1年に向けて,震災前から馴染みのある場所をもう一度まわって,今の様子を確かめなければいけないと思いました。単に自分のために。具体的には,相馬から大船渡あたりまで。
2012-02-18 23:21:53三陸道~東部道路をぶいーんと山元まで。9月に一度きたことがある道。そのまま国道6号線を南下。6号線は山間を通るので風景はあまり見えないけど,新地で風景が開けると,ばんと視界に飛び込んでくる。見慣れたつもりでいたけど,新しく来た場所はやはり,ぐうっと胸につまる。
2012-02-18 23:37:56火力発電所が稼動している様子で,ほっとしつつ,海側に回ってみる。松川浦をなぞる。波にたたかれた釣り船屋さんやら旅館やら。営業再開しているところもあった。ポートセンターだったところ,海水浴場だったところ,住宅地だったところ。でも発電所がびしっとしていた。
2012-02-18 23:42:54海辺をなぞりたいのだが,道が途中でなくなるのでしょうがなく内陸に戻る。それを何回か繰り返す。「道がなくなる」というのは,通行止めというのではなくて,本当になくなるの。アスファルトがはがれているくらいなら何とか通るけど,その下の土もないので,通れないのね。
2012-02-18 23:46:09山元まで戻って,坂元からまた海側へ。中浜小から先はまた道がなくて行かれない。県道38を北へ。商店街だったところ。駅だったところ。自動車学校だったところ。コンビニだったところ。小学校だったところ,は,瓦礫山に。
2012-02-18 23:58:51震災前から使っている古い方のナビは,建物の形まで表示してくれる。ナビはずっとずっとずっとずっと居住地と商店があるのだと示す。でもずっとずっとずっとずっと何もない。
2012-02-19 00:00:48アスファルトは,あったり,割れていたり,はがれていたり,穴があいていたり,新しかったり,砂利敷きだったり,砂をかぶっていたり,アスファルトがあってもガードレールは無い。道路のふち,アスファルトの下の土が無いところは,慎重に走る。
2012-02-19 00:04:36長瀞小から更に海側に入ってみる。鳥の海に行き当たる。水のきわは,心臓がばくばくする。水門のところが通れなかったので内陸側に戻る。道路が「あるだけいいとおもえ」状態。
2012-02-19 00:09:37ちょっと6号線を走り,荒浜からまた海側へ。荒浜港には漁船がいたよ。あとは瓦礫の山と,更地。「鳥の海」て素敵な名前だなと思う。こんな用事でなく来たかったな。
2012-02-19 00:13:32亘理大橋を渡り,思い切って貞山堀より海側に行ってみる。しかし「アスファルト無し」「砂ででこぼこ」「松並木」「ずっと風景変わらず」という状態に音を上げてちょっと内陸に戻る。
2012-02-19 00:16:51二の倉でまた海側に入るも「関係者以外立ち入り禁止」に阻まれる。むう。と,気づいたら仙台空港だ。初めて来た!「ニュースで見た風景だなあ」と思いながら一周,滑走路の下のトンネルを通過。
2012-02-19 00:19:16閖上に赴く。5月には入れたが,今日は警備の人に手で「×」と示される。5時を過ぎたので,もしかしたら時間で切られたのかしら。瓦礫山がとんでもない高さになっていて,ちょっと怖い。2階建ての高さをゆうに超えるんじゃないのかしら。
2012-02-19 00:21:11閖上大橋は「震度6以上の地震があったら通行止め」と表示されている。あとはずーっと田園地帯の道を行く。震災の前も後も何回も通った道なので,通るたびに「ああ,あれがない,これがない」と思う。
2012-02-19 00:24:59矢本もそうなのだが,左右が田んぼの農道の,陸側の田の道路きわが深くえぐれているのはなんでなんだろう。崖のようになっている断面図に「地層が見えるなあ」とぼんやりと考えながら走る。もう田んぼじゃないのだなあ。
2012-02-19 00:26:24というような風景の中,周囲の家が1階が打ち抜かれたままの状態の中に「明らかに新築」「明らかに補修済み」「今なおしている」「絶対すんでる」家がいくつもいくつもある。彼らに「ましだ」「無事だ」とは言えない。自分ならどうするのだろうと,考えながら走る。
2012-02-19 00:29:11高砂橋を渡ったら風景がぴかぴかになってのけぞる。資本力ってすごい。もう日が暮れたので海の側に侵入はしなかったので詳細はわからないけれど,仙台港の大規模なチェーン店や倉庫・工場の類は,ぴんしゃんとびしっとしてた。脳がしびれる。
2012-02-19 00:31:06多賀城・塩竈をかすめて松島へ。ついでなので代行バスのルートをたどる。日中とおると凄惨さが目に付く東名も野蒜も,夜に通るとあちこちに灯りがついて「その中に人が住んでいる」ことを改めて思う。毎日のように通っていた道。
2012-02-19 00:37:46除塩工事をしているのをあちこちで見たけど,取り除いた,塩分を含んだ土ってどうするんだろう。とりあえず土嚢に積めているようだけど。仮堤防に使うのかしら。震災直後に積んだ土嚢はもう風化して裂けてきているしねえ。
2012-02-19 00:41:05それでも「確かに以前よりはきれいに」なのだ。道を塞いでいた瓦礫は除かれ、建物の取り壊しが進み、生々しさの薄れた乾いた荒野になった。それはそのまま「風化」を思わせた。こうやってここにあった営みが忘れられていくのだなと。
2012-02-19 01:02:48