幻想学次論…演じる俳優と処女性、外在世界内他者存在について(アイドル論つづき!!)

今宵の議論をまとめました。 私たちはいつから、他人が不要になったのか。 いや、こんなにも他人で満ち溢れている世の中にいるのに。 http://togetter.com/li/242279 ↑こいつの文脈を踏んでます。宜しければ参考に。
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večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

活きた幻想、死んだ現実。扨て問題。死んだ幻想、生きた現実ということは在りえるか?

2012-01-30 20:51:59
ひさやききゅう @Qwertry_02

千早の声を聴くと最近ミンゴスの顔が浮かんでくる・・・・。春香ちゃんとかほかのアイドルたちだとそんなことないのになぁ

2012-01-31 20:59:31
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

以前僕が問題意識にしていた『声優がキャラクターに隠れること』が、声優を認識することにより少し遠のくことは明らかです。これは、ドラマなんかだととても解りやすく起っていることで、それがまた『キャラのイメージで声優を視る』という処女性の問題にもつながってます。

2012-01-31 21:03:25
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

東浩紀にいら立っていながら、僕は彼を否定しきれない。なぜなら、本で出会った地点でもう影響だってされてるし、それ以前に、今生きてるこの現実が、彼の影響のもとにすでにある。

2012-01-31 21:06:10
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そうしてかんがえると、どうも彼は言いたいこと言えずにポモ完成させてしまったのかなー、と。そしてそれでもてはやされたから自分がそれになりざるを得なかった・・つまり、自分の物語に彼は負けているのでは、と。

2012-01-31 21:08:54
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

まー、なんか電車の中で「ゴーストの条件」読みながら考えたことがこんがらがっていますよ、僕。キャラクターを一人、他者として捉えることのやりづらさ。そこに、俳優がいるという現実を以て、なおもキャラクター、登場人物の方を視るという事。その難しさと、俳優との距離

2012-01-31 21:10:47
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

「千早の声を聴くとミンゴスが出てくるようになった」…ではミンゴスは千早とイコールなのか。そんなことはない。幾度も言うけれどいつでもキャラクターは俳優が同化する対象であり、また演技する俳優を先導する主体でしょう。

2012-01-31 21:12:20
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

声優○○が出ているアニメとしてそのアニメを享受している、とはいかなる態度なのだろう。自分も、フェイト=テスタロッサ(現フェイト=T.H.)の声が水樹奈々と知り、どこかでコレット=ブルーネル(TOS)を想起していましたが。

2012-01-31 21:13:51
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

でも「○○がやっていると知ってみている」だけの場合と「○○がやっていることを志向してみている」場合って違うし、然も「○○が出ていることを志向していることって作品側の御話を享受する邪魔にはならないし。水樹がやっているからと言って、フェイトはコレットたりえない。

2012-01-31 21:15:09
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

何故問題がないのか。品に関する帰属者の帰属の仕方の差異があるのは確か。演技がうまければ、劇団四季がやろうが大西ライオンがやろうが、同じく「シンバ」なのと同じ。ルパンの声がモノマネさんになっても作品は見ることができる。

2012-01-31 21:18:53
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

違和感、これがキャラに対する声の苦情。「この人がやってもルパンじゃない!」みたいな。これは宮崎駿がカリオストロ作った時に「ルパンがコナン(未来少年の)になった」と皮肉られたときのこの皮肉がそうです。

2012-01-31 21:20:13
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

フーコーの用語を利用していうなら、帰属者が違う事で、違う帰属者の作風が反映され、もともとの雰囲気がなくなって見える、という、そういう言明だと思います。千早をミンゴスがやってたのに、ある日から突然水樹に役が回って「これ千早じゃない!」っていう。

2012-01-31 21:22:10
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

極端すぎた話だけどそんな感じです。そう考えると、どうやら、亡霊は演じる側にだけに掛かるのではないようですね。演じられているキャラクターも、(声優が認知されたとたん)その声優を以て彼彼女の声を考えますから、声優側の霊が憑りついてしまう。

2012-01-31 21:24:08
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

で、さっきも言ったけど「キャラ≠声優」です。

2012-01-31 21:24:29
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

つまり、言い換えちゃえば「キャラクターが(お話が始まった当初から)そもそもその声優の声帯のごとき声を持っていた」こと自体が、真実じゃないんです。効果音としてボイスを作る装置・方法が一切無いから(?)、人に役割が与えられているというわけで。

2012-01-31 21:26:03
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

キャラクターを降霊させられるなら、その霊たるキャラ自身に喋ってもらえばいいんですが、あいにく様世界が違うから無理。幻想を視るためには描きざるを得ない。幻想は表象の域を脱しえないのですね。だから、現実にいる声の俳優に演じて、代用してもらっている。

2012-01-31 21:27:22
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

キャラクタさんにこっちに来てもらえないし、来てもらいたくないから、演技でこれを表現している。表現しているという事を隠しておかないといけないから、処女性?…というか、向こう側も声の主を映像に出すことは、基本タブーであることが多かった。

2012-01-31 21:29:04
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

ところが、今は違う。今は寧ろそうした声優への志向が高まっているからか、顔出しする声優は少なくない。なぜそうなったのか、と言う遠因は存在するかもしれないが、今はその話は置いとくとして、声優へのこうした志向が高まることで、その延長線にアイドル声優、声優歌手と言う方法が生まれる。

2012-01-31 21:30:42
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

こんなふうに、営業する側も全面に両方出しちゃうから、なおのことファンは混乱を解決しないまま作品や声優を見て、半ば芸能人的に扱い、ヘタに初女性問題を差し出したりしちゃうんでしょうね。キャラ≠声優っていうのが、どこかで忘れ去られるから。

2012-01-31 21:32:03
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

もっと一般化すれば、幻想、つまり別世界の話と現実世界との話の区別がしづらい環境で、私たちは享受をしている。しかし、その区別がはっきりできていないと、以前の平野綾のような悲劇を起こしかねない。

2012-01-31 21:33:50
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

AKBにおける「恋愛禁止」というのはこれを鑑みた秋本の「政策」である。これは其れゆえに、僕の嫌がるところのものである。なぜなら、AKBを視る、ということはその亡霊を享受するという事。AKBの少女たちを視る、その歌を聴く、受け取ることをやめたうえで享受することを指す。

2012-01-31 21:35:25
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

つまり、「アイドル」としてモノ化することで楽しんでしまっていて、その子たちの歌を聴かせてもらえていない。というかそういう「売り手の都合のいい状況」を肯定させるべく、秋本がその人間らしさ、他者性を少女たちからそぎ落としているように見えるんです。

2012-01-31 21:36:25
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

AKB恋愛禁止。つまり、女の子であれば普通にするはずの恋愛を、AKBである限り禁止する、人間らしく行う事を制限するのです。亡霊のAKBは本当に活動しているAKBではないし、その区別がしづらくなっているのが問題なのに、その問題を正当化して推し進めている。

2012-01-31 21:37:34
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

区別できないならそれでいいジャン的状況なんですよ。声優の話にかえれば「千早を演じるものは結婚禁止」とか言ってるようなもの。これは、無いですよ。こっちが受け取って決めつけた者の通りに徹底的にしなければ、AKB追い出すぞ、なんてただの脅迫もいい所。なんで彼女らそれが楽しいのか。

2012-01-31 21:39:00