セカンド・サマー・オブ・ラブについて

90年代にイギリスで興ったセカンド・サマー・オブ・ラブについてのドキュメンタリーをMorley Robertsonが解説。
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モーリー・ロバートソン @gjmorley

動画:セカンド・サマー・オブ・ラブについてのドキュメンタリー(長編)http://t.co/o62sZzuB ☆見始めていますが、興味深い内容です。1989年は保守党のサッチャー政権が10年目を迎え、新自由主義の経済政策が英国社会にバブルを発生させていたそうです。

2012-02-16 01:39:48
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モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓しかし「鉄の女」と呼ばれたサッチャー首相が三選され、富裕層の優遇政策が推し進められる中、貧富の格差も拡大。バブルにあやかれなかった大多数のイギリス人には閉塞感が漂っていた。これに抵抗するかのように、若者のアシッド・ハウス・ムーブメントがアンダーグラウンドから爆発的に広がった。

2012-02-16 01:44:30
モーリー・ロバートソン @gjmorley

120BPMのアシッド・ハウスによって「白人たちがいきなり自分が踊れるということを発見した」。踊ってトランス状態になっていくことで自分の中の「他の場所」へと行くことが可能だった、との証言。また、このトランス志向を後押ししたのが新型の麻薬であるエクスタシー(MDMA)だった。

2012-02-16 01:57:36
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓1989年当時、レイヴのDJだったLisa Loudさんの証言「当時の音楽はエクスタシーなどの薬物と切っても切れなかった。悲しいが、それが現実だった。」編集者の証言:「エクスタシーを服用すると脱水症状が起こり、アルコールを飲まなくなったので会場に酔っぱらいがいなくなった。

2012-02-16 02:01:17
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓別の参加者の証言「レイヴ会場で大勢の人間が一斉にエクスタシーを摂取し、お互いに愛し合ったような高揚感が漂っている中だと、たとえ薬物フリーであってもその気配を感じ取ることが出来た。」ナレーターの声:サッチャー政権の政策により孤立感を強めていた若者はこうした一体感に惹かれた。

2012-02-16 02:03:28
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓同じ1989年には東欧各国で民衆が共産主義に抵抗して立ち上がり、中国でも民主化要求(天安門事件)が起きていた。英国内ではポップ・アイドルが量産され、にわかに可処分所得の増えた10代の子供に向けて巧妙にマーケティングされていた。この商業主義の対極にある流れがマンチェスターで勃興。

2012-02-16 02:15:53
モーリー・ロバートソン @gjmorley

マンチェスターのクラブ「ハシエンダ」には地元の新しい音楽がすべて集結。同クラブからデビューした「ハッピー・マンデーズ」などのバンドがヒットする。フロントマンは薬物漬けで、その摂取量が「男気」との名声を得ていた。マンデーズはダンスシーンの酩酊とロックを融合させていた。

2012-02-16 02:18:55
モーリー・ロバートソン @gjmorley

1989年に同じマンチェスターから「ストーン・ローゼズ」がアルバムをリリース、大ヒットする。同時期に英国で広範囲に定着していたサッカー・フーリガンのギャングがレイヴ(およびレイヴ系の薬物)と出会い、パーティーシーンに参入する。薬物の作用で対抗するフーリガン集団が和解する場面も。

2012-02-16 02:27:21
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓サッチャー政権が金持ち優遇の「分断工作」で社会を強権的に統治する中、レイヴ・シーンでは貧富や人種の差を乗り越えて多様な生まれや生き方をする若者が出会い、ひとつのコミュニティーを作ることが出来た。

2012-02-16 02:30:04
モーリー・ロバートソン @gjmorley

こうしたコミュニティーでの一体感は1969年の「サマー・オブ・ラブ」とも共鳴するものだった。「みんなで世界を変えよう。ぼくらのようにハッピーな人たちばかりにしよう、と思った。革命を起こしている気分だったよ」と当時を振り返るDJ。しかし皮肉なことに、すでにレイヴは商業化されていた

2012-02-16 02:34:51
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓サッチャー政権下で優遇されていた若きビジネスマンがレイヴのオーガナイザーとなっていたのだ。言わば「サッチャーの子供たち」が非合法のパーティーをプロモートして一儲けするという図式だった。1989年当時、深夜のパーティーの許可は下りなかったため、秘密の会場で開催。

2012-02-16 02:39:43
モーリー・ロバートソン @gjmorley

警察の監視の目をくぐって、レイヴは農場や地方の飛行場などで開催された。ロンドン市内と郊外を結ぶ高速道路「M-25」が開通したばかりで、レイヴ会場までのアクセスが便利になっていた。オーガナイザーは電話番号のみを公開し、参加者は指定された時刻に電話をかけて場所を聞き出した。

2012-02-16 02:45:04
モーリー・ロバートソン @gjmorley

公衆電話でレイヴの場所を聞き出した参加者は車列を成して会場へと向かった。夏の夜の暗夜を行くと、どこからともなくレーザー光が見え、それが目印となった。当初は地元の警察も寛容に対応していた。

2012-02-16 02:52:24
モーリー・ロバートソン @gjmorley

この年の夏、タブロイド紙「Sun」のレポーターがレイヴ会場に潜入し、一面に「青少年が薬物を乱用」と書き立てる。当時「Sun」は1日430万紙が流通。若年層はレイヴに憧れ、年長者は「若者の堕落」に憤るように誘導された。タブロイド紙の喧噪は議会にも取り上げられる。

2012-02-16 03:25:41
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓タブロイド・メディアはこの騒ぎを煽り、「サッチャー政権は国内の治安を掌握できたいない」などと野次った。警察はレイヴに対して強硬なスタンスを取り、オーガナイザーとのいたちごっこが続く。囮となるトラックに警察を尾行させ、別働隊がレイヴ会場に機材を運ぶ、など。

2012-02-16 03:29:15
モーリー・ロバートソン @gjmorley

警察が会場をつきとめ、道路封鎖を行った場合、参加者はバリケードで車を降りて、徒歩で会場に向かった。先頭にはオーガナイザーが雇った弁護士がおり、警察は阻止することができなかった。続けて警察側は電話会社に圧力をかけて通信回線を遮断。電話に変わって海賊ラジオ放送が情報伝達を代行した。

2012-02-16 03:35:16
モーリー・ロバートソン @gjmorley

海賊ラジオ放送はパーティーの場所をラップに織り込んで放送。警察側であるとき、このスタイルを模倣して偽情報を放送する作戦を取ったが、間違った場所に誘導された参加者が怒って略奪を行ったことも。記録的に暑い夏。サッチャー政権の勢いにも陰が差し、インフレやストライキ続発に悩まされる。

2012-02-16 03:41:59
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓サッチャー首相は10年間の政権で最もドラスティックな内閣改造を行い、腹心をも解任する。サッチャー政権の設計者とも呼べる部下を解任することは求心力の低下を意味した。首相が夏休みで出国したタイミングで、最大級のレイヴが農場で開催される。

2012-02-16 03:48:06
モーリー・ロバートソン @gjmorley

このパーティーには当時最先端の照明とサウンドシステムが持ち込まれ、夜明けには2万人へと膨れあがっていた。しかしこの歴史的なパーティーの後、テムズ川で開催された船上パーティーで追突事故が起こり、数十名の若者が犠牲に。メディアは「金持ちの子供らが麻薬パーティーに興じて災難」と報道。

2012-02-16 03:58:01
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓しかし、夏が過ぎてレイヴ・シーンは成功したが故に崩壊していった。あまりに多額の金がいっきに流れ込み、それが麻薬の売人や犯罪者を引き寄せ、犯罪組織が「会社の半分をよこせ」とオーガナイザーを脅迫することも。また、麻薬で摘発されるレイヴも相次いだ。同年の11月、ベルリン崩壊。

2012-02-16 04:07:07
モーリー・ロバートソン @gjmorley

レイヴ・シーンそのものは下火になったが、その年の秋にはレイヴ関連の楽曲やマンチェスター出身のストーン・ローゼズとハッピー・マンデーズが大ヒット。音楽チャートはレイヴにより塗り替えられた。

2012-02-16 04:10:18
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓ドキュメンタリーを見ながらのリアルタイム翻訳は以上です。このまま、もう少しリサーチを続けます。

2012-02-16 04:27:42