明治憲法も皇室典範も教育勅語も、歴史・伝統に則して思いを排除して紡いだもの
そもそも、明治憲法も、皇室典範も、「古来の伝統・慣例」を凝視し、それが確実に守られるように限定的に記述されたもので、その解釈は「古来の伝統・慣例」=「祖宗の統治の洪範」に照らして行わなければならないというものでした。こういう立場を歴史法学、あるいは英米法の立場といいます。
2012-02-02 20:04:13教育勅語も同様です。帝国憲法・皇室典範・教育勅語を実質的に起草するのは、井上毅です。この国の伝統・歴史的文書に通じ、大陸法と英米法の両方に通じ、英米法的に歴史・伝統に即して私信(思い)を排除して淡々と紡がれるのがこの3つの法典です。しかし、井上毅は亡くなってしまうのですね。
2012-02-02 20:06:44井上毅という人は、法制におけるヤマトタケ(日本武尊)さんのような人なんですね。でも、精も根も尽くし果てて亡くなってしまう。残された伊藤博文やその周辺は、法制については一段落ちる。そこに、薩長の「思い」が入り込んできて、ドイツ式運用に転換してしまう。つまり、「思い」で解釈してゆく。
2012-02-02 20:09:03東京帝大の法学部も、その後一切、歴史法学的アプローチをやめてしまう。富国強兵の為の教条的解釈、制度創設的立法という、ドイツ式法令運用一色になって行くわけです。つまり、「欧米の最先端のマニュアルに飛びつく」という教育・行政に染まってゆくのですね。
2012-02-02 20:11:40教条的解釈、制度創設的立法という、ドイツ式法令運用一色というのの理由はおそらく・・・。 1.井上毅は薩長ではないから中立的に解釈できた。しかし歴史法学をつきつめると薩長はおかしいとなるから 2.教条的解釈・制度創設的立法は官僚や政治家の権限・利権が多い 3.ドイツの破竹の勢い
2012-02-02 20:14:05その後、法令といえば「上からの近代化の為に何やってもいい」みたいになって行くし、あらゆる仕組みを全部法令化・マニュアル化すればするほど「よくなる」みたいになって行くし、その延長線上に、国家総動員体制(1940年体制)という名の「統制経済(国家社会主義)」の肯定になって行きます。
2012-02-02 20:20:40戦後は、公職追放で開いた穴を左翼が埋めたこともあって、ドイツ式解釈はマルクス主義的解釈にさらにパワーアップ。東大法学部は、「近代市民(笑)」の巣になり、そういう「思い」満載の人材ならぬ「人罪」ばかりを供給するアジトになる訳です。この構図は今も全く変わりません。代わった所は・・・
2012-02-02 20:28:05冷戦修了後、マルクス主義的解釈を表に出すと、さすがに世の中から「東大いらね」と言われてしまうので、赤い色を脱色して「市民色、エコ色、ジェンダー色」などに変化させます。今話題の「女性宮家」なんかが典型ですね。だれも共産革命だと気が付きもしない。こういう細工が巧みになります。
2012-02-02 20:30:53「市民色、エコ色、ジェンダー色」なんていうのが「隠れ共産主義」だというのは、実はカラクリがあります。共産主義、マルクス・レーニン主義には先祖があって、その正体はフランス革命時の「ルソー主義」に至れるのです。脱色は、マルクス理論をルソーに遡り、趣旨を変えない別の表現にすれば達成です
2012-02-02 20:36:31戦後の社会科の教科書には、ルソーは神様のように書かれていますし、教育学部ではルソーのエミールなどを、教師の卵に刷り込んでいます。つまり、戦後の学校では「ルソー的」=「正しい」となっているので、ルソー風にマルクス主義を表現すると、「なんとなく正しい感じがする」演出が可能です。
2012-02-02 20:38:36そして、書きたくはないのですが(以下、情弱はみちゃだめだよ・・・) いや、やめておこう。そこは、過去のツイートから「悟って」下さいね。民族風左翼がたくさんいる、ということ。また、国家社会主義は日本の伝統でもなんでもない、ということを指摘して、シリーズを終了いたします。
2012-02-02 20:51:07