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茂木健一郎 @kenichiromogi
しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!
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アカデミー賞にノミネートされた短編映画  ルーシー・ウォーカー監督『津波と桜』 桜についての映画を撮ろうとしている時に地震が起こった。 http://t.co/EhGyehFZ
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ヤクルトからコーヒーへの、黄金のリレー完成!
茂木健一郎 @kenichiromogi
「連続ツイート」をお届けします。文章は、その場で組み立てながら即興的に書いています! 本日は、ひさしぶりにネットのことについて!
茂木健一郎 @kenichiromogi
つそ(1)相変わらず、フェイスブックをやる気がしない。こんなことでは行けない、と時々行ってみて眺めてみるのだが、やはり意味がわからない。なぜそう感じるのか、私はツイッターが中心なのかということについて、今ふたたび考えてみたいと思う。
茂木健一郎 @kenichiromogi
つそ(2)まず確認したいことは、自分が感じていることの総体は、すべて言語化されるわけではないということである。ツイッターにしろフェイスブックにしろ、そのメディアをどう感じるかというのは自分の無意識の総体であって、時々振り返ってみることで初めて不完全ながら言語化できる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
つそ(3)フェイスブックを眺めて感じるのは、ほとんどがirrelevant informationということだろう。何を食べているか、どこに行ったか、あまり知りたくない。そのようなまったりしたつながりの雰囲気は初期のmixiにあったが、ウェットなのがいやになって 止めてしまった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
つそ(4)大切な友人とは、どうせつながっている。というか、塩谷賢にしても、郡司ペギオ幸夫にしても、養老孟司さんにしても、大切な人はそもそもウェブ上にいない。自分のタイミングでメールをしたり電話をしたりすればいいから、いつも空気のようにふわふわしている必要を感じない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
つそ(5)フェイスブックのようなSNSについての本質的な懐疑は、そもそもsocial networkというのは可視化できるものではないということ。本当に大切なつながりは、決して可視化されず当事者たちにしかわからないことも多い。だから、データとしても参考にならない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
つそ(6)一方、なぜツイッターは使っていて気持ちがいいのだろう。つまり、その本質がソーシャル・ネットワーク・サービスではないからだろう。似たような見解は、1、2週間前に誰か(確かツイッターの経営幹部の一人)が述べていた。ツイッターはSNSではない。では、何か?
茂木健一郎 @kenichiromogi
つそ(7)私は、ツイッターはミーム(文化的遺伝子)の流通、出会い、淘汰の場だと感じている。重要なのは「人」という単位ではなく、それを超えた内容である。だから、つながりを超えてお互いに行き来するし、そのドライなダイナミクスが心地よい。トレンドワードはその一つの表れである。
茂木健一郎 @kenichiromogi
つそ(8)LinkedInにしても何にしても、私個人はSNSなど必要としていないと感じる。ツイッターの本質はSNSではないんだ、ということに気づいて、随分あたまの中がすっきりした。フォローは、TLにある傾向がキュレーションされるということと、DMができるということに過ぎぬ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
つそ(9)ネットという広大な海の中で、どこに向かい、何に時間を使うかということは、結局は直観の産物である。ネットアスリートとして、自分の責任で可処分時間を割り当てる。私はその点について案外厳しい基準を持っていて、フェイスブックはその基準を満たしていないということなのだろう。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、「ツイッターはソーシャル・ネットワークではない」についての連続ツイートでした。

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