「広場」について。

日本はどこに向かおうとしているのか?日々行われている脱原発デモと、都市構造&パブリック・スペースの関係について。パブリック・スペース=広場について再考察。
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TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

広場について。ヨーロッパでは教会を中心とした広場から都市が広がっている。どんな小さな村や町でも中心部には教会が存在する。これはキリスト教の国々に限らず、イスラム教国やロシア正教などを信仰する都市構造もほぼ同じである。しかし日本では大規模の民衆が集える「何もない広場」は皆無に近い。

2012-01-25 16:10:46
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

日本の「広場」と呼ばれる場所は、遊具やら植え込みやらがいっぱいで、本来、人が集うべき場所である広場が、いつも何かで占拠されている。人々はただ広場に行くのではなく、公園の遊具や、野球観戦に行ったりと、広場へ行く目的が明確にある。日本では「何もない広場」は存在価値がないのだろうか?

2012-01-25 16:12:16
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

ヨーロッパでは暇なとき、誰かに会いたいとき、ふらっと広場に行くことがあるそうだ。ヨーロッパの広場では、大道芸人がパフォーマンスをしていたり、大声で自分の考えをスピーチしていたり、自ら音楽を演奏していたり。誰かと出会って突然に議論が始まることも珍しくない情報交換の場所でもある。

2012-01-25 16:13:46
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

何の目的もない、何の機能のない、何もない空間が、本来あるべきパブリック・スペースの定義ではないだろうか。ニュートラルな場所であるからこそ、自然と人が繋がることができ、創造的な何かが生まれてくる。限定された目的や機能を持つ「広場」は、本当にパブリック・スペースと呼べるのだろうか?

2012-01-25 16:15:46
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

寺山修司の名言「書を捨てよ、町に出よう」。何も目的を持たずに、ふと家の外に出ると、新しいコト、モノ、ヒトとの出会いがある。新しい土地に行くとチューニングしやすいけれど、いつも自転車で通り過ぎるだけの道をゆっくり歩いてみるだけでも、いつもと違う発見、新しい出会いが待っている。

2012-01-25 16:18:28
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

仮に目的を持っていても、無駄な回り道をたくさんすることがある。しかしそこから新しい発見や出会いが生まれ、本来の目的以上のものを得ることがある。こういったセレンディピティは誰もが体験したことがあると思う。セレンディピティは偶然でなく、本来の人間のあるべき自然な姿なのではないか?

2012-01-25 16:19:42
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

海外と違い、日本で大きなデモが発展しにくい理由のひとつは、こうした都市構造にもあると思う。日本の都市には様々なイデオロギーを持つ民衆が集まり、昼夜問わず議論できる広場が皆無である。限定された目的や機能を持たないからこそ、その場で新しい思想が作り上げられ、次時代を自由に創造できる。

2012-01-25 16:22:40
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

歴史を振り返れば、かつて日本にも「何もない広場」は各地に存在していた。戦後の日本は経済発展を最優先したために「何もない広場」=「セレンディピティの場」は去勢されてしまった。「震災からの復興」という共通意識を持つ、今だからこそ「何もない広場」を日本各地に復活させてほしいと強く願う。

2012-01-25 16:24:06