モーニング島田編集長~まとめを受けて、編集家-竹熊健太郎(@kentaro666)氏の視点

「モーニング島田編集長のツイートに対する業界人のツイートまとめ」について
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竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

昨日のモーニング島田編集長のツイートに対する業界人のツイートまとめ。俺は島田さんのツイート、ごく当然のこととして読んだが、立場によって受け止め方はいろいろ。勉強になりました。http://t.co/TPGK00Iq

2012-03-02 16:01:42
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]立場で違うというのは、作家・作家志望者の立場と、編集者の立場の違いはやはり大きいと思った。私は鳥無き里の蝙蝠みたいな立場なので、「編集」としてあの発言に賛同した。つまり夢を見るにも、それに見合う才能というか基礎力が必要ということだと、俺は島田発言を読みました。

2012-03-02 16:08:24
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]島田編集長は、日常的に新人と接する編集者の立場から、免許を持たないのに運送会社やタクシー会社に就職しようというような「作家志望者」を、無数に見てきたのだと思う。オリンピックのメダリストに憧れるのは自由だが、普通人が「努力しだ程度で」メダリストになれる「はずがない」。

2012-03-02 16:14:34
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]日本の戦後漫画界は、なまじ手塚治虫という「例外的天才」によってスタイルが形成されただけに、このことが見えにくくなっているが、そもそも作家が単独で絵もストーリーもこなすというのは、大変なことだ。マラソンや水泳の経験もない人が、いきなりトライアスロンを始めることに近いと思う。

2012-03-02 16:19:33
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]この種の問題になると、俺はかつてインタビューしたさいとう・たかを先生の発言を思い出す。さいとう先生は関西貸本界でデビューしたが、2年後には売れっ子作家になっていた。しかし辰巳ヨシヒロ先生らと「劇画集団」を結成し、作品の「集団制作」を模索しはじめた。

2012-03-02 16:27:38
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]漫画(劇画)の集団制作は、アメコミでは普通のことだが、日本では「絵も話も個人でこなす」手塚スタイルが主流になったため、さいとう先生の考えはなかなか受け入れられなかった。先生の計画は後にさいとうプロクションとして実現する。私はさいとう先生に、なぜ集団制作をするのかを聞いた。

2012-03-02 16:35:29
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]さいとう先生の答えは明快だった。「だって、漫画家志望者の全員が、手塚先生のような才能があるはずがないでしょう」「でも、私がこの世界に入って心底驚いたのは、卵も新人も、全員が自分のことを天才だと思っていたことです。みんなが手塚治虫みたいになれるわけないじゃないですか?」

2012-03-02 16:43:52
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]さいとう先生は、自分やその仲間のような「凡才作家(手塚治虫と比べて)」が、手塚以上の仕事をするにはどうすればよいのか、新人時代から真剣に考えていた。その結論が、プロット作りに長けた人、人物描写、メカや動物が得意な人、洒落たセリフが得意な人を集めた集団制作だった。

2012-03-02 16:50:15
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]「手塚治虫は百年に一度の天才で、トータルであの人にかなう作家が出るとは思えない。でも部分的に先生を上回る才能ならいるはずです。そういう人を集めれば、手塚先生を超える仕事ができるのではないかと思いました。」しかしそこで壁となったのが、参加スタッフの自意識だったという。

2012-03-02 16:58:17
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

つまり、既にデビューして自分の看板で作品を書いていたプロ作家を集めてスタッフにしたわけで、作家的自我が強いのは当然だ。それでもなぜ作家たちが集まったのかというと、貸本業界が斜陽で、崩壊寸前だったからだ。60年代に生まれた作家プロダクションには、このパターンが非常に多い。

2012-03-02 17:09:11
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]つまりさいとうプロの成立には、集団制作によって手塚漫画とは違う流れを起こすという作家的野心と別に、仕事が減った漫画家の救済事業という側面もあった。後者は本論から外れるのでこのくらいにするが、今の漫画界の状況からして、60年代作家プロダクションの成立事情は参考になるはず。

2012-03-02 17:15:08
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]話が脱線したのでそろそろまとめ。さいとう先生の話のポイントは、「自分の実力を客観的に見る目を持て」ということだと思う。手塚治虫に憧れて漫画家を目指すのは結構だが、自分を客観的に見れないばかりに勘違いして、潰れて行った人を無数に見てきたと言うのである。

2012-03-02 17:24:20
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]以前も書いたことだが、さいとう先生の言葉で印象に残った発言がもうひとつ。「漫画家になろうと思ったら、漫画を描く才能は“あって当たり前”、才能のない人が、その職業を目指してはならない、不幸になるだけだ」というのである。「だって野球選手を目指す人なら野球ができて当然でしょう」

2012-03-02 17:29:59
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]「漫画家を目指すのだったら、まず「人並み以上に」漫画がかけて、ようやくスタートラインと言えます。若い頃、周囲は漫画家志望者であふれていました。中には私以上に漫画が上手い人もいましたが、みんな消えていきました」「才能だけでは作家になれないとすると、何が必要なのでしょうか?」

2012-03-02 17:35:41
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]「運ですね」さいとう先生の口から意外な言葉が出て私はずっこけたが、考えてみれば、長い経験から来た深い言葉だと思った。才能があっても世に出られるとは限らないのは、私自身よく知っている。特に新人時代にいい編集者と出会えるかどうかは、作家人生にとって最初の「壁」かもしれない。

2012-03-02 17:42:21
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]島田編集長のツイートを私はさいとう先生の話と同じ文脈で読んだ。まとめで、鍋島雅治氏が「とにかく3年続けて目が出なければ諦める」という意見には賛同できます。長くなったので止めますが、このテーマは作家・作家志望者・編集者にとって永遠の問題のような気がします。

2012-03-02 17:49:40
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]ひとつ補足。「運も才能のうち」というが、この言葉の真意は「才能ある人のもとに運はやってくる」ということだ。才能があっても、運が来た時その仕事をこなせる準備が出来てなかったら、逃げてしまう。つまり才能があり、常に仕事の準備を整えていて初めて、運を活かすことができるのである。

2012-03-02 18:09:44
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

昨日に続いてまた連ツイしてしまいましたが、こういうのはブログで書くべきものだと自分でも思います。書きやすいのでついツイートしてしまいますけど、今後はツイートをアイデアメモにして、ちゃんとした文章としてブログにも書こうと思います。

2012-03-02 18:21:23
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

えー先程の連続ツイートで間違いを書いてしまいました。さいとう先生が辰巳ヨシヒロ先生達と結成したのは「劇画工房」で、「劇画集団」は、劇画工房解散後にさいとう先生中心で結成され、さいとうプロの母体になった団体でした。

2012-03-02 18:28:34
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

実は先程の連続ツイートとはまったく別の観点から、一見矛盾したことも書いてみたいのですが、後にします。矛盾というのは、漫画は「素人の文化として発展した」ということです。私が思うには、手塚先生の本当の才能は、「僕でも描ける」と素人読者に「錯覚」させる才能ではなかったかと思うのです。

2012-03-02 18:46:36
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

.@mogura2001 手塚先生になくてさいとう先生にあるものって、結局経営者としてのセンスですよね(笑)。たださいとうプロの経営には、設立時に大阪で銀行員をしていたさいとう先生の実兄を呼び寄せてます。このへん、銀行マンだった兄を経理に読んだウォルト・ディズニーに似ています。

2012-03-02 19:12:30
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]大失敗の間違い。さいとうプロの作画チーフの一人は梅本ではなく武本サブロー氏でした。なんでこんなポカやったんだろ。失礼しました。ちなみに武本サブロー氏は2008年に亡くなってます。もと一本の作家さんで、さいとう氏を先生とは呼ばず、さいとうプロのことを「我々」と呼んでました。

2012-03-02 19:41:00
竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

[承前]「劇画」の成立を考えると、間違いなく大人向けストーリー漫画を目指した「表現運動」でした。武本サブロー・石川フミヤス両氏は、さいとうビジョンに賛成して共同制作を始めた「同志」だといえます。劇画は60~70年代漫画界を席巻し、手塚治虫をノイローゼに追い込みました。

2012-03-02 19:45:22