地点『トカトントンと』感想、あるいは演劇的なるものからの退引
- kenken_1987
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今まで地点が好きで、今回も良かったと言う人が、何でそう言えるのかが分からない。僕には、ああ随分楽したな、という印象が非常に強く残っている。
2012-02-17 01:38:04笑いというのは、演技の中では非常に簡単だ。少しコツをつかめば「それっぽい笑い」は誰にでもできる。故に滅茶苦茶難しい。僕は、強度のある笑いというのを殆ど見たことがない。
2012-02-17 01:43:48例えば「本来であれば泣く様なところで笑う」などといった文脈があればその限りではないが、今回地点は演出の効果として半ば機械的に反復していたのでそうもいかない。ある種の「不気味なもの」を演出するが為の効果であったが…これが、僕にとっては最悪だった。
2012-02-17 01:48:09かろうじて安部聡子は笑えていなかったので助かった。そう、笑えるはずないのだと思う。何故他の俳優はああも恥ずかしげもなく笑えたのか。それは恐らく、演劇へ、作品へ、身をゆだねても良いんだという意識が働いてしまっているからである。守られた身体なんか見ても仕方ないんだよ、しかも地点で!
2012-02-17 01:52:51三浦基はパンフレットで「今回は具体的な演出で行く」的な事を書いていたが、具体、と分かりやすさ、は違うだろう。KAAT用だし、まぁ少し身体をゆるめても良いだろう、その様な意識がなかっただろうか。
2012-02-17 01:57:33SEの様にところどころで笑いを入れる、あるいは、皆でトンカチ思いっきり叩いてトカトントンと叫ぶ。そりゃあ気持ちよくはなれるだろうけど。こういう気持ちよさに抗うのが地点なんじゃなかったのか。演劇を着る、それでもなおその着心地の悪さを問題にする。それが三浦基の問題圏じゃなかったのか?
2012-02-17 02:01:55「こういうのもやっぱり演劇」、それはそれで良い。しかし地点がやっても仕方ないだろうと思う。…僕が彼らに理想を押しつけているというフシもあるがー…ちょっと、見ていていたたまれなくなった。
2012-02-17 02:04:23もしかしたら、それは俳優についても言えるかもしれなくて、自分のことを俳優だと思っている人と僕は芝居はできないだろうし、現に幾度も失敗しているわけで、自分のことを俳優だと思っていない人としか、芝居はできないだろう、と。そういうことも同時に思いました。
2012-02-17 01:26:24自分の名前を自信を持って明確に言える人とは、芝居はできないでしょう。まあ、そりゃそうでしょう。当たり前か。自分が何者かわかっていない人とじゃないと、交流はできない。うん、そりゃそうだ。当たり前のことだった。失礼。
2012-02-17 01:27:25よこたたかおがたまたま似たようなツイートをしていた。俳優とは、演劇に抗う人の事である。しかし、それでもなお演劇にとどまる事。
2012-02-17 02:14:42演劇なんて嫌いだよ、嫌いなんだけどね…という、ツンデレなどという言葉では表せない様なアンビヴァレンスの持ち主とウマが合うよ、やはり。
2012-02-17 02:20:09少し付言すれば、「演劇的なものからの退引」というのは極めて難しく大変(不可能であるとまで言っても良いかもしれない)だと思うのだけど、地点はこれまでなんとかそれを遂行しようとしてきた。少なくとも僕にはそう見えた。が、今回は分かりやすいところに逃げ、「楽をしていた」。そういう印象。
2012-02-17 05:31:27