10周年のSPコンテンツ!
12
山猫男爵 @baron_yamaneko
【ブログ更新】書評:土井全二郎「ガダルカナルを生き抜いた兵士たち」ガ島戦でのサバイバル体験の聞き取り取材。初期配置の海軍設営隊の善戦、撤退援護で捨て石に送られた老兵部隊、撤退できなかった置き去り兵士の孤独な戦い、人肉食等。 http://t.co/eoHNgac4
山猫男爵 @baron_yamaneko
最近の映画「山本五十六」(見てない)に、撤退援護で戦死する門倉提督というのが出てくるそうですが、なんか見覚えある名前と思ったら第13設営隊@ガ島の門前鼎大佐の勘違い。後で少将として護衛船団司令官に転じて、駆逐艦松風で戦死されてますけど、モデルってわけでもないか。
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
ガダルカナルでは戦車第二連隊から抽出された第四中隊(大隊は存在せず、中隊→連隊直結)を更に改変した独立戦車第一中隊(九五式軽戦車・九七式中戦車合わせて13両)が投入されている。
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
同部隊は1942年10月23日(一木支隊壊滅が8月21日、同年9月13~14日に川口支隊の総攻撃なのでその後)に歩兵第四連隊第二大隊を基幹とした中熊部隊に配属され、マタニカウ河口を渡河して米陣地を攻撃する予定となった。(西の戦車隊はあくまで『助攻』で、メインは南からの第二師団)
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
同日午後2時に部隊は稼働全車両を持ってマタニカウ河口方面に前進、渡河を開始した。
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
それに対し米側はルンガ岬付近の砲兵陣地から榴弾砲・迫撃砲にて集中射撃を行い、前線は37mm砲で迎撃した。これにより中隊は壊滅的打撃を受け撤退。撤退に成功したのは中隊44名中17名(そのうち7名が戦傷者)だけという大損害を被った。なお、この戦闘で米側はチハ車一両を鹵獲したとのこと。
山猫男爵 @baron_yamaneko
人的損害も大変だったのですね。南無 RT @Nyarlathotep_44 撤退に成功したのは中隊44名中17名(そのうち7名が戦傷者)だけ
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
@baron_yamaneko 第二師団全滅以降は補給も途絶えて、所謂「餓島」の惨状が展開されていきますね。ちなみに、同中隊の補給班や整備班の生き残りが何とか43年2月の撤退で脱出出来たようですけど、骨と皮のみのガリッガリの様相だったようで……
山猫男爵 @baron_yamaneko
@Nyarlathotep_44 マタニカウ河口でほとんど全滅した後も、撤退時まで生きのびてる戦車がいるのですね。予備車両なのか、拾ってきて修理したのか、故障で出撃できなかったのか、どういう事情なのかなあと想像膨らみ。
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
@baron_yamaneko 通説では殆どが撃破されて、中隊はほぼ全ての戦力を失ったらしいですからねぇ、あの中を生き残った車両があったのか、それとも何らかの予備だったのか……万が一撃沈前に上陸出来た増援の戦車という可能性もあるとか考えると、妄想力が膨らみますな。
山猫男爵 @baron_yamaneko
日本陸軍の戦車第2連隊、@Nyarlathotep_44 さんが説明してるガダルカナル行きの第4中隊が苦戦してるのと並んで、ビルマでM3軽戦車と出くわして大敗しちゃったのも同じ連隊の第1中隊。どうも不運なのです。
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
@baron_yamaneko ビルマ・ペグーでの英軍第七機甲旅団との戦闘での話ですね。確かに、九五式軽戦車4両が遠距離から全滅させられたあの戦いも第二連隊所属でしたね……
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
個人的には川口支隊投入時に戦車一~二個中隊規模相当を送れていたら、もしかしたらヘンダーソン飛行場を奪取できたのかもしれない。
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
川口支隊の攻撃は奇襲に重点を起きすぎたせいか結構バラバラに攻撃を開始していたからなぁ。部隊の集中運用がきちんとこなされていて、なおかつ戦車があれば、もしかしたらヘンダーソン飛行場奪取も夢ではなかったかもしれない。
這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44
まあ最初っから第二師団送っとけという話でもあるかもしれないけど。まああくまで妄想で、なんとも言えない話か……

コメント

這い寄る混沌@C96:月曜西こ-23b @Nyarlathotep_44 2012年3月5日
完全に確認が取れたわけではないが、マタニカウ河口方面での戦いにて独立戦車第一中隊が損失した戦車は11両。同部隊が揚陸した戦車の数は13両なので、恐らく何らかの原因で戦闘に参加できなかったこの2両が、撤退時まで生きていた車両だと思われる。
山猫男爵 @baron_yamaneko 2013年6月15日
まとめを更新しました。話題ごとに並べ替え。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする