ボスの名言「私は研究が好きで、研究者になってもう30年以上研究者として生きている。そんな私でも締め切り間際でないかぎり家にいるとテレビみたりなんだりして研究できない。今、若いみなさんにとってはたくさん刺激的なことがあるでしょ?なおさら無理。だから、研究室で研究しなさい。
2012-02-11 12:03:22(承前) さきほどのは、「私が研究室にいるからって、私が研究しているかどうかは先生はわからないじゃないですか。Web見ているだけかもしれないですし。だから、家でも、研究室でも一緒です」と言った学生への間接的な返事。
2012-02-11 12:05:18(承前) ボスの発言に加えて言うならば、「じゃあ、大学院なんて入学しないでさっさと論文書いて、投稿しろ。家でも研究室でも一緒なら、研究室所属する必要ないでしょ?」
2012-02-11 12:07:00本があれば教師なんていらない。というのは一面であっている。ただ、大学で授業をする側に回ってわかったことは、本を理解することにも知識と能力がいるということ。どれが重要で外すべきでなく、どれが補足的なものなのかを見分けるにはそれなりの知識が必要。フィルタリングは教師の存在意義の一つ
2012-02-11 12:08:50集合論を勉強するとして、情報系の学生の基礎としてまなぶ集合論の範囲と数学系の学生が基礎として学ぶべき集合論の範囲は違う。情報系なら素朴集合論までで基礎としては十分。でも、図書館にある集合論の本は結構遠くまでやる。どの本が自分に適しているのかを探すのも素人には難しい。
2012-02-11 12:11:21「教科書と同じ内容を授業するならば本を読んでおけばよい」という人は 1) 本を自分で選べる 2) どの内容が自分にとって必要なものなのかを判別できる 3) 必要十分な段階で学習を止められる の3点ができる人はOK.そうでない人は、やっぱり先生から学んだ方が効率良い。
2012-02-11 12:12:59キュレーションなんて言葉が登場したのは、インターネットは教師の代替にならないという証拠。韓非は韓非子を書いた。韓非の教えは韓非子を読めば十分なのでそれに関する教師はいらないはず。でも、韓非子を教える教師は連綿と職として成立していた(はず)。インターネットは教師の補完となる。
2012-02-11 12:15:31発表とか論文とか「物語として成立していない」というレベルだと正直指導ができない。「物語として成立していない」という感覚をどうやってわからせればよいのか。「物語がおかしい」は指導できる。
2012-02-11 12:19:34発表や論文において私が「物語」と感じているのは何か?解決すべき問題、問題解決の重要性、解決方法の提案、解決方法の実現、解決方法の評価、成果の新規性について論理的に説明できているとき、それを「物語」と感じる。
2012-02-11 12:22:38「物語」が成立していないとは、先に述べた要素の何かが欠けている。あるいは、それらしきものがあるけど論理的につながっていないということ。たいていは要素が欠けている。
2012-02-11 12:23:34「物語がおかしい」と感じるときは、たいてい、要素は出そろっているけど論理的つながりにねじれが発生し、筋がおかしい結末へと至る場合。「論理的つながり」というのは、第三者が思考の過程や説明の進め方を確認できる方法で要素をつないでいること。「神の啓示がおりたのでこれは正しいです」は違う
2012-02-11 12:25:21@next49 おぉ。卒研の教官に「論文や発表のストーリー」を意識しろと教えてもらったのを思い出しました。それを意識してから論ずる面白さもでましたね
2012-02-11 12:25:22「物語が成立していない」場合に指導ができないのは、そもそも発表では何を発表すべきかを理解していないため。もちろん、時間をかければ指導できるけど、これらは本に書いてあったり、ゼミのときの他の人の発表を効いたり、以前の先輩の発表資料などを見ればわかる。
2012-02-11 12:26:54(承前) 本人が努力すれば(しかも、当然の努力)をすればわかることをいちいち教えてあげないといけないのは 1) モラルハザードにつながる 2) 他の人の物語の質を上げることに使うべき労力をそんなしょうもないことに使い全体的に無駄 3) 自分の研究が進まない。というデメリットがある
2012-02-11 12:28:37(承前) だから、したくない。博士後期課程~助教3年目ぐらいまでは教えてあげていたけど、教えてあげたわりに感謝されず、かつ、必要性を感じていない学生には迷惑がられたので、今はやらないようにしている。
2012-02-11 12:29:53一連の話をつぶやき始める前に書いたエントリー http://t.co/sufNRkxO に通じるけど、明らかに指導する側と指導される側が双方にメリットを得られるレベルというのが存在すると思う。そこに至らない限り、指導しても無駄骨な気がする。
2012-02-11 12:31:41(承前) ベテラン教員の指導方法が学生からみると優しく(実際には冷酷に)なっていくのは、ここいらへんの見切りが経験を経てすごくなっていっているからだろう。宮本武蔵レベルの見切り。
2012-02-11 12:33:03フィルターとしての教師の話とリンクさせると、本を読んだり、人に聞いたりしてわかることを学ぶために何を読んだり、誰に聞いたりしたらよいのかを教員に聞くのはOKというかそれこそ教員の第一の役割。これをやらない人はダメだろう。教えてもらったら基本的知識を身に着けるのは学生の役割。
2012-02-11 12:34:35(承前) その上で「物語の質」を上げるために教員から指導してもらうというのは学生の当然の権利、教員の義務。「句読点にはカンマとピリオドを使う」「英数字は半角」「スペースも半角」「段落の頭は字下げする」「タイトルの位置は表は上、図は下」というのは教員の義務でなくサービス。
2012-02-11 12:36:21他人の説明を聞きながら物語自体を聞き手が構築するのは難しいので。話にギャップがあるとそこが気になって他に集中できないですし。 @hirokiky おぉ。卒研の教官に「論文や発表のストーリー」を意識しろと教えてもらったのを思い出しました。それを意識してから論ずる面白さもでましたね
2012-02-11 12:39:15これはゼミの先生も言っていたなあ。 RT @next49 一方で、教師が最高!素晴らしい!と言えるかといえば別にそんなこともない。私は学生に偉そうに教えているけど、それは私が教える範囲を知っており、準備しているから。教える範囲を知らず、準備していなければ私は学生と変わらない。
2012-02-11 12:42:20院生時分には「きっと高校までのフォアグラ的教育の弊害があるんだろうな」ってずっと思ってた。まあ、自分も人に偉そうなことは言えないけどね…。 QT @next49: 一連の話をつぶやき始める前に書いたエントリー http://t.co/c7XRJ2V0
2012-02-11 12:55:25