批判することについて

まとめました。
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ロクゴー @rokugoooooo

「何かを批判してる人格好いい」というのが先にあって、それでみんな自分の気に食わない人や行動を、あたかも与党に相対する野党のように無責任にやたらめったら批判するようになってしまって、それに対する反発として「批判してる人格好悪い」が生まれた気がする。

2012-02-24 15:38:13
@syousa_penguin

@picca009 @e_force_act4 根底思想は中華思想と脱亜入欧論だね。日本人の辺境性を如実に表してる。

2012-02-24 15:43:33
ロクゴー @rokugoooooo

@syousa_penguin @picca009 脱亜入欧論……そんなとこまで遡るのか……φ(..)メモメモ

2012-02-24 16:16:17
@syousa_penguin

@e_force_act4 @picca009 啓蒙思想が日本のコンテクストに馴化されていく過程で西洋文化の「紹介」は日本文明への「批判」と表裏一体で輸入されました。それを輸入した層の知的威信は現代では考えられないほど高く見積もられていたようです。彼らへの羨望と知的欲求は→

2012-02-24 16:19:34
@syousa_penguin

@e_force_act4 @picca009 →「批判」という営為に対しても向けられました。批判という営為自体が概念神化して当時のインテリ層を共扼したわけです。出版技術の普及などにより大衆文化に降りてくる過程で批判はインテリのアイコンになりました。しかしポピュリズムの中で→

2012-02-24 16:23:28
@syousa_penguin

@e_force_act4 @picca009 →受容された批判はどんどん形骸化していき、「否定」との境界があいまいになっていきます。この境界線を再び強化しようと名乗りを上げたのが戦後の東大アカデミズムの旗手たちで、そのお手本がフランス現代思想だったというわけです。

2012-02-24 16:25:19
@syousa_penguin

@e_force_act4 @picca009 ヘーゲルの言葉を借りれば「世界は弁証法的に発展して」きました。そこに働くのは常に超克という運動で、それは否定のプロセスに他ならない。単なる否定と批判とはその深度によって相対的に区別されます。だから当事者は「批判」のつもりでも→

2012-02-24 16:31:03
@syousa_penguin

@e_force_act4 @picca009 →一歩引いてみると痙攣的な否定でしかない、という事が往々にして起きる。批判が目指すのは止揚であり超克。既に経過した場所に対して向けられる批判は否定にしか映らないんですね。そして超克の段階としてあまりに高い場所に対してもそれは否定→

2012-02-24 16:33:45
@syousa_penguin

@e_force_act4 @picca009 →にしかうつらないので、同様に否定と批判の境界線が見えづらくなります。「批判してる人カッコ悪い」というのは電車内での携帯通話が不愉快なのと同じです。自分に解らないことを一方的に並べられると不愉快になる、と、そういうことだと思います。

2012-02-24 16:35:34

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