中の一遍「夜の水」という詩を、ツイッター上で全文呟いたのだ。反響は大きかった。多かったのが「現代詩を読んで初めて感動した」という声だ。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の3…その中に、文芸誌「新潮」の編集長Yさんのものもあった。Yさんは大江さんと連絡をとり、詩集を読んだ。感想を訊く必要はなかった。Yさんの詩集は、いくつかを削り新作を加え、タイトルも変えて来月発売の「新潮」に載る。新人の処女詩集が雑誌で掲載という例はたぶん初めて。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の4…(変更された)詩集のタイトルが「昭和以降に恋愛はない」だ。このフレーズは、彼女の詩の中からとった。あとはみなさんに読んでもらうだけだ。ぼくは画期的なものだと思っている。同時に、ぼくはこの詩集を読みながら、詩や小説のことばの現状について深く考えさせられたのだ。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の5…ぼくの考えをいう前に、ヒントになることばを少し引用してみたい。どちらも、詩人(ではなく、当人の名乗りでは「現代詩作家」)の荒川洋治さんだ。読書をする人が減ったことについて、荒川さんはこういう。「読書をしないのは、他人への興味がなくなったからだと思う…」
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の6…「本は『自分が書くのではなく、すべて他人が書いたもの』だ。本を読まなくなるということは、他人が意識のなかから消えたためだ。小さいときからだいじにされ、自分は重要な人物だと思ってしまう。その他のことは見えなくなる。自分に体験できないことや、はるか遠いできごとが
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の7…「…本のなかに書かれていれば、関係がないと思ってしまう」。確かにそうだ。さらに、別のところで、荒川さんは、もっと本質的なことをいっている。「いま歌をつくる人たちは、自分が歌をつくることだけに興味をもち、歌をかえりみなくなったように思う。これまでの名歌を…」
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の8…「…そらんじたり、しっかり文字に記すことのできる人は少ない。歌の歴史への興味もうすい。おそらく自分が『濃い』のだ。自分を評価しすぎているのだ。個性というものを過剰に信頼しているのかもしれない。そこからはいいものは生まれない」。重いことばだとぼくは思う。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の9…小説や詩のことばが盛んだった時代と、小説や詩のことばが元気のない時代の差はどこにあるのだろう。ぼくは、荒川さんと同じように、みんなが「自分」に興味を持ちすぎるようになったからだと思う。かつては違った。盛んな時代の小説家や詩人は、「外」に向かって走ったのだ。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の10…彼らは、政治や社会やその他、なんにでも興味を持ち、首をつっこんだ。それに対して、ぼくたちの多くは、「内側」へ入ろうとする。不思議なことは、「外」へ興味を抱いた人たちの方が、自分に興味を持つぼくたちより、ずっと「個性的」に見えることだ。なぜだろう。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の11…それは難しいことじゃない。「外」との繋がりは無数にあって、それ故、その人の数だけ異なって見えるのに、「内」との繋がりは一つしかないからだ。自分では「個性的」と思っているのに、外から見ると、ぜんぶ同じにしか見えないのだ。そして、そのことを当人は気づかない。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の12…ここで重要なことがもう一つある。小説家や詩人が走った「外」とは何だろうということだ。社会、政治、愛、家族…それらはもちろん、そう。だが、意外なものが「外」にある。それが「自分がしゃべることば」だ。口語といってもいい。それは「外」にあって変化するものなのだ。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の13…小説や詩は、危機の時代には、ことばを革新した。というか、流行りの口語を導入した。それは、目で見える「社会」でもあるのだ。紀貫之から太宰治(「女生徒」)、橋本治から吉本ばななに舞城王太郎まで、その例は多い。短歌もまた現代口語を大胆に導入することで生き残った。
高橋源一郎 @takagengen
小説ラジオ2の14…だが詩だけが、というか現代詩だけがその導入に失敗したのではないだろうか。ぼくは一ファンとして、現代詩の不振の最大の理由はそこにあると思っている。「書かれるべき詩」が書かれていない。みんな「内」しか見ていない。そこにはいまのことばがない。読むべきものがないのだ。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の15…さあ、やっと最初のところに戻ってきた。ぼくは大江さんの詩が「書かれるべき詩」だと感じた。そこには、「外」がある。「外」への興味があって、いまそこで話されていることば、それを話している現実の人間がいる。詩人じゃない、現実の人間だ。そっちの方が先決だよ!
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の16…去年の中原中也賞は川上未映子さんの『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』という詩集だった。「詩壇」での評価は、よくわからないが、せいぜい「いい詩集の一つ」だったと思う。っていうか、ほとんど論じられなかった。変だとぼくは思った。ぜんぜんわかってない。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の17…ぼくは素人だから、好きにいわせてもらうけれど、去年、「外」に向かっていた詩集は、あれしかなかったじゃないか。だから、№1でオンリー1です。どのジャンルでも、ほんとに優れたものは、年に一つか二つだ。去年の詩集は、川上さんだけでしょ。「外部」の考えでは。
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の18…今年は、大江さんの『昭和以降に恋愛はない』だ。他の詩集も読んでいるけど比較にならない…というのは、「詩壇」的には通らないのか。そんなことは、どうでもいいや。読めば分かると思うから。そして、これは、詩だけの話じゃない。小説も同じなんだけど。というわけで……
高橋源一郎 @takagengen
「小説ラジオ」2の19…「昭和以降に恋愛はない」の話はここまで。短く、短く、しゃべろうと思ったら、ほんとに短くなっちゃった。乱暴な言い方でごめんね。ほんとうは、もっと繊細に語るべき問題なんだけど。で、最後に、やはり例が必要だ、ということで、大江さんの詩をツイートします。
最果タヒ(Tahi Saihate) @tt_ss
最果タヒは高橋さん@takagengen の言葉にちょっと傷ついたなう☆内か外かどっちか見なければならないのだろうか、私は空洞を見てきたし、これからも空洞しかないけど。私はネットの言葉を使ってきた。詩人と呼ばれると違和感があるけど、ネット世代と呼ばれることにはなんら違和感はない
最果タヒ(Tahi Saihate) @tt_ss
もともと私はネットから出てきた詩書きだし、ネットの言葉をつかうのは当然だ。ネットは無責任であることを許容する場所だから、目的や目標がなくても、文章が書ける、完成すらしなくていい。そうした場所で、人は意味にがんじがらめの言葉から解放されて、意味がつく以前の原始的な言葉に出会える。
最果タヒ(Tahi Saihate) @tt_ss
だれかに読ませるという責任から解放された無責任な言葉は、問題も生むだろうけれど、人の意識が表現される前は混沌としているのと同じくして、言葉たちも混沌に戻って行く。そして、生のままの意識の中を泳げるのはそうした言葉じゃないのだろうか。だから私は「詩は偶然できるもの」と書いたんだ。
最果タヒ(Tahi Saihate) @tt_ss
別冊少年マガジンの再来月に出る号にのる「くるーん!」の詩も、自由だったよ。私はいまの人間だから、いまの言葉だよ。なにも見てないから、内でも外でもないけれど、それそのものがネットの言葉だと思ってる。
最果タヒ(Tahi Saihate) @tt_ss
なにかを伝えたいなんて思ったことない。理解も求めてない。絶望もしないし、幸せを与えるつもりもない。なぜ書くの?ではなくなぜ書かないの?生まれたときにもう書くための用意が施されている世界なのに。思考回路に一つも言葉がない人なんていない。
最果タヒ(Tahi Saihate) @tt_ss
そうだよ、思考回路に一つも言葉がない人なんていないんだよ。それだけで、十分じゃないのかといつも思う。
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コメント

murashit @murashit 2010年5月27日
最果さん自身による、その後の発言まとめ http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100527/p1 また、今回は省きましたが、高橋さんが引用していた大江さんの「夜の水」はこちら。 http://togetter.com/li/8190
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