宮台真司による映画『告白』分析

社会学者・宮台真司さんによる、中島哲也監督・湊かなえ脚本『告白』(東宝配給/2010年6月5日公開)についての分析まとめ。ネタバレなし。
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宮台真司 @miyadai

湊かなえ原作、中島哲也監督『告白』を試写で見ました。期待を大きく超える素晴らしい作品です。『嫌われ松子の一生』で大々的に展開された中島監督の方法論が、そのまま再利用されています。『松子』も「これは映画じゃない」という否定的意見が沸騰して賛否両論でしたから、『告白』もそうなるかも。

2010-05-29 08:47:30
宮台真司 @miyadai

08年に本屋大賞を授賞した原作をお読みになった方は多勢いるでしょう。前年に小説推理新人賞を受賞した「聖職者」という短編を核として、「聖職者」森口悠子先生以外に、森口先生の娘を殺害した犯人A(修哉)と犯人B(直樹)そしてAを“庇護う”美月らそれぞれの告白短編から構成された小説です。

2010-05-29 08:47:46
宮台真司 @miyadai

中島監督独特の方法論とは、CF制作を通じて磨き上げた「圧縮化⇒距離化⇒寓話化」の利用です。第一に、15秒CFのような圧縮表現が、登場人物の主観や関係性や設定に没入することを妨げ、それがジェットコースター・ムービーの印象を与えます。若い人々の受容能力に合わせた適応表現でもあります。

2010-05-29 08:48:49
宮台真司 @miyadai

第二に、圧縮されたエピソードの連接が、没入を妨げるだけでなく、「あれも1コマ、これも1コマ」という具合に、何か不可視な怒濤の如き抗い難い全体の流れの中の、一部なのではないかと感じさせます。この全体は、家庭環境や教室環境といった小さな何かではない。「もっと得体の知れない何か」です。

2010-05-29 08:50:27
宮台真司 @miyadai

第三に、こうした不可視の全体性への触知が、個別の「浮き」「沈み」への注意の集中を解き放ち、観客をメタ的なパースペクティブ(視座)に立たせます。かくして観客は「〈世界〉ってそんなもの」「〈社会〉ってそんなもの」「〈人生〉ってそんなもの」といった寓話的印象を持ち帰ることになるのです。

2010-05-29 08:51:12
宮台真司 @miyadai

ちなみに「寓話的」とは「〈世界〉は確かにそうなっている」という触知を与える性質です。ただし「〈世界〉がどうなっている』のかをシンボルでうまく名指せず、ベンヤミンの言葉で云えば「くだけちった瓦礫の中に一瞬だけ浮かび上がった星座」のようにしてしか触知が与えられないものが、寓話です。

2010-05-29 08:51:46
宮台真司 @miyadai

かかる寓話体験を通じて、『松子』の観客は「幸せは本当に幸せか/不幸は本当に不幸か」という、日常の自明性とは異なる着地面に着陸した。『告白』の観客は「悪は本当に悪か/善は本当に善か」という、日常の自明性とは異なる着地面に着陸することになる。だから最後の「なぁんてね」は符牒なのです。

2010-05-29 08:52:37
宮台真司 @miyadai

こうした記述であっと思い出される方も居られるでしょうが、かかる表現方法は一つの型なのです。例えば『オールド・ボーイ』や『親切なクムジャさん』で知られる韓国のパク・チャヌク監督が、この種の「圧縮化⇒距離化⇒寓話化」の方法を使います。こうして並べると、両者の違いもまた興味をひきます。

2010-05-29 08:53:52
宮台真司 @miyadai

パク監督作品に多くの観客は小馬鹿にされたとの印象を抱きます。中島監督作品にそれはない。逆に「得体の知れない何か」がもたらした大きな流れの中での「仕方なさ」を前面に押し出すことで、「太郎を眠らせ、太郎の家に雪ふりつむ、次郎を眠らせ、次郎の家に雪ふりつむ」的な包み込みをもたらします。

2010-05-29 08:54:36
宮台真司 @miyadai

この包み込みは、冒頭の教室描写からして既に始まっています。カット割りとは無関係に全体を通奏低音のように一貫してつなぐラルゴ。個々の人物や行動への無関心を装うかのような引きを多様したカメラワーク。全体を包む夕闇迫るがごときほの暗さ。「得体の知れない何か」を予告して余りがあります。

2010-05-29 08:54:56
宮台真司 @miyadai

この文は森口悠子先生の一人称語りに“感染”して丁寧語で綴りました。全体をナレーション風に包む森口先生の丁寧語は、「特定個人」を前に“ほとばしる”感情と、「得体の知れない何か」を前に“仕方なさに打ちひしがれる”抑鬱の、2極性をよく表わます。原作に忠実でありつつ、原作を超出します。

2010-05-29 08:57:03
宮台真司 @miyadai

幸福は幸福か。不幸は不幸か。善は善か。悪は悪か。かかる引いた視線ないしオフビート感覚は、日本的映像表現の伝統です。60年代の米国SFテレビ映画と、同時代の円谷テレビ作品を比べても明らかです。怪獣は、宇宙人は、本当に悪なのか。人間は本当に善なのか。人間は本当に幸せに暮らしているのか

2010-05-29 08:58:11
宮台真司 @miyadai

その意味で、CFに頻見されるジェットコースター的=圧縮表現的な手法を使うものの、日常的な幸福感覚や善悪感覚をかっこでくくったところに現れてくる「もっと得体の知れない何か」に感覚を研ぎ澄ませる中島監督の構えには、かつてのテレビドラマにも満ちていた日本的映像表現の伝統を強く感じます。

2010-05-29 08:59:15