「連続ツイート」をお届けします。文章は、その場で組み立てながら即興的に書いています! 本日は、今日という日にちなんで。
2012-02-03 07:51:25おま(1)今日は節分である。子どもの頃、豆を年齢の数だけ食べていい、と言われて、自分は5粒とか6粒で、母親がたくさんだからうらやましかったこともある。その母親も今だったら七十何粒食べなくてはいけないから、もはやそんなにうらやましくもない。
2012-02-03 07:53:03おま(2)節分と言えば、「鬼は外、福は内」である。この日になると、清水博さんに聞いた話を思い出す。「鬼は外、福は内」のポイントは、鬼が軒下あたりまで入ってくるという点にある。セキュリティをがちがちにしてしまって一切侵入しない、というのではなく、コミュニケーションをとるのだ。
2012-02-03 07:54:23おま(4)清水博さんは「場の研究所」を立ち上げられた方。「鬼は外、福は内」という節分の精神に、一つの「場」のあり方を見たのだろう。まくと言っても豆だから、鬼にとってもそんなに痛くない。もともと、私たちはそんな智恵を持っていたのではないか。
2012-02-03 07:56:27おま(5)安全やセキュリティということを完全に追求しようとすると、かえって守られるべき「生命」が窮屈になる。そのことは、私たちが常に経験していることではないか。現代の日本の病理の一端も、「鬼は外、福は内」の精神がなくなってしまったことにあるように思われる。
2012-02-03 07:57:32おま(6)コンピュータのウィルスは確かに怖いが、それを防ごうとウィルス対策ソフトを導入すると、かえって動作がおかしくなったり、ヘンなことになったりする。そんな経験を持つ人も多いだろう。免疫系の設計は高度な技術と世界観を必要とする。中途半端な免疫系は有害である。
2012-02-03 07:59:20おま(7)日本人は生真面目で、ルールを文字通り解釈したり、解釈することを他人に求めたりする。そのことでこの社会がどんなに不自由になっていることだろう。英米法的なカモン・ローならばすむところを、条文主義が行きすぎると、「鬼は外、福は内」の精神が忘れられる。
2012-02-03 08:00:24おま(8)インターネットとグローバル化の波に日本が適応できていないのも、やれコンプライアンスだ、法令遵守だとしゃちほこばっていることと無縁ではない。生命の本質は、正規と逸脱のあわいの中にこそある。youtubeやfacebookは、まさにあわいの中で育ってきた。
2012-02-03 08:02:05おま(9)2月3日は、節分の日。「鬼は外、福は内」とやるときに、鬼が軒下まで来ることの意味を考え直してみてはどうか。開いているからこそ、通りの景色も見えるし、風も入ってくる。鬼さえ入ってこれないような家では、そもそも人間は自由に住むことができないのだ。
2012-02-03 08:03:07