「2012.3.11に向けて」(パネルディスカッション)
- myriel_june
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本日は、福島県男女共生センターで開催された、シンポジウム「2012.3.11に向けて 災害復興における男女共同参画センターの取り組み」に行ってきました。 http://t.co/AISK5PNr
2012-02-09 23:35:35何人ぐらい来ていたのかな。会場はかなりいっぱいいっぱいという感じ。福島県内だけでなく、東京やその他の地域からも人が来ていました。 http://t.co/0aPfVzu1
2012-02-09 23:37:50電波状況が悪くて、実況はできなかったんですが、あとで聞いたら、前のほうに座った知り合いはイーモバでちゃんと2本アンテナが立ってたらしいので、建物そのものが非常に電波の不安定な位置にあるみたいです。わたしの席でもつながったりつながらなかったり。
2012-02-09 23:48:02第一部がパネルディスカッション。コーディネーターは大阪市立男女共同参画センター企画課長代理の沢田薫さん。第二部が政令指定都市の女性センターのリレートーク。おわかりのとおり、福島だけ異質です。県規模の施設。ほかはぜんぶ市。
2012-02-09 23:44:48本日の登壇者は、もりおか女性センター長の田端八重子さん、エルソーラ仙台事業係長の加藤志生子さん、福島県男女共生センター館長の千葉悦子さん(福島大学教員)。写真は開始冒頭千葉さんの挨拶の場面です。 http://t.co/GmLXRK4D
2012-02-09 23:41:54もりおか女性センター田端「最初にもりおか女性センターのこれまでの取り組みについて。女性と防災に関する事業を過去3年間展開。女性の視点に立った避難所運営を地域で目指す。さらに、ペットを持っている人も避難所に入れるようにと。その中でしっかりと事前のシミュレーションをする。」
2012-02-09 23:50:39田端「3月11日は女性センターが執務中に発災。激しい揺れで停電した。IT機器に頼りすぎた仕事をしていることに気づいた。電話もファックスも通じない。足でいくしかない。そのほかの業務も成り立たない。3/14に、NWECへ出張していた職員の無事が確認。3日かかって戻ってこれた。」
2012-02-09 23:51:11田端「岩手県被害の男女別・年齢別データ。60代以上で女性の被害が多い。特に80代以上での被害が目立つ(逆に30代、20代では男性が多い)。ジェンダー統計がないので、担当課で一人一人数えてグラフを作った。阪神・淡路では女性の被害が1000人多かったが、そこまではいっていない。」
2012-02-09 23:53:30田端「岩手の被災状況。沿岸部12市町村すべて被害。面積が広い県なので、内陸(盛岡)から宮古市の沿岸部に行くのに100km。さらにそこから南下して陸前高田へ出るのに120kmというような感じ。そもそも震災直後は燃料がなく、被害が酷い地域へいけない。その中での支援。」
2012-02-09 23:52:44田端「復興のシンボルであった一本松も、塩害で枯れた。数年しないと木は育たないという。(このあとに大槌、陸前高田、大船渡の被害状況の写真あり。)」
2012-02-09 23:53:46田端「「被災する」ということは、前兆なく起こる。突然日常がOFFになる。買い物先で被災して、自分の居住地域と違うところで避難所に入ることもあった。その人は家があるところに戻るのに何日もかかった。」
2012-02-09 23:54:43田端「支援に入る、ということはどんなことか考えた。被災地の回復は重機のパワーによるものではない。人の力の回復が必要。ひとつひとつ、非日常を日常へ戻していくこと。その人なりの、小さなことを、こだわりを積み上げていく。」
2012-02-09 23:55:24田端「男女共同参画の視点について。災害の中で地域が保守化した。性別役割分業も強化された。「家でもヨメ、避難所でもヨメ」という声も。避難所の管理者の立場からすると、「仕切りを作ってほしい」という声はわがままに聞こえてしまうのだという。」
2012-02-09 23:56:02田端「また震災後しばらくしてから、男性ががれき処理の仕事にはいったが、これには対価が支払われる。他方、女性がそのときやっていた食事の準備は無償。女子学生たちがボランティアに入る時も、性被害に遭わないようにとチラシを発行。」
2012-02-09 23:56:58田端「盛岡市の委託事業として、買い物代行と安否確認をした。応急仮設住宅は丘陵地にあるので、高齢者や体の不自由な人が買い物に行けない。その手助け。現在10人を雇用している(今後拡大予定)。買い物利用件数は550件、安否確認を合わせて1000件以上。」
2012-02-09 23:57:56田端「将来は起業につなげたい。女性の経済的自立に向けたステップになる。郵便局へいって、受け取り。クリーニング屋に服を出したり。さまざまなことをしている。個票を作成して、記録も取っている。業務報告をきちんとする。お酒が好きなおじいちゃんには漬け物を届けた。(野菜は嫌いなそうで)」
2012-02-09 23:59:09田端「(2)普段やっていないことは、有事の時にもできない。事前のシミュレーションが必要。(子どもの津波被害が少なかったのはそのため。)ひとりひとりが、避難所になるはずのところに実際に行ってみることが必要。」
2012-02-09 23:59:56田端「(3)防災に関わる専門家の必要性。助産師や、保健師、ケアマネの増員。防災委員に入ってもらう。震災時のジェンダー・イコーリティのために。相談員の養成をやってこなかったことがマイナスになっている。(心のケアの関係)」
2012-02-10 00:00:33エル・ソーラ加藤「手元資料として活動のまとめをお配りしている。話としては、これまでの取り組みの中で感じた、大きい話ではなく、小さい話を中心に。1)被害状況、2)復興支援について、3)まとめ、という流れで。」
2012-02-10 00:09:50加藤「とにかくたいへんな地震だった。30年前の宮城県沖地震とは比較にならない被害。範囲が広く、津波も。沿岸部だけでなく、内陸でもかなりの被害。昭和30~40年代に造成された宅地もかなりやられているという報道。被災の状況が多彩で、分断が深まっている。」
2012-02-10 00:10:32