- takeo3dayo
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立派な学者でも「自分が自分の耳に心地よい情報だけを選択的に取り入れている」可能性に無頓着な人は多い。専門の研究では実験や統計などの客観的手続きがそれを常に補完してくれていることを忘れてしまうのだ。
2012-02-12 08:25:04RT @SaitoSeiji: ⑦同じように実行不可能なアドバイスの例をいくつか挙げておく。例えば以下のようなものがよくある例だ。『もっとリラックスしなさい』『気持ちを明るく持ちなさい』『病気を受け入れなさい』。これらをまじめになんとかしようとすると、例外なく『出口なし』の状況に追い込まれる。
2012-02-12 08:25:39「うつなんか気のせい、気にするな」とか言ってる人たちの存在が、まさにうつを生み出し、増やしているということでもあるんだろうな。「本気で」うつを防止したいと思っている人たちとは真逆の存在だからな。
2012-02-12 08:26:57RT @sora_papa: 「うつなんか気のせい、気にするな」とか言ってる人たちの存在が、まさにうつを生み出し、増やしているということでもあるんだろうな。「本気で」うつを防止したいと思っている人たちとは真逆の存在だからな。
2012-02-12 08:27:56まそういう人最近多いみたいですね RT @ynabe39 立派な学者でも「自分が自分の耳に心地よい情報だけを選択的に取り入れている」可能性に無頓着な人は多い。専門の研究では実験や統計などの客観的手続きがそれを常に補完してくれていることを忘れてしまうのだ。
2012-02-12 08:27:59最近ではなくて以前から「外部化された客観的方法を持つ学問をやってる人によくある傾向」だろうと思います。RT @mhfkoh: まそういう人最近多いみたいですね
2012-02-12 08:30:27テレビの討論番組を見て「この論者に共感する」と思った瞬間に「さて自分がこの論者に共感するとはどういうことだろう,自分にそう思わせる文脈はいったいなんだろう,そこになにかの先入観や錯覚はないだろうか」と考えはじめるのが人文学者。
2012-02-12 08:38:31RT @sunafukin99: ブスが美人より人間的に優れているという暗黙の思い込みと同様、バカはインテリより人間的に優れているという暗黙の思い込みはあるんじゃないかと思う。
2012-02-12 08:38:46実験や調査,統計などの手続きで「自説の客観性」が外部的に保証される学問をやっている人と,「自説の客観性が自己内部でつねに批判的に検討されなければならない,それを検討する自分の思考も批判的に分析されなければならない」学問をやっている人の違い。
2012-02-12 08:42:06みんな考えると思ってました。“@ynabe39: テレビの討論番組を見て「この論者に共感する」と思った瞬間に「さて自分がこの論者に共感するとはどういうことだろう,自分にそう思わせる文脈はいったいなんだろう,そこになにかの先入観や錯覚はないだろうか」と考えはじめるのが人文学者。”
2012-02-12 08:42:51(@clock_one)みんな考えると思ってました。“@ynabe39: テレビの討論番組を見て「この論者に共感する」と思った瞬間に「さて自分がこの論者に共感するとはどういうことだろう,自分にそう思わせる文脈はいったいなんだろう,そこになにかの先入観や錯覚はないだろ...
2012-02-12 08:43:22(@tucan)RT @ynabe39: テレビの討論番組を見て「この論者に共感する」と思った瞬間に「さて自分がこの論者に共感するとはどういうことだろう,自分にそう思わせる文脈はいったいなんだろう,そこになにかの先入観や錯覚はないだろうか」と考えはじめるのが人文学者。
2012-02-12 08:43:24「実証科学」の究極的な部分に常にある「もし自分がデタラメなこと言ってるならデータがちゃんと否定してくれるから」というある種の「楽観性」が,その人が専門でないことについて発言する時に悪い方向に働くことはあると思う。
2012-02-12 08:47:13これは重要な指摘。肝に銘じなくては。 RT @ynabe39: 「実証科学」の究極的な部分に常にある「もし自分がデタラメなこと言ってるならデータがちゃんと否定してくれるから」というある種の「楽観性」が,その人が専門でないことについて発言する時に悪い方向に働くことはあると思う。
2012-02-12 08:50:11RT @mixingale: twitterをみていると博士課程〜助教授ぐらいの人に「困った人」はほとんどいないのに教授あたりには「困った人」が一定の割合で存在するような印象を受けます。世代なのかweb出没に係るセレクションの効き方が違うのか周りからの抑止が効かなくなるとそうなるという話なのかわかりませんが。
2012-02-12 08:51:05人文学者なら「自分が院生や助教授くらいの困った人はあまり気にならないのに,教授で困った人がいるとひどく気になって頭に来るのはなぜだろう」と考えはじめる。
2012-02-12 08:51:08なるほど,「自分の目に見えたもの」をまず「自分の認識の問題では」と疑ってかかるのが人文学者なんだな。まさにそれが自己客体化だ。昨日の「イライラしたなら問題発見のチャンス」というのもまさにそのことだ。
2012-02-12 08:53:05心理学は「客観的な方法」をかなり取り入れたとはいえ,学問の根本的なところに錯視研究以来の「人の認識を疑うのが仕事」という要素を残しているのが人文学的なのだろう。そういう意味では「知覚は基本的に正しい」と考えたギブソンが心理学を「自然科学の一部」だと主張したのは当然だ。
2012-02-12 08:55:58データがない場合はとくにそうですね。 RT @toshimaen: 脳科学の人が言う事なんて、ちょっとイイ話にしか聞こえないのですが、、、
2012-02-12 08:56:32@ynabe39 理系の反応としては、その論者が前提としている仮定は何かと言うことを考えます。その仮定が現実を正しく反映していると、その妥当性に賛成できると理系は共感を覚えます。自分の先入観よりも、提出された仮定という存在の方が感情に働きかけてくるのが自分の経験から来る理系かと。
2012-02-12 08:57:02@khideaki その「妥当性」は「印象」ではなく先行研究などの研究史とデータとの整合性によって判断されますよね。それが「外部化されている」ということです。まあ「研究者の勘」みたいなことも常に残ると思いますが。
2012-02-12 08:58:57