山本七平botまとめ/愚行を美談としてしまう「情緒的自己満足」

山本七平著「私の中の日本軍(下)」/126頁から引用抜粋。
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山本七平bot @yamamoto7hei

戦場と内地では全く規範が違う。 つまらぬ情緒的自己満足のため無益に兵士を殺した事が逆に人道的行為のように見え、部下の事を考えて最も的確に処理した事が非人間的冷酷もしくは残酷にさえ見える。<私の中の日本軍

2012-02-10 15:21:19
山本七平bot @yamamoto7hei

②「何かのために何かをしてやった」という情緒的自己満足のため人を殺し、それを人道的行為と考える。~略~この論理は実に根強くわれわれの中に巣くっている

2012-02-10 15:51:16
山本七平bot @yamamoto7hei

③赤軍派や学生運動のリンチにもこれが見られるだけでなく、NHKの通信員まで、同じ論理で淡水の工場排水の濃度を廃棄物で高め、この中に魚を入れて無理矢理魚を「虐殺」している。

2012-02-10 16:21:24
山本七平bot @yamamoto7hei

④彼のやった「行為」は魚を殺したということだけで、彼はそれ以外に何もしていない。しかし彼は「環境問題キャンペーン」の為で「基本的に私のやった事は間違いでない」という。

2012-02-10 16:51:18
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤「公害キャンペーンの為」といってむりやり「魚を殺して」虚報を発し、それを「間違いでない」とする考え方は「戦意高揚のため」「百人斬り」という虚報を発し、その結果二人の人間を処刑場に送っても平然としていられる考え方と同じであろう。

2012-02-10 17:21:19
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥結局「何かのために何かをしてやった、それは意義あることであった」という自己満足のためには、虚偽でも虚報でも無差別銃撃でもリンチでも魚の虐殺でも、何でもゆるされるという考え方であろう。

2012-02-10 17:51:14
山本七平bot @yamamoto7hei

本当にゆるされるのかこれが「ゆるされる」とするあらゆる美辞麗句は、実は、人間が戦争をはじめたり、虐殺を行なったりするときに、必ずロにする言葉なのである。 この場合の「人」と「魚」との差は、普通の人が考えているほど大きくはない

2012-02-10 18:21:26
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧「情緒的自己満足のための行為」はそれを聞いた安全地帯の人びとを情緒的に満足させるから、この行為はすぐ「美談」になる戦場の美談の裏側は愚行であると言ってよい。どこの国のどこの戦場であれ、日本国内で美談化されている行為がもしあれば、それはすべて愚行に違いない

2012-02-10 18:51:19