陸戦史集1 朝鮮戦争史1「国境会戦と遅滞行動」 気象と地形の影響・開戦直前の情勢

ぽちっとな。 「朝鮮戦争序盤に於ける火戦戦力比較」↓の続きです。 http://togetter.com/li/264937
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bouninng @bouninng

今日も陸戦史集1をちまちまと。

2012-02-29 00:18:03

第一章「作戦の背景」その5「気象と地形の影響」

bouninng @bouninng

朝鮮半島は山ばかり。とにかく関東平野のような広い平地が無く、ソウル-プサンの幹線道沿いでも4キロ四方の盆地を探すのが一苦労との事。山脈と山脈の間にも傾斜が急な山や丘ばかりで、しかも角度は40度~60度が当たり前、戦車どころか歩兵でも登るのは一苦労な「丘」がそこら中にあるそうです。

2012-02-29 00:23:03
bouninng @bouninng

他にも色々と地形の情報が書いてあるのですが(地質は水成岩が主で、築城工事が容易 等)、特筆すべきは「戦車が道路しか動けない」という点です。『攻撃する戦車は道路の上しか走れず、防者は道路の両側に4、5両の戦車を並べ得るにすぎなかった』との事。

2012-02-29 00:30:29
bouninng @bouninng

一見、こんな地形では戦車はまともに機動できず、機甲戦力の持つ衝撃力を発揮できず、身動きの取れぬまま陣前火力に食われてしまい、「戦車は使えない」と思ってしまってもおかしくはありません(実際、米軍はそう考えていた)。

2012-02-29 00:35:43
bouninng @bouninng

しかし、戦車というのは元々、敵の攻撃を受けながら陣地を突破するために産まれた物です。北朝鮮軍の戦車もそれに忠実に、「高精度の重機関銃と85mm榴弾砲を備えた前進するトーチカ」として使用したのです。

2012-02-29 00:39:50
bouninng @bouninng

陸戦史集1によれば、北朝鮮の殆ど全ての機甲戦力である第105機甲旅団(戦車120両、これ以外の機甲戦力は独立機甲連隊の30両)は4両中隊(小隊ではないらしい)で編成されており、歩兵直協を主としたものでした。

2012-02-29 00:46:15
bouninng @bouninng

この戦車旅団は、開戦初期には各連隊(13両大隊*3+1)に分割され、主に議政府正面へ投入されたようです。105旅団の表示が地図になかったので探していたら、各連隊として表示されていました…対戦車兵器の不備もあり、これらの戦車は議政府正面での迅速な突破に大きく貢献したようです。

2012-02-29 00:55:44
bouninng @bouninng

第二章第一節:開戦直前の南北朝鮮の情勢

2012-02-29 01:05:49

第二章「国境会戦」第一節「開戦直前の南北両朝の情勢」その1「韓国側」

bouninng @bouninng

1950年当時、韓国軍は度々ゲリラ攻撃(3月初めの1週間だけで29回)や国境紛争(師団規模のものを含む交戦6回、300余件)の対応に忙殺されており、一部の部隊では訓練もまともにできず、補給品は使い果たし、南北国境以外の師団は編制の一部を欠いていたりと、それはひどい有様でした。

2012-02-29 01:07:57
bouninng @bouninng

一方、この時期の韓国国会は選挙直前で忙しく、軍の訴える軍の増強と防衛準備の必要性に耳を貸す者はほとんどいませんでした。ちなみにこの選挙で与党は、議席の1/4しか取れない大敗を被ります。

2012-02-29 01:17:17
bouninng @bouninng

そして6月8日、北朝鮮は『李(李承晩)一味を除く全鮮の平和統一』を韓国に呼びかけます。これ以降も18日に再び平和統一の提案、19日には『統一政府樹立のための協議団の派遣申し入れ』等、北朝鮮は平和攻勢を強めていきました。

2012-02-29 01:24:08
bouninng @bouninng

こういった北朝鮮側の平和攻勢により、「北朝鮮が国境に兵力を集結させている」「今にも北が攻めこんでくるのではないか」という韓国側の危機感は徐々に薄らいで行きます。

2012-02-29 01:28:46
bouninng @bouninng

その上、6月9日には軍全体で大きな人事異動が行われました。師団長、連隊長級の人間がごっそり動いたのです。これは国境の部隊に優秀な指揮官を回す為であると言われていますが、真相はわかっていません。ともかく彼らは部隊を掌握し、敵情と地形を把握する余裕もなく25日を迎えることとなります。

2012-02-29 01:33:17
bouninng @bouninng

一方米国当局はこの状況を基本的に楽観視しており、誰もが皆「攻撃の兆候はなく平穏で、万が一北朝鮮軍が侵入してきても、今までの例(度々起こる国境紛争国境紛争)のように、これを撃退するだけの力を韓国軍は持っている」という見解でした。

2012-02-29 01:41:38
bouninng @bouninng

また、「韓国軍は諜報費が不足(50年4月に削減されたばかりで、日本円にして僅か数百万円!)し、無線を持ったスパイを北朝鮮に配置することが出来なかった」等の事もあり、北朝鮮軍の情報をろくに手に入れられず、偶に重要な情報が入っても関係各所に無視される有様でした。

2012-02-29 01:46:09
bouninng @bouninng

24日、それまでに38度線の防衛施設の建築は北朝鮮軍やゲリラに度々妨害され続けた為に、障害の設置等はほとんど行えておらず、とても戦車に支援された敵の攻撃を受け止められるものではありませんでした。

2012-02-29 01:56:13
bouninng @bouninng

この日の夜、韓国軍の高官と米顧問団達は皆でパーティー(陸戦史集だと『竜山兵器廠の開廠記念祝賀パーティー』、うぃきぺだと『陸軍会館将校クラブの落成パーティ』)を行なっており、これが終わったのは深夜の事でした。

2012-02-29 02:03:08
bouninng @bouninng

また、『明日はめでたい日なので規定外の休暇外泊を許しても良い』という電報が各師団に入ったようで、農繁期の土曜日の夜にいつもより多くの将兵が外出することとなりました。11日以降非常警戒態勢が取られていたのですが、3月以降警報は度々出されており、これは23日に解除されたばかりでした。

2012-02-29 02:07:32
bouninng @bouninng

韓国軍は皆明らかに緊張感を欠いていました。韓国軍の61コ大隊の内、国境についていたのは僅か11コ大隊にすぎず、25コ大隊は第一線の予備として国境線の数十キロ後ろにおり、そして残りの25コ大隊は『ゲリラ討伐の体制のまま南部に分散配置』されていました。

2012-02-29 02:11:42
bouninng @bouninng

将兵達は皆、『いつかは何かが起こるという予感を持って』はいましたが、それが明日の早朝だとは誰も考えてはいませんでした。そして夜中には雨が降り始め、梅雨が始まり、朝もやが立ち込める中で25日の夜が開けたのでした。

2012-02-29 02:14:44

その2「北朝鮮側」

bouninng @bouninng

一方北朝鮮軍は3月中旬に38度線から5キロ以内の住民を立ち退かせ、4月中旬にはソ連から軍需品の受領を始めていました。5月頃から韓国軍の状況や地形の研究が盛んになり、特に川と橋梁の研究が徹底的に行われていたようです。朝鮮半島は山脈と河川が連なる天然の要塞です。

2012-02-29 02:21:13