ナラティブ・アプローチから見た医療情報

斎藤清二先生(@SaitoSeiji)による,「ナラティブ・アプローチからみた医療情報」,「エビデンスは物語から独立しているか?」,「ナラティブ・アプローチは冷笑的な態度ではない」に関する連続ツイート ■関連まとめ 「医療におけるエビデンスとナラティブ」と「心理学におけるエビデンスに基づく実践」について http://togetter.com/li/236616 斉藤清二先生による「物語の視点から見たEBM」~3つのEBM物語~ http://togetter.com/li/241375
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斎藤清二 @SaitoSeiji

「ナラティブ・アプローチからみた医療情報」についての連続ツイートをしてみたいと思います。ちょっと長いのでいくつかに分けて発信します

2012-01-30 14:46:09
斎藤清二 @SaitoSeiji

①“医療崩壊”などの言葉が叫ばれる中、医療者(専門家)と患者(一般市民)との信頼関係こそが、医療改革の基盤となることが強調されている。両者の信頼関係の構築のためには、適切な医療情報の共有が重要である。しかし問題は“適切な医療情報”とは具体的には何を意味するかということにある。

2012-01-30 14:50:02
斎藤清二 @SaitoSeiji

②一般には、医療情報の価値は“正しいか正しくないか“という基準に沿って判断される。もちろん情報発信者の何らかの事情や意図(あるいは無知)によって、“正しくない情報”が発信され、それを情報受信者が鵜呑みにしてしまうとしたら、その害が大きいのは当然である。

2012-01-30 14:52:03
斎藤清二 @SaitoSeiji

③したがって、個別の状況に左右されない客観的な情報の判断基準を整備し、その基準で正当とされた情報を「エビデンスがある」と認定し、“専門家からみた正しい情報”を一般市民に啓蒙するという方略が考えられることになる。しかし私達の日常は、そのような論理によってだけ動いているわけではない。

2012-01-30 14:55:05
斎藤清二 @SaitoSeiji

④本連続ツイートでは、医療情報の共有における“エビデンス”の重要性を十分に認識しつつ、それとは異なったものの見方であり、科学的な思考法を補完する視点である“ナラティブ・アプローチ”について紹介していきたい。

2012-01-30 14:57:21
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑤ナラティブ(物語あるいは語り)とは、私達が日常経験している出来事を、言葉をつなぎ合わせることによって意味づける行為、あるいは意味づけたもの、と定義される。私達は日常このような物語を交換し、交流することによって、情報を伝達し共有している。物語が人間に与える影響は想像以上に大きい。

2012-01-30 15:36:39
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑥例えば「ココアは健康に良い」という健康情報がテレビの人気番組で報道されると、あっというまに全国のマーケットからココアが姿を消すというような現象が現実に起こる。おそらくこの時「ココアが健康に良いというエビデンスが本当にあるのか?」ということは、それほど大きな問題ではないのだろう。

2012-01-30 15:38:35
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑦「ココアは健康に良い」という情報から、「ココアを飲むことによって自分と家族の人生が変わるかもしれない」という物語が喚起され、それが多くの人にとって大きな意味と価値を持つことが重要なのだと思われる。純粋に客観的な情報とは異なる“物語的情報”の特徴は幾つか挙げることができる。

2012-01-30 15:40:57
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑧物語的な情報は、単に“何かについての知識”を伝えるのみならず、“その物語を通して生きる(かのような)体験”を提供する。その体験は強い感情を引き起こし、その物語に応じた行動を人に強いる。物語は「論理的に説明して説得する」のではなく「人間全体を巻き込むことにより納得させる」。

2012-01-30 15:44:39
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑨マスメディアなどで大量に流されている健康情報や医療情報が、視聴者に対して強い影響力を持つのは、必ずしもその情報の客観性・論理性のためではない。むしろ重要なことは、その情報を「誰が、どのような物語形式で、どのように語るか?」なのである。

2012-01-30 15:47:49
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑩社会学者の柄本は、健康ブームを何度も巻き起こしたテレビ番組のシリーズを詳細に分析し、共通パターンを指摘している。それは、1)恐ろしい病気や命に関わる健康被害(例えば癌や心臓病による突然死、ひそかに進行する認知症)が、気づかないうちにあなたに忍び寄っているという“脅し”(続く)

2012-01-30 18:13:01
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑪(承前)2)“科学の専門家”による解説(いかにも科学的に見える実験装置やグラフ、あるいは一般には理解できない専門用語なども用いられるが、その内容そのものはあまり重視されず、むしろ“血液ドロドロ”といった分かりやすくインパクトのある表現が多用される)(続く)

2012-01-30 18:14:25
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑫(続き)3)誰にでもできる手軽な解決法の提示(朝コップ2杯の水を飲むだけで血液はサラサラになるとか、緑黄色野菜を食べる量を今より少し増やすだけで癌が予防できる、など)、といった流れになる。

2012-01-30 18:16:42
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑬視聴者は、1)まず不安を掻き立てられ、2)次に科学を装った権威者によってその情報自体の権威が保証され、3)最後に誰でも実行できる“ほっとするような解決策”を提示されて安心する。

2012-01-30 18:18:55
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑭しかし、同時に視聴者は、このような “偽科学的ストーリー”に一方的に騙される無知な被害者であるとは必ずしも言えない。視聴者もこれらの健康物語のうさんくささをある程度見抜きつつ、むしろその物語への積極的な参与者となることを楽しんでいるとも言える。

2012-01-30 18:20:06
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑭これで「ナラティブ・アプローチからみた医療情報」の連続ツイートをいったん終わります。続きはまた後程書き込みます。請うご期待。

2012-01-30 18:22:35
切り取り線 @kiri_tori

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2012-01-31 14:00:03
斎藤清二 @SaitoSeiji

「ナラティブ・アプローチから見た医療情報・パート2」のの連続ツイートをお届けします。サブテーマは「エビデンスは物語から独立しているか?」です。いまさら?と思われる方も多いとは思いますが、おつきあい下さい。

2012-01-31 14:44:40
斎藤清二 @SaitoSeiji

①EBMとは「個々の臨床判断において、最新・最良のエビデンスを適切に用いること」と定義される。“最新、最良のエビデンス”とは、原則として疫学的な研究結果であり、標準化された批判的吟味をクリアしたものであり、一般には状況や主観から独立した“客観的な情報”であると信じられている。

2012-01-31 14:48:31
斎藤清二 @SaitoSeiji

②しかし、臨床の現場や、メディアにおいてエビデンス情報が伝達され、利用される時、そこには物語的要素は含まれないのだろうか? 少し考えてみれば分かることであるが、エビデンス情報も現場においては、言葉と言葉をつなぎ合わせることによって構成される記述(または語り)として伝達されている。

2012-01-31 14:49:57
斎藤清二 @SaitoSeiji

③例えば、RRR=36%、NNT=33というエビデンス情報は、それだけでは一般の人にとって(それどころか多くの医療者にとっても)意味を持ち得ない。これが意味をもった情報として伝達されるためには、この情報が特定の文脈において解釈され、何らかの「語り」に翻訳されなければならない

2012-01-31 14:52:39
斎藤清二 @SaitoSeiji

④例えば、「このお薬を高血圧の患者さんに5年間飲んでもらったところ、脳卒中を発症する確率が36%減りました」とか、「高血圧の患者さん1人の脳卒中発症を予防するためには、このお薬を33人の高血圧患者さんに5年間飲んでもらう必要がありました」といった“語り”がその例である。

2012-01-31 14:54:25
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑤前者は「この薬は脳卒中を約4割近く減らすことができる」と言い換えることができ、後者は「このお薬を飲んでも33人中32人の予後は変わらない」と言い換えることができる。前者の情報を与えられた人はその薬を飲みたいと思い、後者の情報を与えられた人は飲みたいとは思わない確率は高いだろう。

2012-01-31 15:33:15
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑥しかし、このRRR=36%、NNT=33という客観的な数値は、実は一つの全く同じ研究データから得られたものであるということが分かれば、「エビデンスとは物語から独立した純粋に客観的な情報である」とはもはや言えないということが納得できるだろう(なおこの例は名郷先生の名著から引用)。

2012-01-31 15:35:47
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑦“純粋に客観的な情報”は、抽象的な論理の世界にのみ存在するものであり、私達が生きている具体的な日常世界での情報伝達は、多かれ少なかれ“物語的”であることが避けられない。物語には“唯一の絶対に正しい物語”は存在せず、事象の意味づけは常に多元的である。

2012-01-31 15:38:58