「大学生に勉強をさせよう!」に対する反応

中教審の素案に対する現場教育者(大学教員)の方々の反応が,興味深かったのでまとめました.URL:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120307-OYT1T00669.htm 
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アニ @gorotaku

中教審の「大学生に勉強させろ」と言うやつ。この流れ自体はずっとあるものなので、驚くことではない。補助金をエサに大学をコントロールしようとする発想には相変わらずイラっとする。でもそれ以上に、気になるのは「大学生に勉強させて何を得ようとしているのか」です。

2012-03-07 21:05:47
アニ @gorotaku

教育機関を「工場」のようなものと捉え、出口での製品の質のばらつきを無くし、平均を上げるにはどうすればいいか。一番有効なのは「洗脳」ってことになっちゃうのではないかと思うんですよね。学生の自主性とか個性とか選択の権利とかを破壊し、こちらの望むものをインストールする、というやり方。

2012-03-07 21:09:39
アニ @gorotaku

で洗脳教育ってのは間違いなく効果があるわけで、だからこそ現在も様々なレベルで利用されてるわけです。じゃあ問題は、洗脳教育のどこが悪いのか、ってことになって、「画一的な人材しか出てこない」とか「学生を一人の人間として認めず、その自由を奪っている」とか言われるわけです。

2012-03-07 21:16:08
アニ @gorotaku

これまでの日本の大学教育(特に文系)ってのは、ある意味洗脳教育の対極にあって、殆ど「勉強したい奴だけすればいい」というものだった。勉強しないことを選択する学生を罰するシステムってのが殆どない。当然出口での「品質」はばらつくし、押しなべて低かった、とも言えるかもしれない。

2012-03-07 21:20:55
アニ @gorotaku

内田せんせいがどっかで書いてはったけど、比較的教育に熱心である大学教員も、「蒔いた種の芽が出ないことも受け入れなければいけない」という覚悟でやってたと思うんですよね。つまり大学は、「教育」を通じて大卒者の「品質を高く整える」ことにはほぼ無関心であった、と思う。

2012-03-07 21:24:15
アニ @gorotaku

たぶん世間は、それじゃだめだ、大卒者の質がもっと高く整っていないと駄目だ、と思っていて、それが昨今の「大学生に勉強させろ」に繋がってるのではないかと思うんですよ。

2012-03-07 21:27:25
アニ @gorotaku

でもそれはどうなのかなあ、と。僕は自分の授業に出てる学生が一生懸命勉強したらそれはすごく嬉しいし、勉強しない学生を見るとがっかりしますけど、でもそれでいいんじゃないかとも思うんですよ。授業の内容や話し方を磨く以外に、「勉強させる」ことだけを目的として何かやるのには抵抗がある。

2012-03-07 21:31:46
アニ @gorotaku

「美意識」なのかもしれない。こちらは必死で、自分が専門とする学問の面白さと奥深さと大切さを伝える努力をする。だけどそれを受け取るかどうかは学生の選択。つまり、僕の授業で勉強しないことをするのも学生の選択で、それは悔しいことだけど、例えば罰を与えることで勉強させようとするのは違う。

2012-03-07 21:35:01
アニ @gorotaku

つまりそれは、「おれは君たちに『こうすることは面白いよ、こうすることは君達の糧になるよ』とは言うけれど、『こうしろ』と命令はしないよ」という、ある種対等な関係性を保ちたい、ってことなんじゃないですかね。それは「高等」教育が捨ててはならない一線であるように思うのだけど。

2012-03-07 21:39:41
アニ @gorotaku

「学生が勉強したくなる」授業と、「学生に勉強させる」授業は、かなり本質的に違うものである可能性があると思う。

2012-03-07 21:47:53
アニ @gorotaku

というわけで長い割にまとまらない話だけども、「勉強させる」ことを目的化することは、ほんらい(僕が思う意味での)大学が教えるべきことを、大学教育から失わせる危険があるのではないか、という漠然とした不安があるんですよね。とはいえ大学生に勉強させたい人の気持ちもわからんではない。

2012-03-07 21:50:43
アニ @gorotaku

前にも書いたけど、「生徒の自主性を重んじる」ってのは、究極的には生徒が勉強しないという選択をすることも認めるってこと。知識や技能の獲得率で教育の効果を測るのであれば、生徒の自主性なんて奪ってしまわないと効率は上がらない。このジレンマの丁度いい落とし所をどこに見つけるか。

2012-03-07 21:56:35
齊藤明紀 @a_saitoh

@gorotaku 勉強するしないを学生の自主性にまかせるのは一つの見識だけど、勉強しないことを選んだ学生に卒業証書を出してはいけないと思う。卒業証書は、「所定の課程を修めたことを証明する」ものではありませんか?やはりここに文系と工学系の根本的な差異を感じるなぁ。

2012-03-07 21:55:51
アニ @gorotaku

@a_saitoh 文系は「習得すべき知識や技能」が明示的に定義しにくいというのが一点。そして大学の授業が学生に授けようとする色々は、授業以外(サークルやバイトや自分で本を読むとかや)で身につくことときっぱり分離しにくいというのがもう一点ですね。

2012-03-07 22:01:37
アニ @gorotaku

@a_saitoh つまり、「授業を通して勉強したから◯◯が出来るようになった」という学生と、「授業に関する勉強はしなかったけど〇〇はできた」という学生を区別すべきなのか、という問題が発生するわけです。

2012-03-07 22:02:49
齊藤明紀 @a_saitoh

@gorotaku 授業以外で身についたことはそもそも卒業証書で証明するものではないってのが素直な感覚。ただお説は、いろいろな文系の先生と雑談していて、結構普遍的な考えだという感触はあります。

2012-03-07 22:13:21
アニ @gorotaku

@a_saitoh 卒業証書に意味を与える、というか、「授業で新しく何かを学んだ」ことを証明するためにカリキュラムを作る、というのが学問分野の性質にそぐわないという感覚はありますね。この感覚がどれほど妥当なのかは分からないです。

2012-03-07 22:22:39
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

大学生に勉強させよ http://t.co/znYA8otN という記事。アイデアはあるがものすごく評判が悪いことが想定されるので、自粛。あと、賢くなるタイプの勉強になっているかどうかも考えなくてはいけない。

2012-03-07 21:36:16
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

「教育制度批判」に書いてる。入試なし。受講は大学の縛りなし。ただし専攻で必要科目に縛りあり。単位揃えての卒業試験は希望大学で挑戦、がよいと思ってる。でもたぶんダメなんだろうと思う。 @at_naminore 総統的には放送大学の入学時期をあとちょっとだけ柔軟にした感じが理想?

2012-03-07 21:55:43
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

大学で一生懸命勉強していい成績をとることと、いい会社に就職することと、幸せな人生を送ることは、あんまり関連性がないということについても理解しておいてほしい。大学が就職のための予備校のように理解されていると、困ったことがたぶん発生する。

2012-03-07 21:52:12
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

自分の経験からして、勉強していろんな知識だの教養だのが身につくと、人生が楽になったり楽しくなったりすることもある。ただ、頭が良くなった結果苦悩する人もいるので、一般的にそうともいえない。私は頭の中にパーツがたまっていって遠くまで見通し良くなる感じ、できることが広がる感じが好きだ。

2012-03-07 21:59:31
nooj @at_naminore

@RodinaTP 「教育制度批判」はどこで読めますか?

2012-03-07 22:03:15
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

大学での勉強は役に立たない、と断定する人は、役に立つ程度まで勉強してないのだと思う。勉強しなくても世の中は渡れる、という人は、勉強すれば進める世界を知らないのだと思う。いっぱい勉強すると勉強の役立ち具合が判るが、もっといっぱい勉強すると役に立たないことが判るらしい。勉強は深いね。

2012-03-07 23:30:45
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP

私の勉強人生から言えること。誰かの言葉→「知識を持つ者は、無知な者を永遠に支配する」 独立したいのなら、支配を嫌うのなら、それぞれの持ち場で知恵を積むしかない。福澤の有名な言葉→「一身独立せずして一国独立なし」 我らが賢くなることは、防衛力という公益にもつながる。学問のススメ。

2012-03-07 23:50:32