二二六事件の流れ

二二六事件を勉強したい方や参考にしたいかたに作りました。自分なりに解説を入れる事が出来る場所は入れたので、「分からない」というかたには分かりやすいはずです。
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俊介@幸せってなんだっけ @SAKAI_SHUNSUKE

原因:陸軍内部の皇道派と統制派の対立

2012-02-06 00:01:49
俊介@幸せってなんだっけ @SAKAI_SHUNSUKE

皇道派…クーデターで天皇親政(天皇が政治を司る権利)を目論む派閥。荒木貞夫と正木勘三郎らがリーダー。北一輝(思想作家)の「日本改造法案大綱」という本がバイブル。

2012-02-06 00:04:49
俊介@幸せってなんだっけ @SAKAI_SHUNSUKE

統制派…総力戦体制(国全体で有る力全部を総動員して行う戦争のやり方)を目標にして大手財閥や官僚たちと手を結ぼうとする派閥。永田鉄山、林銑十郎、東条英機などが中心人物

2012-02-06 00:09:08
俊介@幸せってなんだっけ @SAKAI_SHUNSUKE

なぜ2.26事件が起きたか…もともと水面下で争っていた皇道派と統制派だったが皇道派の青年将校を支持していた相沢三郎という陸軍中佐が先ほど説明した統制派の永田鉄山を殺す「相沢事件」で対立が表面化する。

2012-02-06 00:18:04
俊介@幸せってなんだっけ @SAKAI_SHUNSUKE

そして1936年の2月26日に約1400人の青年将校たちが永田町(国会議事堂,首相官邸)や警視庁などを襲撃、4日間占拠して斉藤実内大臣、高橋是清蔵相や渡辺錠足太郎教育総監を殺害した。

2012-02-06 00:23:12
俊介@幸せってなんだっけ @SAKAI_SHUNSUKE

東京には戒厳令(国土を治める権利を軍隊にさせる命令)が布告されて鎮圧する。その後この事件を知った天皇は激怒して皇道派の人物は厳罰にするように命令する。結局さらにその後に行われた皇道派の人物による裁判では全員が死刑、または禁固刑となった。

2012-02-06 00:32:30
俊介@幸せってなんだっけ @SAKAI_SHUNSUKE

この事件の責任を取って事件当時の岡田啓介内閣は総辞職し、1936年5月に岡田啓介内閣に変わって広田弘毅内閣が誕生した。(終わり)

2012-02-06 00:35:06