刑法上の故意について

まとめました。
刑法
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故意について①
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
1)秋だから「こい」について語ろうか? ということで刑法38条1項だ。同条項本文は「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」と規定している。故意責任の原則。だが「故意」とは一体何か? 同条によれば「罪を犯す意思」こそが「故意」である。では、これは何か?
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
2)「罪を犯す意思」をまず2つに切り分けよう。「罪」と「犯す意思」だ。このうち、まず後ろの方をやっつける。「犯す意思」とは何か? これは「実現する意思」と言い換えることができる。では「実現意思」とは何か?
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
3)まあ、いろいろな考え方はある。犯罪を実現することへの「意欲」と解することもできるが、一般的には「認識」か「認識+認容」とされる。では、次に「罪」とは何か? 「犯罪」である。では「犯罪」とは何か? 構成要件に該当する違法かつ有責な行為。これが「犯罪」の一般的な定義だ。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
4)では、ここにいう「犯罪」もこれと同じか? 同じと考える方が素直ではある。けれども、ここにいう犯罪は「認識」の対象だ。そして認識の対象は、客観的なものでなければならない。だから、主観的なものは除かれる。行為者の認識・目的や、その認識能力・判断能力・行為制御能力などだ。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
5)では、主観的なものを除いた「犯罪」はどのようなものか? まず、構成要件事実のうち、主観的要素は除かれ、客観的な構成要件要素のみとなる。次に、違法性に関する事実では、そもそも結果反価値論では主観的正当化要素は無く、行為反価値論でも主観的正当化要素(防衛の意思など)は除かれる。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
6)最後に、責任に関する事実は? 責任能力や故意・過失は、主観的な要素だから当然に除かれる。「違法性の意識の可能性」も同じ。では「適法行為の期待可能性」は? これは、時に客観的責任要素などと呼ばれることもある。しかし、これは正しくない。これもまた主観的な要素なのだ。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
7)「適法行為の期待可能性」は、当該具体的状況下において、行為者に対し、違法行為ではなく適法行為に出ることを期待できたかを問うものだ。しかし、ここでは、客観的に存在した具体的状況が問題なのではなく、それが行為者の内心に反映して初めて問題とされる、というのが通説の理解だ。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
8)だから、通説では、客観的に「適法行為を期待できない」状況下でも、行為者がその状況を認識していなければ期待可能性は「ある」とされ、逆に、客観的には「期待できる」状況下でも、行為者が「期待できない」状況を誤信し、かつこの誤信がやむを得なければ、期待可能性は「ない」とされる。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
9)この通説の是非は、ひとまず措こう。ただ、これに従えば、結局、責任要素の中に客観的なものは存在しないことになる。そうすると、故意の認識対象としての「犯罪」は、構成要件に該当する違法かつ有責な事実ではなく、構成要件に該当する違法な(客観的)事実ということになる。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
10)以上により、故意とは、構成要件に該当する違法な(客観的)事実を認識(し認容)すること、となる。そしてこのうち、構成要件に該当する客観的事実の認識(+認容)の部分を構成要件段階に「上京」させたのが「構成要件的故意」で、責任段階(=本籍地)に残されたのが「責任故意」だ。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
11)こうして「構成要件的故意」とは、構成要件に該当する客観的事実を認識(し認容)することとなり、「責任故意」は、違法な事実を認識することとなる。もっとも、後者が「違法性を基礎づける事実の認識」で足りるか、「その事実が違法であることの認識」をも要するかは、争いがある。了
故意について②
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
1)故意は、犯罪事実の認識(認容)。ここに犯罪事実とは、構成要件に該当する違法な事実をいう。「構成要件に該当する客観的事実」と「違法性阻却事由が存在しないという事実」の認識。さらに「自己の行為が違法である」という認識(違法性の意識)が必要かは、争いがある。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
2)判例は「違法性の意識」は故意の要素として必要ないという。これを必要とする説(厳格故意説)は、伝統的な見解だが、いまや人気がない。違法性の意識は不要としつつ、その可能性を故意・過失の要素とする説(制限故意説)や独立の責任要素とする説(制限責任説)が有力だろうか。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
3)厳格故意説に対しては、確信犯の処罰ができなくなるとか、常習犯の処罰ができなくなるなどという批判があるが、当たっていない。確信犯も、悪いことだと知っているから逃げ隠れしている。常習犯も、法を守ろうという気持ちが鈍磨するだけで、にわかに正当だと考え始めるわけではない。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
4)行政犯の処罰が困難になるとの批判もあるが、法が改正されたらきちんと宣伝し、周知させれば問題はない。でなければ、過失犯の処罰規定を設ければよい。周知徹底させる努力もなく、過失犯処罰規定を設けるでもなく、解釈で故意犯の中に無理やり押し込んで処罰しようという方が健全ではない。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
5)ところで、構成要件的故意は、構成要件該当事実の認識を内容とする。では、規範的構成要件要素(法律的事実)を認識したといえるためには「意味の認識」が必要か。規範的構成要件要素は、法律的・社会的な評価と結び付いた事実で「わいせつ」「職務の適法性」などの概念がこれにあたる。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
6)この点「生(ナマ)の事実」の認識があれば足りるとする説は少数で、通説は「意味の認識」を必要とする。例えば、わいせつ図画販売罪では、その図画を「これを売る」と認識するだけでは足りず、その図画が「わいせつ」との認識を必要とし、これを欠けば「事実の錯誤」として故意を阻却する。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
7)ただし「わいせつ」とは、徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう、とするのが判例だが、こんなこと素人である一般人には認識できない。そこで、素人なりの認識の仕方で「エッチだな」と認識していればよいとされる。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
8)構成要件要素は、本来定型的・記述的であることが望ましく、規範的な要素はむしろ嫌われる。しかし、違法性阻却事由の要素は、本来が実質的であり、むしろ規範的なことがふつうである。例えば、防衛行為の「相当性」などは、まさに規範的な要素にほかならない。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
9)では、防衛行為の相当性を誤り、客観的にはやり過ぎの反撃行為を「相当だ」と思ってした場合は、違法性阻却事由に関する「事実の錯誤」か「違法性の錯誤」か? 規範的構成要件要素の錯誤が「事実の錯誤」ならば、これも同じではないか? 「意味の認識」の誤りという点で質的に差異はない。
杉山博亮 @sugiyamahiroaki
10)そしてもし「相当性」の錯誤によって故意が阻却されるなら、これと「違法性の錯誤」は区別できるのか? 自己の行為は「相当である=違法でない」という錯誤ではないか? 制限責任説は美しい説だが、果たして事実の錯誤と違法性の錯誤は限界事例で区別できるのか? 決戦場はここであろう。了

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