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観念的なアートとしての建築と、問題解決策としての建築を同列に講評することの難しさ。本当は別々に講評したほうがいいくらいだと思っている。
2012-01-25 11:33:02学生が観念的に作っているものに「構造がない」とか「住みにくい」といったところで無意味。「アート」なのだから「世の中の有り様を示すもの」として強度があるかどうかだけを議論すればよい。
2012-01-25 11:34:27こういうとき面白いはパラーディオかよ、とツッコミたくなるようなバリバリのフォルマリスムで「建築としての建築」あるいは「建築のための建築」を作って第3の立ち位置を示してくる学生。自覚していないが、戦略としては実はスマート。1970年代なら評価されたかもね、とコメントしておくなど。
2012-01-25 11:38:23でも結局、並べてみると人気があるのは派手な「アートとしての建築」で、次が地味な「問題解決としての建築」で、一番人気無いのが意味不明に映る「建築としての建築」という、社会の縮図となるw
2012-01-25 11:44:23建築学科の講評会といっても先生方が投票すると最後は人気投票になる。論理ではなく好み。選挙に行く時と同じで見事なまでに日本型民主主義の縮図である。
2012-01-25 11:47:02でもそれを否定しても嘆いても仕方ない。そのシステムでスタンスを定め、うまくポジションをつくる練習をするべき。社会でも同じなので。同時に、どういうシステムならよりよい社会になるかを自分なりに構想し、提案する批判精神が必要。
2012-01-25 11:50:17意味ないのはただの吊るし上げ(それでいいのか)とか、ボイコット(来ない)とか。でも実際の世の中はそんなので溢れているのもまた現実。
2012-01-25 11:51:51以上のような講評会システムの観察から言えること。卒業設計で目立ちたければアーティストになりなさい。細かいことに囚われず、観念で勝負しなさい。ただし、世の中の有り様を示すような強度がないとただのゴミになるという覚悟があるならば。
2012-01-25 11:55:59問題解決策としての建築に興味があるならば、横で繰り広げられるアーティスト競争には目もくれず、妥当性を正しく提示し、また強化できる目を養い、腕を磨きなさい。社会に実際に役に立つのはこのスタンスです。ただし、講評会で上位に選ばれるという虚栄心はきれいに忘れなさい。
2012-01-25 11:58:03もし、建築が好きで、社会の動向に期待できず、人前に建つのも苦手で、また自分の影響力に自信もないならば、建築家のために建築を作りなさい。ただし、君のことを評価してくれる人は仲間だけだと覚悟しなさい。
2012-01-25 12:00:43ちなみに1970年以後は問題解決としての建築=ソシキ・ゼネコン派と建築のための建築=アトリエ派が分かれ、ビルバオ・ショック後はアーティスト派が台頭した。2011年以後はどうなるのだろう。
2012-01-25 12:05:29というのが個人的な問題関心です。アトリエ型で問題解決型のデザインを行うあり方(批判的工学主義=アーキテクト2.0)を模索しております。
2012-01-25 12:07:26