「生きる力を育てる教育」 現代の学校教育は実用にならない
今回はブログ「感謝の心を育むには」の記事「生きる力を育てる教育 農民のための寺子屋での実学教育」の内容を要約・紹介していきたいと思います。以下、その内容です。
2012-02-25 22:14:26① 「学校で学んだことが、どれだけ実社会に出てから役に立つのか(立っているのか)」という疑問は、誰でも一度は感じた事があるのではないでしょうか?
2012-02-25 22:14:46② 現代に繋がる教育制度は明治5年に作られましたが、学校教育に対する違和感は、教育制度が導入された頃の当時の人々も強く感じており、制度導入に対して、「学校一揆」や「学校打ちこわし」まで起きました。そのひとつの理由が「学校教育は実用にならないから」なのです。
2012-02-25 22:15:14③ 「今は青年学校に男女とも入るが、特に教へる人がないから今の若者は草履も草鞋もつくれず、着物一枚ぬへないと言つてゐる。今の学校は実用にならぬ、理屈のみ教へるとは、現代教育に対する古老感である。」 これは、昭和・敗戦前後の民俗学者・山口彌一郎の言葉です。
2012-02-25 22:15:34④ 江戸時代の村落共同体は、農民自治が基本でした。昭和の頃の人でもこんなことを言っているのですから、教育制度が導入された当時は、さらに「学校教育」と「村で必要とされたもの」にギャップがあったと考えられます。「実用性のない学校」に通わされた挙句、授業料まで取られてしまう・・。
2012-02-25 22:15:53⑤ 明治から現代に続く義務教育は現実と結びついていない、実用性のない物なのではないでしょうか? また実用性がないからこそ、学校の勉強は苦痛になってしまうのではないでしょうか?
2012-02-25 22:16:10⑥ 対して、義務教育でもないのに(強制されないのに)高い就学率を誇っていた組織があります。それが、江戸時代の寺子屋です。寺子屋では一体どのような内容を扱っていたのでしょうか??
2012-02-25 22:16:28⑦ 今回は、農民向けのテキストを紹介しながら、その内容を見ていきます。寺子屋で扱う「実学」のテキストとして、有名な物に「田舎往来」「百姓往来」などがあります。どのような内容なのか、一部を紹介します。
2012-02-25 22:16:56⑧ テキスト1:百姓往来絵抄 このテキストは、イラスト付きのテキストで、まず巻頭に「学ぶ意義」が書いてあります。次に、熊手、天秤、つき臼など、農作業だけでなく、日常的に使う道具が載っています。これで、道具名を覚えていったのでしょう。
2012-02-25 22:17:11⑨ テキスト2:百姓掟 「百姓の身分では諸礼・諸芸は無知でも恥にならないが、百姓も天子同様の明徳を備えているため不仁・不義こそが恥となる」等、百姓の心得を学ぶためのテキストがこれです。
2012-02-25 22:17:28⑪ 以上のように、寺子屋の農民向けの学習内容は、全て農民が生きていく上で必要な内容であり、現実課題と学習内容が結びついている事が分かります。 現実課題と学習内容が乖離しがちな現代の教育とは対照的ですね。
2012-02-25 22:18:18⑫ また、寺子屋で、百姓として必要な学問を積み重ねた結果、よく言われるように、江戸時代は徹底的なリサイクル都市、循環型社会になりました。
2012-02-25 22:18:40⑬ 一般に、都市化は自然環境にダメージを与えます。ところが、江戸時代は豊かな循環社会を可能にしました。そのキーワードは、1.都市部の糞尿・草木灰、2.干鰯(ホシカ)、3.鳥です。
2012-02-25 22:18:55⑮ 2. 干鰯(ホシカ)は鰯から灯明用の油を絞った後のカスだが、それを肥料として農地に投入する流れが出来た。それが重力で海底に滞りがちな栄養素を物質循環にのせることになった。また、干鰯が刈敷に取って代わる事で里山のダメージは減った。
2012-02-25 22:20:37⑯ 3. 鳥は海や里の水田の小動物や植物の種を食べて奥山で糞をする。これが貧栄養化しがちな奥山に栄養素をもたらし、同時に植物の進出をうながした。
2012-02-25 22:20:54⑰ このようなサイクルで、豊かな循環型社会を、江戸時代の人々は実現しました。 そして、こうした森林と土壌と川や沿岸の魚貝類の成育との関係も寺子屋でも教えたのです。
2012-02-25 22:21:17⑱ 寺子屋での教育は徹底した実学であり、そうであるからこそ、生きる場=社会にとって何が一番適しているのかを学び、実践していくことができたのです。
2012-02-25 22:21:33⑲ 現在の義務教育から高等教育の結果が、経済破綻であり、地球汚染の一端を担っている以上、どちらの教育が優れていたかは、疑問の余地はありません。 もう一度、何のための教育なのか、教育の基本に立ち返る必要があるのではないでしょうか?
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