- Roby25vand
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おととい豪雪の青森にて初めてとなるナレーションの録音。2012年2月11日は永瀬正敏デビュー29年の日であり、お爺さんの命日なんだそう。二メートルはつもっていただろうか。ゆきを、さわると、さらさらしていて、とてもつめたかったが、東京で、感じる「つめたい」とは、ちがうな?と、
2012-02-14 00:10:32社屋の、非常階段に、雪が積もっている。そこで、永瀬正敏が、タバコを吸っている。ひと気のない祝日のテレビ局。そとは、雪がつもりしずかだ。スタジオも、ひとかげまばら http://t.co/WpwUYAU5
2012-02-14 00:16:30東京で、くらしていても、年に、何回かしか、あわないけれども、永瀬正敏と知り合って12年以上はたつ。しかし、六時間かかった、ナレーション録音のあいだ、彼について、そして、自分について、ふかく考えることができた。知り合って10年以上たったが、豪雪の青森にて彼の
2012-02-14 00:25:43豪雪の青森の静かなスタジオの中で、わたしは、ようやく、彼の、深遠なる部分にちかずけたようなきがしたのです。ようやく、いったいいちの、セッションが、できたとでも、いいましょうか。
2012-02-14 00:29:19あたしは、富山生まれで、雪国では、ありましたが、あの雪の、つめたさを、温度計の計りを、よみあげてるだけのような、表現は、したくなくて、スタジオでの、録音を終えてから、むかった鉄工房アールの彼に、このつめたさは、なんというの?と尋ねると「しばれる、だね。」とおしえてくれたのだが、
2012-02-14 01:14:33しかしながら、青森そだちでない俺が、しばれる、と、いっても、かりもんの、表現であるからして、小説泥の河、蛍川での、表現のような、なにか、あたしの血にはいっている情景を、うまく、言葉に、は、できないものかと、思索探索中だったのだが、東京雑念しがらみの、なかでは、それを、あきらめた
2012-02-14 01:23:05わたくしは、昭和40年うまれでありますから、オイルショックやら、ベトナム戦争やらの、騒ぎは、テレビ新聞などでみてそだったわけですが、いまは、アメリカが戦争しかけても、戦争地区での、むごい映像や、写真は、でないね。これは、すでに、アメリカによる日本支配が、完了しました。てことかな。
2012-02-14 01:30:22そして豪雪の夜クルマを走らせてくれた、ジンさんはブランキーかけてくれてた。雪の中行きかうトラックの、チェーンが独特の轟音を響かせてはしっていく。この風景、空気に、ブランキーは似合っていた。素晴らしいではないか。我が国の情景が似合うバンドが、かつてあったのだから。
2012-02-14 01:49:30いつか、この曲を、また、演奏したいと、三匹が、おもう日がきたら、いいのにな。ビジネスぬきで、豪雪の、青森で、ライブしたいと、おもいました。
2012-02-14 01:51:18ブランキーが、雪国にあってたのは、なぜだし。しかし、つーことは、しゃかりきに、世界に、とびだしたいと、いまでも、あたしは、おもってはいるんだが、そうならないのは、本気ではないというか、別の使命があると、細胞や、魂とやらが、しっているからなのでは、なかろうか。
2012-02-14 02:20:28そして、百年後の、教科書に、いまの、日本の、現状は、社会科や、歴史の、試験にでるのかな?そもそも学校なくなるかな。百年後、どうなってるかな。おれいきてるかな。147歳。あいかわらず、政治家ちんたらしてられるのかな。あいかわらずで、いられるのかな。人類。
2012-02-14 02:25:25しかしながら、あの三匹ちゅうあたし一匹だけが、演奏家で、あとの、お二匹さんは、音楽家であるからして、新しいことに挑戦しつづけとるわけだわな。無邪気に、バンドやろまいと、はじめてから、はや、33年。いまや、生業となってしまったので、稼ぐことを、かんがえにゃならぬ。なにか大切な
2012-02-14 02:34:27大切なのに。なくしてしまったかもしれん。あのとき、やつらと、バンドやれて、よかったよ。わかかったからな。いまは、レゲエが、やりたい。
2012-02-14 02:39:41