【雑念幻想】図書館と都会、そして賑やかさについて思う事。
- L_O_Nihilum
- 2319
- 0
- 0
- 0
テクスト読解系の現代思想(所謂ポストモ団)ってノリとウキウキに満ちたものとしてみないといけない気がした。儚いけど、その分アツいものとして。そう受け取らないでなんかの利用素材にしようとすると、必ずスベって"寂れた五月蠅さ"しか残らない気がした。
2012-01-26 22:37:27「私は日本でたくさんのゼロ度のエクリチュールを発見しました。当座の、カネもうけの、ゼロ度のテクストです。」(いしいひさいち描くバルト)
2012-01-26 22:38:17バルトの云う事は、なんか妙にしっくりくるんだよなぁ。現代思想が示すように、多様化の結果、バラバラになったと同時に資本競争主義の消費社会が急速に発達し、特に日本はスクランブル交差する大都会を生み出すにいたった。
2012-01-26 22:39:45けれど、生み出したこの都会のうるささ、ってすごく静かなんだよね。この静かっていうのは、なんというか、まったくにぎやかさを感じない。まったく心というか、気持ちの籠った音や声みたいなものが聞えてこないんだ。"うるさすぎ"て。
2012-01-26 22:42:10だから、都会の空気にある程度なれなれしくなっちゃった後に図書館とかに足運んでみると、コレがすごいんだ(笑)。五月蠅いの。にぎやかなの。図書館だから、最低限の声とか音しか聞こえない。本の開かれ、しまわれ、また本棚から採られる音と、人の足音。
2012-01-26 22:44:08なんだけど、いったん本棚にはさまれるとこれがうるさくなる。”こいつら”がぺちゃくちゃしゃべってるのがなんとなーく分かるんだよ。っていうか、自分がこれもあれも読みたいになってる。つまり、僕の興味を引く魅力的な声が、伽藍のようになって蠢いている。
2012-01-26 22:45:32はっきしいって「うわー!!」ってなるんだわ。しかも、しばらく図書館に行かないでこうして都会人的にしてるとね。いてもたってもいらんなくなって、その日はすぐさま図書館を離れたんだよ。こ~こじゃ本は読めないな、と(笑)。
2012-01-26 22:46:43今は違う。寧ろこっちの騒がしさの良さがちぃとだけわかってきて、図書館に行く方が落ち着くようになってきたんだ。価値あるオト…なんて言うとイカン気がするが、愉しいざわめきに身を窶せるって幸せだよねぇ、なんていう。
2012-01-26 22:48:01こーんなこと喋ってるときに、メルロ・ポンティの着想を思い浮かべなおす。詩人は、木を見ているとき、「木に視られている」って思うらしい。これと同じかな?と僕はピピっと来たんだよね。
2012-01-26 22:49:14詩人の身体は世界と接続されていて、(よく覚えてないんだけど)感動することに力強く慣れている。そいでもって、主客未分化の状態で、見るものと見られるものの共鳴のなかで、どうこう、っていう。
2012-01-26 22:50:41それとおんなじ物が、本棚の大都会にはあるんだなぁと一息。三省堂にハマったのも無理ないですね。うん。大都会の中で、雑林歩けるわけで。
2012-01-26 22:51:42木々、といえば「吉永さんちのガーゴイル」っていう話で、主人公の吉永双葉が、兎轉舎の人に「植物の気持ちが聞えるヘルメット」の実験台にされちゃうお話で。それで、出されたごはんとか食べるのためらっちゃうとかいろいろあるだけど、森に行くと「お祭りみたいだな~」って双葉が感心する。
2012-01-26 22:54:30森の騒がしさを、(機械経由ではあるけれど)彼女はじかに感じ取ってたのか、とびっくりした。あれとおんなじ感覚が、図書館では味わえるし、詩人のようにそこに身を窶せるようになれば、感覚はそこのにぎやかさを落ち着ける場にできるようになる。
2012-01-26 22:56:07というか、そこの静けさに潜むにぎやかさからくる安らぎを覚えてくると、いかに大都会の消費のためだけの、広告に充ちた、無感情で、無情で、乾燥した、しかもこちらに迫ってくる灰かぶれの様な都会の音の、何と空虚で、静かなことか。それがわかっちゃうんだよね。
2012-01-26 22:58:41#ぼくのかんがえた最強のとしょかん 耳を澄ますとそれぞれの本から声が聞えます。音楽も流れています。歌声だって聞こえたりします。勿論、オーディオ機器が供えてあるわけでも、スピーカーがあるわけでもありません。そこでは言葉が妖精になって飛び交うのでございます。
2012-01-26 23:00:30@L_O_Nihilum 詩人でもあったかもしれませんがアンドレ・マルシャンという画家の言葉だったと思います(細かいですが)
2012-01-26 23:03:19昨日購入した2冊の本…「ビブリア古書堂の事件手帖」を読んでいるのですが(ワリとさくさく2巻中間まで進んだw),この御話に登場する古書堂に住んでいる「篠川栞子」さんの本虫っぷりは、そういう意味ではよく分かるなぁ、なんて思ったり(しかし相当アグレッシブで執念深くもあったりw)。
2012-01-26 23:05:12自分はゲーム好きでアニメ好き、というような点もあるけれど、こういう本が大好きっていうところにいる人の気持ち、今ならなんとなく理解できる気がするんです。ていうか、ビブリア絶対騒がしい。栞子さんは読むとき鼻歌が出てしまう(ネタバレ)らしいが、それ多分本から聞こえてるの歌ってるんだわ。
2012-01-26 23:07:23そこで、生きた文章を生きた文章として、もはや静止しない生命として読むことができるって、幸せだなぁと思う。なんか、なんつーか、行間に充ちた、余裕のある、ゆっくりした、強度ある人生というか。
2012-01-26 23:09:22…図書館とか古書堂の話はこの辺まで。で、ちょっとここで「本当のにぎやかさというか…世界感覚のよさってなんだろなー」って思ったりしたんだよね。ZUNがよくゲームの事語るとき。もしや彼も、ゲームが持つ「お祭り性」(にぎやかさ)を目指してるんじゃないかと。
2012-01-26 23:11:22ZUNが言う「ゲームのつまらなさ」ていうのは今僕が語った「都会の寂しさ」っていう残響に近いよねぇ,と。つまり、宣伝みたいな喧伝に充ちてて、なにも聞こえてこない淋しい世界と言うか。灰だらけ。それがゲーセンや家庭用のゲームに充ちたら、哀しいだろと。
2012-01-26 23:12:32そういう、心籠ったざわめきと言うか、にぎやかさ、あざやかさというか、お祭り性っていうものが、いつかなくなっちゃったらさみしいよね。と、ゲーマーやオタクに向かってZUNがおまけテクストで呟いていたというwww。
2012-01-26 23:14:02東浩紀先生の「動ポモ」のような消費論の話は、その視点から見れば悲劇の物語なんだよね。そうしたにぎやかさが世界から消えた、寂謬感だけが覆い尽くされた消費社会のすがた。人々は商業の歯車か、再生産の家畜でしかないという。
2012-01-26 23:15:44さてと続き。そんな消費社会、寂謬感しかない五月蠅い都会に比べて、オタクの部屋の、なんと静かで、かつにぎやかだろう事。ゲーム好きな人だって、家にたくさんのゲームを飾ることで、自分の家をパサージュの如くにしてしまうことの、何と通で、粋なことか。
2012-01-26 23:52:28ガンダムオタクのプラモに充ちた部屋。戦車や兵器フィギュア、天文フィギュアをきれいに整理し満たした部屋。愛さえあれば、この部屋、ビブリア古書堂と何の違いがあろうか?
2012-01-26 23:53:25