- kune_ku_nex
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おはようございます。新政府ラジオです。無茶苦茶気持ちよい一日になりそうな天気です。アオと目一杯遊ぶために午前中は原稿に集中します。William Fitzsimmons - Goodmorning (Pink Ganter Remix) http://t.co/DlEpe18u
2012-03-03 09:48:01最近、興味深いのはトークショーをした後に声をかけてくれたり、メールをくれたりする人の職業が行政の方が多いということである。こそっと、公的な人間から離れて個人になって、僕のトークを見に来ている。僕は分かった。行政の人間は「人間」だ。だから僕は今「人間」にフォーカスしているのである。
2012-03-03 09:54:57政治家がどうのこうの、役人がどうのこうの、公務員がどうのこうの。これは全て匿名の概念である。彼らも全て人間である。もっと高い解像度で、表層の匿名レイヤーのその人を見ずに、もっと奥のその人の人間そのものを見る。そうすると軽卒な文句の言葉が無くなる。問題が何か見えてくる。
2012-03-03 10:08:13匿名の存在には責任がない。政治家には責任がない。政治家は問題が起きたら辞任させられるだけだ。匿名レイヤーではなく、人間を見よう。責任を放棄してしまっている匿名の社会システムなんか何の役にも立たないことくらい僕たちは知っている。人間を見よう。そこに一つのヒントが隠されている
2012-03-03 10:12:03僕は反転した裸の王様だ。つまり、自発的に裸になっており裸でいることを自覚している。しかし、まわりの人々は服を着ていると思い込んでいる。実際は僕は裸なのに。僕を裸だといってしまえ。そしたらあなたも実は裸であることに気付けるのに。見立て。なぜ僕が見立てるか。社会が見立てだからである。
2012-03-03 10:15:06Ben Lee- Im With The Star http://t.co/a8qZfVZf このアルバムを僕は高校時代、一番聴いたのではないか。久々に思い出して、胸がぎゅっとなった。一人で部屋に籠って、音楽ばかりやっていた。これからどんな人生が待ち受けているのかドキドキしてた
2012-03-03 11:28:17ベックのルーザーが1993年、そしてベンリーのアルバムが1995年。僕は1994年に高校生になる。ベンリーと僕は同級生。。焦った。ベックにも焦った。やばいお前このままだとただの田舎の高校生だぞと焦った。そんな時に1996年ベックがodelayを出して僕は衝撃のあまりどん底に落ちる
2012-03-03 11:33:44今日の夜はNINIでディナーだ。やったやった。アオもドレス着てる。。やったやった。NINIはかわいいお店。みなさんも熊本に来たら是非ね。ゼロセンターから徒歩5分のところにある。すんばらしいお店だよ。美味しいし、器がかわいいよ。僕はかわいいのが大好きです。
2012-03-03 11:48:31この前、磯部とベロンベロンになりながら、高校生の時の音楽について話していた。OASISが出て来たときの一枚目のDefinitely Maybeのアルバムジャケットを見たとき衝撃だった。僕の友人が海外によく行くやつでブリットポップを輸入していた。磯部もOASIS好きだったらしい笑
2012-03-03 11:51:45それで次に出たシングルだけのWHATEVERがジャケも含めて凄すぎて、僕はアコギで学校でこの曲を歌い出す笑。。興奮したなあ。ロンドンでは何が行われているのか興奮したなあ。で僕の英語の教師は昔ミュージシャンでJAMが好きだった。そんな中音楽好きの建築好きから色んな情報を得ていた当時
2012-03-03 11:54:01じゃあWhateverかけてみよう。Oasis - Whatever http://t.co/ijlNGoMm 俺は何でも自由に選んだものになれるんだ。気が向いたらブルースだって歌うんだ。俺は何でも自由に好きなことが言えるんだ。それが正しくても、間違っていても気にしないんだ。
2012-03-03 11:59:04高校時代の僕にとって女の子と一緒に散歩している時が、一番自由だったような気がする。自由というのは一人で体験するものじゃない、誰かと一緒に歩いている時に感じるもんなんだって思った。そして、バックには音楽が流れてた。トーキングヘッズが流れてた。
2012-03-03 12:02:07僕は指定校推薦だったので9月頃にいち早く大学入学が決まる。しかしそれは嬉しいというより意外と孤独で僕は煙草を吸い始め一人で川縁で思索することが多くなる。そんな時祖父の納屋で見つけたレコードがTALKING HEADSのREMAIN IN LIGHTというアルバムだ。そこでぶっ飛ぶ
2012-03-03 12:04:25僕はこの体験が、VELVET UNDERGROUDと一緒に、実は世界には違う側面があり、レイヤー構造になっており、お前の視線はあまりにも平面的すぎるからもっと多焦点にせよという命令を受けた、初めての体験だった。 当時16歳から17歳。1995年。阪神大震災とオウム事件が起きていた
2012-03-03 12:08:25やはりこの曲 Talking Heads Once In A Lifetime http://t.co/G9KAUcIi そのとき、僕は女の子と自由を感じていた。バックにはこの曲がかかっていた。
2012-03-03 12:10:09この音楽は、後にアフリカ、ケニア、ナイロビと出会う僕の起点でもある。全ては繋がっている。そして同時に全てはイリュージョンである。見える、そして見えない。僕は「空間」を感じていた。建築ではなく「空間家」になろうとぼんやりと思うのである。しかしこの時まだ社会には空間家という言葉は無い
2012-03-03 12:12:09盛り上がってきたので、今日も超ロングツイートしたいのだが、アオから今日は私と遊びなさいというお告げが来たので、今日はとりあえずこのへんでお休みします。いつものようにミニクーパーでドライブしてきます。公園とかトイザラスとか江津湖とか行ってきます。
2012-03-03 12:14:05