西村清和『プラスチックの木でなにが悪いのか』をめぐる議論・その2

やはりすでにカウンターきとる。 / “西村「プラスチックの木……」書評への批判を受けて。 - 山形浩生 の「経済のトリセツ」 Formerly supported by WindowsLiveJournal” http://t.co/lUctUBxN
2012-01-21 21:12:06
@zmzizm やっぱちゃんと「同じ」という意味をしっかり使わなければならないよ。その点でもともとの西村先生の書き方は明らかにまずいよ。
2012-01-21 21:18:06
たとえば、素粒子レベルに同一の対象を複製できるスーパーゼロックスマシーンがあったとして、ここにモナリザの絵があって、それを複製しました。どっちがどっちの複製ですか?と聞かれれば後者が複製だということになる。
2012-01-21 21:33:45
最初の2行くらいで、山形氏は反論の要点は把握してないのでは?と思いつつ、ざっと読んでみたが、やっぱりそうだった。「だからといってなぜ悪いのか?」は論点たりうると(西村本読んでないでいうのはあれだが)思うのだけど、その論点にたどりつけてないと思う。
2012-01-21 21:57:24
反論書評を読む限り西村本では、ある対象を「本物と人間には区別できないプラスチックの木」として経験することと「木」として経験することは違うよ、と述べているように思える。だから「ダメ」と言えるのかどうか?それについても説明の仕方はいくらか想像できるが、これは読んでないからわからない。
2012-01-21 22:00:32
芸術作品は四次元ワームだよっていえば、物理的な基盤のもとに、ある時点tにおいて同一な作品でも、異なるカテゴリーに属し、異なる美的判断をしても良いって言える。
2012-01-21 22:02:51
あと“「プラスチックの木はなぜ悪いのか?」→「プラスチックの木は「悪い」というカテゴリーに属するから」”というまとめ方は単に誤読なのではないか。「プラスチックの木が属しているのは『木』カテゴリでなく『プラスチックの木』カテゴリに属している」という話のはずだ。よね?
2012-01-21 22:05:27
ただ、だからダメというのはどうか?とは思うわけですよ。山形浩生がツッコミたいとこもそこだと思うんだけど。両者が同じ経験を与えてくれるから代わりになりうる、という考えが美的にまちがいである、ということなのかな?それならよくわかる。
2012-01-21 22:07:01
@honde_ju ですね。カテゴリの話の返し方とか全然話しが違っっちゃてるし。もっとも西村清和の本読んでないので、あまり断定的なことは言えないけど。
2012-01-21 22:10:44
@zmzizm それはフォルマリスト的な立場としてはシンプルに扱えるけど、問題は自然なものと、そうではないものが異なるカテゴリーに属しているという立場を擁護するのが困難。
2012-01-21 22:13:33
@honde_ju 山形氏は、直感的なレベルで区別できなかったら経験は一緒でしょうが、って言ってるわけだけど、人間が何かを認識する時に、直感的な情報のみで判断するわけじゃないでしょ、というのはアートに関わる議論の基本で、要するに便所にある便器と美術館にある便器は美的に異なる。
2012-01-21 22:15:10