整備兵さんのカフジの戦い解説

タイトルそのまま
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名無し整備兵 @seibihei

1991年1月25日、中央軍海兵隊司令官ブーマー中将は、CIAから「クウェート国境のイラク軍の活動が活発化し、サウジ攻撃の可能性がある」との警告を受けた。

2012-02-26 14:12:28
名無し整備兵 @seibihei

ブーマー中将はイラク軍による小規模な襲撃の可能性があるとみて、第2海兵師団に情報を伝えたが、特別な処置は講じなかった。中央軍司令部は、これをイラク軍による国境への増援と解釈した。

2012-02-26 14:14:33
名無し整備兵 @seibihei

中央軍司令部としては、イラク軍が本格的な攻撃に出るとすれば、キング・ハリド基地を直接攻撃できる内陸部での攻勢だと判断していた。しかし、クウェート南部からの出撃は、イラク軍が本格的に準備した攻撃だった。1月27日にはフセイン大統領自らバスラを訪問し、攻撃計画を検討するほどだった。

2012-02-26 14:16:44
名無し整備兵 @seibihei

イラク側の使用兵力は、第3軍団隷下にある第5機械化歩兵師団と第3機甲師団の2コ師団が主力。第3軍団長自ら指揮し、海岸道沿いからカフジ、やや内陸側のワフラ森林地帯から更に後方のアル・ミシャブを目標とした攻撃だった。

2012-02-26 14:19:52
名無し整備兵 @seibihei

クウェート南部には米とサウジの軽武装の警戒部隊が配備されているだけであり、本格的な防御陣地は構築されていなかった。国境付近には小規模の警戒拠点があるだけで、戦力の大部分は後方に位置していた。

2012-02-26 14:22:11
名無し整備兵 @seibihei

ワフラ~アル・ミシャブ方向の攻撃は第3機甲師団が担任、海岸道沿いの攻撃は第5機械化歩兵師団が担任し、西側の開放翼は第4軍団の第1機械化歩兵師団が警戒する。ただし、航空支援は絶望的である。

2012-02-26 14:24:20
名無し整備兵 @seibihei

イラク軍のこの作戦の成否は、一に奇襲にかかっていた。部隊移動は夜間を最大限に利用して行動を秘匿し、さらに米国の軍事衛星が上空にいない時期を計算して行動した。これほどの注意を払っても、行動は完全には秘匿できない。奇襲成功の大きな要因は、米中央軍がCIAの報告を軽視したことだった

2012-02-26 14:28:01
名無し整備兵 @seibihei

戦闘が始まったのは1月29日の夜。米海兵第1師団はイラク第3機甲師団の前衛の接近を確認し、TOWで応戦。一方、サウジ軍が守るカフジ正面では、イラク軍はほとんど抵抗を受けずにカフジに突入した。

2012-02-26 14:33:09
名無し整備兵 @seibihei

カフジの防備が薄いというかほとんど無かったのは、この街がクウェート国境からの重砲の射程内にあったため。このため防御不可能とみなされ、住民は全て避難し、少数の情報部隊と特殊作戦部隊しか配備されていなかった。彼らもイラク軍の接近を見て撤収したが、海兵隊の2コ偵察隊が取り残された。

2012-02-26 14:35:33
名無し整備兵 @seibihei

イラク軍は、海上機動でもカフジ又はその南方にコマンドを潜入させようとしていたが、これは航空機により発見され、撃退された。

2012-02-26 14:37:17
名無し整備兵 @seibihei

カフジ正面を担任するスルタン・イブン・アル・ムタイリー少将は、カフジの後方に進出してイラク軍を包囲する反撃計画を立てたが、アラブ合同軍司令官ハリド王子はこれを退け、カフジ市街への直接攻撃を命令した。これは国土奪回のために即座の攻撃を命ずるファハド国王の意思だった。

2012-02-26 14:43:33
名無し整備兵 @seibihei

攻撃は、カタール軍の戦車部隊の支援を受けたサウジ軍装甲歩兵大隊が行うことになったが、これらの部隊は実戦経験がないのは仕方ないとしても、夜間攻撃の練度不十分なうえ、両軍の間の通信組織も不備であり、また砲兵支援や航空支援に関する調整も出来ていなかった。

2012-02-26 14:46:21
名無し整備兵 @seibihei

あまりのことに米海兵隊の連絡将校は「海兵隊による砲兵支援と航空支援の調整が終わるまで、攻撃を待ってはどうか」と提案した。しかし、「即座の攻撃」は国王自らの意志であり、作戦部隊が覆せるものではなかった

2012-02-26 14:48:04
名無し整備兵 @seibihei

サウジ軍とカタール軍の共同反撃は1月30日午後10時開始されたが、イラク軍の伏撃を受けて撃退された。同夜もう1回攻撃を再興したが。結果は変わらなかった。とはいえ、この攻撃失敗による損害は戦死者2名、負傷者4名と軽微だった。

2012-02-26 14:51:48
名無し整備兵 @seibihei

翌朝、イラク軍はカフジに2コ師団の増援を試みたが、これはサウジ軍の反撃と航空攻撃にあって大損害を出し、失敗。これに自信を得たのか、31日朝サウジ軍は再度攻撃を実施。今回は、当初の計画通りカフジの北に向かって攻撃し、イラク軍の包囲を企図するものだった。

2012-02-26 14:54:28
名無し整備兵 @seibihei

カフジの北方に向かったのは、カタール軍等の支援を受けたサウジ軍2コ機械化歩兵大隊だったが、そこでイラク軍の強力な反撃を受けた。イラク軍第5機械化歩兵師団はカフジに立てこもることなく、全力で逆襲を敢行したのだ。

2012-02-26 15:01:44
名無し整備兵 @seibihei

このためサウジ軍は苦戦を強いられたが、日中の戦闘なので多国籍軍の航空支援を十分に受けることができ、午前11時頃までにはイラク軍の主力を撃破することができた。カフジ市内の掃討が終わったのは午後1時頃である。

2012-02-26 15:03:43
名無し整備兵 @seibihei

イラク軍の遺棄した装甲車両は約90両、遺棄死体約100体。捕虜も100名以上出している。一方、サウジ・カタール軍の損害は戦死者10名、負傷者45名、破壊された装甲車10両

2012-02-26 15:06:48
名無し整備兵 @seibihei

多国籍軍による航空支援は、29日の戦闘開始から31日のイラク軍撃退までの3日間に262ソーティ

2012-02-26 15:08:58
名無し整備兵 @seibihei

イラク軍第5機械化歩兵師団は北方に後退したが、帰還できたのは約2割と伝えられる。この戦闘を通じて航空優勢を獲得していないことの不利はもとより、イラク軍が夜間戦闘等「得意」だと思っていた分野でも練度が不足している事が明らかになった。

2012-02-26 15:14:47
名無し整備兵 @seibihei

多国籍軍は、サウジ軍等のアラブ側も含め、イラク軍に対する自信をつけることができた。ただし、米軍とアラブ側との共同作戦には、一抹の不安を残すものとなった。

2012-02-26 15:16:58
名無し整備兵 @seibihei

海兵隊第4哨所の戦闘。ここには1コ偵察小隊が配置され、クウェート国境の監視に当たっていた。ここを攻撃したのは、イラク軍の第4機械化歩兵師団だが、これは翼側警戒に当たる部隊であり、本格的な攻撃だったわけではない。

2012-02-26 16:21:14
名無し整備兵 @seibihei

午後8時、偵察小隊長はイラク軍の前進を確認し、上級部隊に連絡しようとしたが、無線が通じなかった。イラク軍による通信電子攻撃を受けていたようだ。このため、報告は伝令に頼ることとなった。

2012-02-26 16:25:28
名無し整備兵 @seibihei

この時点での海兵隊の攻撃は、イラク軍の装甲部隊にほとんど損害を与えていない。一方、イラク軍の攻撃も、火力は大きいが狙いが不正確で、海兵隊に損害を与えられなかった。

2012-02-26 16:29:12
名無し整備兵 @seibihei

ところが、海兵隊の偵察小隊が交互躍進で後退していく際、LAV-ATの友軍相撃が発生。撃たれた装甲車は搭載していたTOWが誘爆し、4名が戦死

2012-02-26 16:32:05
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