第四学群を考える

ゆえあって知人のものした大学論を読んでいるのですが、そこから思うところがでてきたので、連続してつぶやいてみました。それをまとめるとどうなるか、という練習です。
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Susumu OTANI @ssm_o

筑波大生なら一度は聞いたことがあるであろう幻の「第四学群」。すでにナンバー学群が廃され、いずれこの話も記憶から消えていくことでしょう。突然ですがこの際、第四学群を語っておきたいと思います。まず結論。第四学群という構想は確かにありました。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:30:41
Susumu OTANI @ssm_o

次におさらい。かつて第一学群には、人文、社会、自然学類。第二は比文、人間、生物、農林。第三学群は基礎工、社工、情報。開学当初は生物資源は農林学類、応用理工と工シスの代わりに基礎工学類、日日と国際は最初は無し。今回は専門学群と図情は割愛します。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:33:20
Susumu OTANI @ssm_o

第一学群が「基礎学群」、第二が「文化・生物学群」、第三が「経営・工学群」という別名を持っていたことを知っている学類生はほとんどいないでしょう。ちなみに学群はクラスタ、学類がカレッジ、専門学群はプロフェッショナルスクールという英訳を考えていたみたい。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:34:09
Susumu OTANI @ssm_o

考え方としてはナンバーが進むにつれ、基礎から応用学問へ展開して行くように構想していたということ。さらに、初期構想(「筑波新大学に関する基本計画案」1971年)によると、学類も当初はナンバーが付されており、第1学類から第13学類まで列挙されています。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:34:56
Susumu OTANI @ssm_o

この構想では、だいたい第1学類→人文学類、第2→社会学類、第3学類→自然で第一学群を編成しています。いわゆる人文科学、社会科学、自然科学といった古典学部ですね。ただしこのときの社会には法学がありません(後述します)。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:40:40
Susumu OTANI @ssm_o

第二学群には、まず第4学類(人文2)とあります。内容は比較思想、文学…となっていますのでこれは比文ですね。第5学群は人間、第6学群が自然2となっています。自然2は生物化学、生物物理、地球物理といった第一学群よりやや応用的な学問を考えていたようです。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:41:51
Susumu OTANI @ssm_o

第三学群には最初に第7学群(人文3)とありますが、地域文化、現代思想…となっているので、結局これは比文にまとめられたと思われます。第8学群が(社会2)=計量経済学、行動科学…とありますからこれが社工ですね。第三学群にはあと2学類あります。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:42:34
Susumu OTANI @ssm_o

第三学群続き。第9学類(自然3)、これは生命科学…とあり、生物学類の一部の原型になっていくと思います。第10学類は農林ですので、これが農林学類(後の生物資源)になります。結局この二つは、第二学群のなかで発足することになりますね。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:43:20
Susumu OTANI @ssm_o

そして第四学群。第11学類(国際関係)と第12学類(法学)と第13学類(工学)が構想されていました。簡単な方から話すと、法学は最終的に社会学類に組み込まれたことになります(法曹のための高度法学教育とあるので、法科大学院として結実したという見方も?)(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:46:40
Susumu OTANI @ssm_o

第13学類の工学は結局、第三学群基礎工学類でスタートし、工学基礎学類、工学システム学類、応用理工学類などに発展します。このときの第13学類に情報工学が入っていたのかは計画からは分かりません。ただ大学発足時、第三学群に情報学類が設けられます。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:47:54
Susumu OTANI @ssm_o

残る第11学類(国際関係)が今の国際総合学類ですね。1983年第三学群内に当初のネーミング通り国際関係学類として新設されます。構想ではこの中に留学生向けの日本語コースを置くとあるので、これが日日の新設につながっていったと考えてもいいかもしれません。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:49:24
Susumu OTANI @ssm_o

結局第四学群は構想としては存在していたのですが、想定していた学類は第一から第三までの学群に入ってしまったとみるべきでしょうか。最初に述べたように、学群のナンバーが上がればより応用的(あるいは学際的)になるように考えられていました。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:51:09
Susumu OTANI @ssm_o

裏返せば、第四学群は構想から実現までの時間経過のなかで、さらに発展したり、また結果として既存の学問に位置づいたり、あるいはそれほど盛り上がらずに消える…つまり「いろんな可能性」を秘めた学問で構成されていたと見ることも可能かもしれません。(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:51:59
Susumu OTANI @ssm_o

再論になりますが、かつてのナンバー学群は基礎から応用という順序とか段階を示していました。その意味で第四学群は当時もっとも先端を行く領域として期待されていたのかもしれません。(あるいは「後から考えよう」と積み残した宿題だったのかもしれません^^;)(続く)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:53:26
Susumu OTANI @ssm_o

いま、学群は領域別に再編されました。それでなにか不都合が生じたか(あるいは以前より円滑になったか)、開学当初の理念が薄れたのか(それとも絶えざる改革としてこれは前進なのか)という評価は現段階ではまだ早いと思います。(次で終わりますww)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:54:20
Susumu OTANI @ssm_o

しかし、学問の発展段階をスケールとして大学の教育組織を編成しようとした試みについてはどこかで記憶されてしかるべきだと思います。第四学群とは真理を探究する場である大学において、応用的な学術はどこまで可能かという未発の試みだったと考えます。(はい、おしまいw)#tsukuba_dai

2012-02-15 17:56:31