日本ではなぜ「学」が力を失っていったのか?(明治の学問移入→衒学化→マスメディアによる知の代替)

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m_um_u @m_um_u

日本において「学」や「知」の価値が低下していったのってどの辺かなとか思ったりしてた。「文」≠「聖」は天皇、寺社って感じだったんだろうけど大きな戦争終わってある程度落ち着いて文がある程度大衆化したのは元禄。それと並行して学問もそれなりに発展した

2009-10-17 11:11:55
m_um_u @m_um_u

そんで、国力(武力)の弱い国なんかは学問で強くなろうとしたり。長州近くの小さな藩なんかで学問が盛んになったのはそういう経緯だった、と。 なので少なくともこのごろまでは学問はそのまま「力」というか世間的に価値のあるものとして認められていたはず

2009-10-17 11:13:25
m_um_u @m_um_u

となるとやはり近代化の過程における西洋輸入かな。とりあえず表層だけ輸入しつつなかば衒学的にエラさをきどっていって現実に反映されなかったから「象牙の塔」なんてことになったのだろうし

2009-10-17 11:15:03
m_um_u @m_um_u

そんで現代に到ると「知」や「文」はマスメディア的なものとしてコモデティ化されそれで満足されるようになってる。簡単にいうと現代の日本の思想家というのは東ひろきとかではなくていとーしげさとみたいなコピーライターだし

2009-10-17 11:16:32
m_um_u @m_um_u

そういった「文」は華やかで楽しいものではあるけど現在のような不況な苦境になると役に立たんよな。それに沿うように衒学化してしまった大学的な知も

2009-10-17 11:18:02
m_um_u @m_um_u

まぁそういうエンタメとは違ったところでぢみーに研究やってるひともいるんだけど、そゆのはぢみだから気づかれないしな

2009-10-17 11:18:34
m_um_u @m_um_u

文字以前の知、というか前近代型村落共同体における知というのは識字中心じゃなかっただろうからたぶん口承が主だったのだろうけど。そゆ意味では西洋的な村落文化と日本的なそれも共通項がある感じ

2009-10-17 11:31:58
m_um_u @m_um_u

あと(国家-都市を出自とする)市民的知と(村落共同体的なものを出自とする)大衆的知との間の断絶とか。西洋的な近代の知は前者

2009-10-17 11:19:53
m_um_u @m_um_u

日本の場合は文字的な学問が入ってもそれが大衆化せずに口承による知恵の伝授が続いてた印象がある。寺子屋とかはあっただろうけどそれは西洋にあるような体系的な知(cf教会から大学へ)ではないし

2009-10-17 11:34:28
m_um_u @m_um_u

そんで口承の方法というのは歌なんかに乗せた記憶(物語)の伝授だったり。なので同じ話が循環するような感覚になる。 ゲマインシャフト的な文化圏に共通する循環史観というのはこの辺からかなぁ、とか思ったり

2009-10-17 11:36:22